▲白鳥と黒鳥

文字数 6,828文字

 灰色の猫ががれきの山を飛び越え、走っている。マリスは依然、円卓の騎士と合流できずにいた。彼らはきっと太陽神殿に向かっている。しかしヘラス軍が上陸した混乱で、太陽神殿にはそう容易には近づけない。もしヘラス軍とはち合わせれば、シャフトの制服を着た自分は殺される。どのルートが安全で、危険なのか。今のアクロポリスの状況は何がどうなっているのか分からない。太陽神殿の方向から、何度も何度も赤い光と青い光の爆発が起こっていた。マリスは安全な猫の姿になって走ったが、それには時間を要した。
 マリスはさっきから寂寥感に襲われていた。インディックの顔が浮かぶ。どうやら、いやそうだ。間違いない。おそらく死んだのだ。インディックが。インディック……私はヱメラリーダのがんばり、ガッツだけでなく、焔の円卓の騎士たちを引っ張っていたあなたの訳の分からないポジティブ論理にも励まされたよ。こんな私をパズルのピースといってくれて、本当にありがとう。けどみんな、死んでいった。
 マリスはテレパシーでカンディヌスが近くにいるのを感じた。カンディヌスと会えれば。この状況を分かち合えるのは、もう彼しかいない。
 カンディヌスだ! 猫の姿から人へとメタモルフォーゼし、彼に抱きつこうとした瞬間、イゾラのシーガルスホルムの剣がマリスを発見して襲撃する。避けるので精いっぱいだった。一人ではとても勝てない。しかも、逃げることも許されない。マリスは裏切りの枝「レーヴァテイン」を構えた。
「この裏切り者が。貴様は一体どういうつもりでレジスタンスに加担している?! 貴様のせいで、この国は滅茶苦茶ではないか!」
 イゾラは、ハウザーから生前マリス・ヴェスタは寝返ったと聞かされていた。議長やラムダが最終兵器たるヴリル・デストロイヤーを使用し、この国を滅ぼそうとしているとしても、一方でレジスタンスが太陽神殿を奪取することも認められない。なぜなら、何も分かっていないレジスタンスにクリスタル・リアクターを奪われれば、その時も事故は百パーセント起こる。事故は、自分にしか防ぐことはできない。イゾラはカンディヌスと共に行動していたが、そのマリスがカンディヌスに会いに来た。もしかするとカンディヌスも寝返ったのかもしれないと、イゾラは彼にも目配せしている。もし必要ならば二人とも殺るつもりだった。
「イゾラ、焦るな!」
 カンディヌスが叫び、殺されかかったマリスは一命を取り留めた。
「マリスは味方なんだ」
「何をいう?!」
 イゾラは信じられぬという顔でカンディヌスを一瞬見たが、マリスの方へ向くと、もう一度攻撃を仕掛けた。
「待て、止めろ!」
 カンディヌスの本気の目を見て、ようやくキラーウィッチはモービル剣を降ろした。だが警戒は解いていない。様子をうかがっている。
「二重スパイなんだ。全て議長閣下に話を着けてある」
「閣下に? しかし閣下は」
「そうとも。議長閣下は生きておられる! 議長閣下の能力は、まさに死の瞬間に発動される。いいや死んではいなかったのだ。やつらを欺くためにな」
「それが、閣下の能力だというのか?」
 議長、フレスヴェルグが生きている。その情報はイゾラにとってあまりに唐突で、衝撃的だったが、顔には出していない。
「そうだ。奴らはリアクターを狙っている。閣下はそこにおられる。太陽神殿へ急げ、俺達も後から追う」
「分かった……」
 不審顔のまま、イゾラは他のレジスタンスを追うと言ってその場を離れた。黒ヒョウと化したイゾラは太陽神殿に向かった。ヱクスカリバーで議長を斬り殺すためだ。しかし、無事にフレスヴェルグに会えるかどうか分からない。

 ……あぁようやく会えた。よかった。カンディヌスが二人の争いを止めてくれなかったら自分は死んでいた。マリスは埃を払い、立ち上がる。
「プレベールは今、一体どうなっているんだ?」
 カンディヌスは焦ったように訊いてきた。
「作戦通り、プレベールをすり替えました。ツーオイ石にたどり着いた所で、奴らは何もできません。円卓とシャフトとで、偽物を奪い合うでしょう」
 あの時、マリスがカンディヌスに伝えた作戦。それは焔の円卓とシャフトの両方を欺くものだった。
奇跡的に途中まで成功した円卓の作戦は、アマネセルがプレベールを召喚したところで、マリスによって黒鳥にすり替えられ、その偽物を今度はカンディヌスがシャフト議長に差し出すという算段になっている。偽物を円卓とシャフトが奪い合い、本物は二人が真の目的のために使用するのだ。マリスは無事、作戦を遂行した。たとえ円卓の目的が正しかったとしても、彼らにはツーオイ石を止められない。アトランティスを救えない。自分たちでなければ。
「無事、黒鳥にすり替えたか。やはり、お前は俺の見込んだ通りだったな」
「ありがとうございます。レジスタンスはヘラス軍と共に偽物を運んでいます。そうして保安省はそれを追いかける。奴らは必死になって偽物を奪い合うでしょう」
「よくやった。で、本物の『白鳥』は?」
「まだツーオイの中にいます」
「本当に、ツーオイの中なのか?」
 カンディヌスはじっとマリスの金色の瞳を見つめて訊いた。
「……はい」
「別の場所じゃないのか? どこに隠した?」
 カンディヌスは切羽詰ったように詰め寄った。
「それはまだ云えません」
 マリスは一歩下がった。
「なぜだ?」
「議長は……議長は確かに死んでないんですね?」
「あぁ」
「議長を欺くと、あなたは言った。私たちの計画は議長に支配され、私達は彼の目論見どおりに泳がされた。それだと結局、プレベールを議長に手渡す事になってしまう。だから今は言えません。議長が結局、私達を利用している間は」
「何をそんな、バカな事を。俺を信じないのか? 今までだってずっと」
「あなたと私は、シクトゥス4Dに欺かれていた。あの男はそう簡単には欺けないし、欺かれなかった。このままでは私達の作戦は失敗です。つまり二重スパイ作戦は失敗になる。そういう事です。シャフトを動かしているシクトゥスはネクロマンサーであり、フレスヴェルグがすり替わった偽物でした。議長の黒鳥みたいなものです。彼らはこの宇宙の裏側。光のない暗黒宇宙。シャフトがそれと繋がっていた以上、この国にいる私達に元々未来などなかった。魔人の計略は所詮、自滅の方向へまっしぐらの道ですから。フレスヴェルグが化けた議長の計画でツーオイ石を動かせば、アトランティスは沈んでしまう運命だった。クーデターもシャフトの目論見も、何もかも無駄だった」
 現在のシャフトが、黒色同胞団の言いなりである事を認めなくてはならない。もはやこの段階に至っては、それはマリス・ヴェスタだけでなく、シャフト自身や多くのアトランティス人にとっても周知の事実だったのかもしれない。だとすれば……。
 クーデター当初から、マリス・ヴェスタは疑問を抱いていた。
 シャフト評議会の正義とは一体何か。以前からアトランティスは沈みつつある大陸であり、もはや大陸などではなくアヴァランギなどの「大きめの島」にまで縮んでいる。さらにクリスタルを軍事利用する計画は、論理的思考を極めた科学者マリスにとって、あまりに危ういものと映った。たとえ黒色同胞団の介在を考えなかったとしても、アトラス帝の意を継ぐ弱小勢力の焔の円卓こそ正義のアトランティス人で、皇帝の「上からの革命」の方が正しかったのかもしれない。このままいったら、姫の予言の通り沈む事は確実なのだ。つまり早いか、遅いかでしかない。それは子供でも分かるような未来予想で、シャフト評議会は今日まで合理主義一辺倒で押し通してきたに過ぎない。だから滅亡へと突っ走るのを止めない。ごまかしてきたのだ。全て軍事的野心のために。
 だがシャフト上層部は、自分たちが途方もなく賢くて、それを理解できない連中は馬鹿だと思っているに違いないので、愚かな行為だとは気付いていなかった。世界征服の計画が、わざわざ自分達の住む大陸の寿命を縮めているという事実をである。その時からカンディヌスとマリスのたくらみは、単なる二重スパイを超えていた。だが、マリスは別に円卓側に着いていた訳ではない。マリスの論理的思考が、円卓の再革命を不可能だと結論しているからだ。
「一体何を言い出すのかと思えば……どうやらだいぶレジスタンスに吹き込まれたようだな。しかしそれは完全な間違いだぞ」
 カンディヌスはマリスの言葉に動じなかった。
「だけど、事実は事実よ」
「いいや、第一フレスヴェルグというのも仮の姿なのだ」
「議長の秘密を、あなたは知っているの? 一体あの男は」
「それ以上、知らない方がお前の身のためだ。あのお方の本当の正体を知る事は死を意味する。で、お前は今、皇帝の教えをどう思っている?」
「皇帝の上からの革命なんて、もしやるなら百年前にやるべき事だった。今さら皇帝が革命を叫んだところで、この国は元々沈みつつあったし、とっくに手遅れだった。何もかもが遅かった。私はアトランティスに絶望している。滅亡に突っ走るシャフトに、それに対して無力で、成功することがない焔の円卓にも、何もかも……。でももし、本物のプレベールを議長に渡せば、この国はきっと持たない。それだけは確実に分かっている。議長によって、クリスタルの事故が起こる事は避けられない。そして事故は大陸を一瞬で打ち砕き、アトランティスは国家滅亡へと直結する。けれど円卓が無事それを運んだところで、議長が起こす事故は止められない」
「アトランティス軍はヘラスに大敗をきし、敵がこの国に上陸してきたぞ。このままでは、ヘラスはやがてエジプト全土を手に入れるだろう。もうアトランティスが、あのヱデンを手に入れる可能性はなくなったのだ。よく聴けマリスよ。この国に残されたものは、あの太陽神殿のツーオイ石しかないのだ。つまり、プレベールだ。分かるな? もし議長がプレベールを掌握したら、敵をせん滅するのみならず、確かにこの国を滅ぼすだろう。だがその前に、ヘラスに、決してツーオイ石を渡してはならん。それがこのアトランティスの本当の問題だ。お前は議長の事ばかり心配をしているが、ヘラスの存在を忘れているぞ。ツーオイ石はヱデンを探るために必要な武器であり、もしヘラスがツーオイ石を奪ったら、ヱデンは彼らのものになる。それは許されん事だ。この国を再建するのに、ヱデンが必要だからだ。俺たち二人ならこの国を滅亡の危機から救うためにツーオイ石を使う事ができるだろう。俺たちは、議長に操られてなどいない。ツーオイ石を手中に収めれば、俺たちはシャフトを牛耳り、エジプトの地下に眠るヱデンの古代テクノロジーを手に入れる事ができる。……考えてみろ。それさえ手に入れば、シクトゥス議長が何者だろうと問題ではない。奴など倒せるんだ。ヱデンこそ、我々危機に瀕したアトランティス人にとって必要なものだ。このアトランティスの全ての問題を解決するために! しいては、それがこの国を救う事になる」
 カンディヌスによると、シクトゥスが黒魔術師の変容であることに半ば気付いていたという。そうでありながら、まるで操られているような欺瞞に満ちた行動を取って来たのは、彼の中に宿ったヱデンへの情熱からだった。
「それなら、私達を操っているあいつの力を絶ち切って! まず議長を倒してください! 私はこの国ではなく、あなたを救いたいんです」
「何だと。俺たちの計画は、奴に操られてなどいないと言っている……!」
「ヱデンなんて、エジプトには存在しない。あなたは外の世界に囚われて、本質を見失っている。そうじゃない。ヱデンは、できつつあったのです。このアトランティスに。私はアヴァロンのリンゴ畑で、ヱデンが本当にこの国にあった事に気付いた。王室のプールでもオルカが私にそう言った。それはアヴァロンじゃなくて、アクロポリスに存在する事を暗示していた。皇帝は、それを造ろうとした。けど、シャフトがそれをつぶした」
 タブリス、海王のオルカの話をマリス・ヴェスタは信じていなかった。
「馬鹿な。やはりお前は、レジスタンスに吹き込まれてしまったようだな! われわれの計画はどうなる? 円卓に寝返ったのか? マリス! 嘘だと云ってくれ」
「裏切ったのは、そもそも邪悪な目的でシャフトを乗っ取った偽物の議長たちの方でしょ。そのことはヱメラリーダが死んだ後、私は彼女の声を聞いてようやく確認に至った」
「お前は、お前は本当にレジスタンスに魂を売ってしまったのか? そうなのか? お前が言っている事は全部幻想だぞ! あんなものを信じて、やつらの非現実的な革命の幻想に酔っているのか」
「証拠なんていくらでもある。情熱党の重要メンバーだったヱイリア・ドネと、その恋人ダイナモの力が合わさる事を、議長は何よりも恐れていた。彼はアガペーエネルギーの存在を認めていた! だからこそ全力で情熱党をつぶし、あの二人を引き裂いた。そうして、一万人近い人間の虐殺を行った。アガペーエネルギーが、ヱデンを作り出すという事実。恐れていたって事は、認めていたという事なのよ。だから、レジスタンスはある意味で正しかったという訳。もちろん、実現可能かどうかは別として。あなたと私がもし操られていないというなら、あの時知ったはず! あたし達、この身で感じたはず。それを、忘れたなんて言わせない」
 ある瞬間に、カンディヌスがマリスと同じ境地に達した事を、マリスは知っていた。それなのに、どうしてこう食い違う?
「お前は結局何者なのだ? 俺が知っているマリス・ヴェスタは、シャフトの誰よりも冷静で知性に長けた女性だった。だが、俺の目の前に立っているお前は、今や奴らに懐柔された愚かな女でしかない! それは、神秘合理主義を継承する科学者として、冷静に自分を見直す事もできなくなっている。マリス・ヴェスタよ。プレベールを今すぐ渡せ! さもなくば……」
 カンディヌスはサイコ・ブラスターをマリスに突きつけた。
「プレベールは、お前のその腕のアミュレットの中に隠されているな。他に隠し場所はないはずだ! 少なくとも、その秘密が隠されている事は間違いない。プレベールをよこせ! プレベールさえあれば、上陸したヘラス軍を倒せる。シャフトも議長も何もかも問題じゃない。ヱデンは俺達の物だぞ! 奴らがヱデンの秘密を掴む前に。もうすぐ、ヱデンがもうそこに待っている! さぁお前のクリスタルを渡すのだ!」
「私を殺せば事故は防げない。あなたにはできない。プレベールの居場所も分からなくなる。私は冷静だから言っているのよ。シャフトはこれまで、一度だってキメラやクリスタルに魂を認めたことはなかった。それが、レジスタンスや私がプレベールの存在を教えると、議長は簡単に信じた。一体なぜ彼らは、モノや機械呼ばわりしている者たちに、魂というモノを認めたのか。使えると思ったからよ。そこに魔術師としての信念なんてなかった。プレベールの存在が全てを物語っている。ところが、自分達の過ちについてだけは決して認めようとしない。少なくともこの計画を私と共に行う以上、あなたは認めるしかない。議長の過ちを!」
「そうか。……すまなかった」
 カンディヌスは銃を降ろした。
「俺はもう行く。だがこれだけは信じてくれ。俺は、俺たちは操られてなどいないという事をな」
「……」
「俺を信じてくれないか。いつものように」
 マリスは黙ってうなずいた。そうして、自分のアミュレットとカンディヌスのアミュレットを同期させた。
 烏となって立ち去ったカンディヌスを見送って、マリスは胸騒ぎがした。議長が、フレスヴェルグがきっと何かをする。このまま見送れば、彼の身が危ない。カンディヌスに。決して、見送ってはならなかったのだ。そう、ヴィジョンロジックが私にささやく。
「追いかけなくちゃ!」
 こんな仲たがいして終わるのは嫌だった。カンディヌスにはもう論理では通じない。話を分かってもらう自信はない。では、なぜ彼に会いに行くのか。このオルゴンエネルギーがそうさせる。まだマリスは、カンディヌスとオルゴンエネルギーでつながっていた。
 もう一度カンディヌスに会わないと。カンディヌスに、カンディヌスに!
 ひょっとすると、戦いになるかもしれなかった。それでも私は一パーセントの可能性にかける為に、彼と会う。感性で、ハートで。ヱメラリーダのやり方で、感性に訴えかけてみる。だって私……彼に恋してるんだから。
 かつて、ヱメラリーダは訊いた。
(なぁ……マリス。お前さ、恋って知ってるか?)

 今の私は知っている。
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