▼クリスタル・チルドレン

文字数 5,288文字

 この避難所にも退避命令が出された。無線をじっと聞いていた篠田は、部隊から妊婦の情報を聞き出した。ところが妊婦が取り残されているのは、放射能が襲う地帯だ。当然、部隊はいっせいに引き揚げる。残された道は封鎖を突破し、自分達が行くしかない。あえて爆発が起こった方向へ行かう事は命令に反し、当然リスクが大きい。だが、篠田は一人で助けに行くと云った。
「幸い、ガイガーカウンタがあれば、かろうじて安全に行動できる範囲だ。だが、君を連れて行く事はできない」
 それはそうだろう。しかし、真帆は篠田に自分も行くと云って聞かなかった。
「ソレだけじゃ、今後風がどうなるか分からない。でも私にはどういけばいいか、なんとなく分かるの。私がナビになる。篠田さん。……信じられないだろうけど、私を信じて」
 マリス・ヴェスタが最期まで分からなかったラビュリントスの絵、爆発は、神江の爆発の絵なのだろう。ラビュリントスの六つの絵は、すべてツーオイのプレベールの記憶なのだ。プレベールはツーオイのクリスタルネットワークを通じて、あらゆる時空を記憶した。個人の記憶は、その人の魔法石を通して。真帆はマリスの、ではなくプレベールの記憶を臨死体験で見たのだ。八木真帆は電波ゆんゆんだ。
 ツーオイはネットワークを通してすべてのクリスタルの記憶を蓄積する。そのネットワークは、個人の魔法石まで及んでいた。真帆が見ていたのはツーオイの記憶だったのだ。つまりプレベールが臨死体験で真帆に語りかけていたのだ。真帆のアミュレット……つまりパワーストーンによって。

 篠田がガイガーカウンターを調べると、幸い、風向きで放射能は真帆達の走るところへは届かなかった。やはり、真帆の言うとおりか。風が真帆達を助けている。しかしゆっくりしている時間はない。何としても該当の妊婦を見つけ出し、放射能から救わなくてはいけないのだ。篠田は無線で風向きの情報を得ようとする。
 真帆が車を止めてと言ったので、篠田が車を止めた。
「どうかしたか? 急がないと」
 真帆はじっと黒雲を見ている。黒雲がダンスしている。放射能を伴った雲だ。ツーオイ石を乗っ取ったシャフトの黒い想念の実体意識、アポフィスが黙示録のダンスをしている。あの黒雲の中に。放射能のダンスをするアポフィスは、ウランから召喚された魂なのか。プロメテウスが火をつけた、原発という名のパンドラの箱。それが開いて、中から飛び出したアポフィスが踊っている。
「あなたなのね……アポフィス」
 かつて真帆はマリス・ヴェスタだった頃、アトランティスの最期でその姿を目撃した。アポフィスの、ビザールなボンデージ風の衣装は、黒を基調に黄色が所々配色されていた。あたかもそれが、真帆には夢の中で放射能標識そのものの配色に見えた。だから原発第一のある方向の黒雲を目前にして、すぐにアポフィスが自分を追いかけて来たのだと思った。
 それはマリスである真帆自身が、一万年前アトランティスのパンドラの箱を開けてツーオイ石の中に召喚したのだ。真帆はプロメテウスが召喚した闇を使って、プレベールからアーキタイプをコピーし、偽物を製作した。しかしそれこそがアポフィス。その黙示録のダンスによって世界は滅んだ。真帆は世界を滅ぼした当事者だった。
「アポフィスだって? そいつは、確か地球に衝突する小惑星の名だろ。放射能なんかじゃない」
 篠田が突然そんな事を言った。そうだ……思い出した。アポフィスとは二〇二九年に衝突する可能性のある小惑星として、ハワイ大学の研究者が二〇〇四年に着けた名称だ。真帆はその事を今まで忘れていたが、この時代でもやっぱりアポフィスの名はラグナロックの、黙示録の破壊者だったのだ。急いでネットで情報を確認する。直径四百メートル、重さ七千二百万トン。もし落ちれば直系四キロのクレーターが出来、舞い上がった粉塵で三ヶ月以上太陽は姿を見せなくなる。アトランティスのときと同じように。それは二〇二九年を無事通過しても、その次は二〇三六年、その後、二一〇〇年代まで計一七回も地球に接近する。いいや、実際は「それ」がアポフィスなのではない。アポフィスは一体性の法則で地球内部からそれを招き寄せるのだ。しかしその者がこの時代でもアポフィスの名を冠している事は実に皮肉ではないか。
 きっと宇宙を漂う破壊者は、地球上のヴリトラを嗅ぎつけて、引き寄せられてくるのに違いない。つまり、衝突するかしないかは確率論ではないのだ。地球のヴリトラを浄化しない限り、程度によっては衝突する可能性がある。そうなれば、二千百年よりもずっと早く破滅が訪れるだろう。来るか来ないかは、人間次第。
 真帆は見つめたまま動かない。放射能混じりの雲が、何かを語っているように見えたからだ。ダンスを通して、アポフィスが自分に訴えかけているようにも感じられた。
「お前は、なぜまたあたしの前に現れたの!」
 真帆はもう、アポフィスと対話するしかないと決意した。
 この原子核エネルギーの、核分裂という闇の連鎖反応。暴走。その先に一体何が起こるのだろう。人類は最初に「それ」を手に入れて以来、何度も何度もアポフィスのダンスによって警告されてきた。今もまた、言葉では何も語らぬアポフィスはきっと、真帆に見せたきのこ雲のダンスを通して、このまま突き進めば百年後には全面核戦争が起こるのだと警告しているのかもしれない。
 人類がもし神江の事故から学ばずに、この時期にこのタイミングで核兵器を手放さなければ、全面核戦争の危機がいつかまた訪れる。311原発事故は、核兵器を手放す最大のチャンスだ。
 代わりにどんなクリーンエネルギーに転換したとしても、人類の心が何も進歩していなければ、またもシャフト評議会のような連中が現れ、今度はそのクリーンエネルギーの側面からアポフィスを出現させ、世界を滅ぼす。
 原発シンジケートたち。まるでシャフト評議会の様な自己目的化した官僚組織が、「想定外」の事故を引き起こした。帝都電力の幕藩体制及び原発城下町は、何度も警告を受けていながら、利益追求のために危険を放置し、それが震災で露呈した。それは想定外ではなく、利益の為に科学的証拠を踏みつぶし、起こりうる事故を阻止しなかった。同じ原子力でも北東電力の乙川原発では、利潤追求を安全性より追求するという愚を犯さず、受け止められていた。だから津波を想定して高いところに建設され、事故を未然に防いだ。そこでは学者達の警告は、ひねりつぶされる事がなかった。
 だが、事故を引き起こした原発シンジケートを、地元民も受容していたし、アトランティス人たちも同様だった。原発シンジケートやシャフトだけがなぜ悪いと言えるのか。誰かを憎んで、それを否定するだけでは、問題は決して解決しない。
「憎しみを乗り越えるものは、結局赦ししかない」
 アトラス帝はそう言った。
 アトランティス文明において、宇宙のロゴスにして根本神ラーだった太陽は、何十億年もの年月に渡って核融合をし、決して燃え尽きることのない熱と光を発し続けている。一方で人類は、人工的な核分裂を行って原発や原潜、そして核兵器を生み出した。ウランもクリスタル同様、このガイアの生命の細胞には違いはない。しかし人間の手によってかき集められた時、爆発の連鎖反応という暴走を起こして制御不能となった時、放射線を伴った大爆発を起こす。それで発生する放射線は、無数の生物達の細胞を破壊する。つまり、ツーオイ石に生じた闇ヴリルたるヴリトラと同等の脅威が、地球上にもたらされる。
 核実験や広島・長崎で経験した兵器としての原子力エネルギーはアポフィスそのものだ。核兵器がアポフィスだとすると、平和利用の原発はプレベールなのかもしれない。しかし、有用なプレベールだと思っていても、平和利用の原発でさえ使い方を誤ればアポフィスが出て来る。スリーマイル島・チェルノブイリ、そして神江と、事故の規模はどんどん拡大した。くりかえされてきた警告を人類は学んでこなかった。核兵器のみならず、原発事故だけでもアポフィスは誕生し、白鳥は黒鳥となる。アトランティスのクリスタルが兵器としてのみならず、事故によってアポフィスが誕生したように。あの時代でも、警告は無視され続けた。広島・長崎を経験したこの国でも、神江で史上最悪の事故が起こった。アポフィスの襲来をもたらしたのだ。
 放射能もまたアポフィスの化身だが、アポフィスも大地の中から出た構成要素に違いない。それがまた循環によって本来の場所に戻っていく。ガイアの浄化作用は、いつもアポフィスを優しく包み込んでいる。それがプレベールの言った育む母性の力であり、母性には変容の力があるのだ。イルカたちの神秘のエネルギーもまた海と共に、放射能(アポフィス)を浄化している。
 しかしヴリトラは放射能のような、あるいはそれ以上にストレートな闇のエネルギーだ。だから大生命たる大地は、その毒を排出するために緊急外科手術を必要とし、アトランティス文明は一日で沈んでいった。それは人間の欲念のエネルギーと直結したエネルギーだからである。ヴリトラは精神エネルギーが闇に堕したエネルギー。つまりこれは、テクノロジーを扱う人間の側の問題だ。原子力にしても話は同じだ。単に、原発是か非かなどという話ではなく、原子力というテクノロジーの是非の問題ではない。エネルギーの種類ではなく、問題はそれ以前のところにある。
 こうして、アトランティス以前から地球に栄えた文明の末期は、いつも同じ顛末だった。アトランティスでも伝説として伝わっていたように、かつて人類は核兵器を使った全面核戦争を行った。今は不毛の地となっているアフリカのサハラ砂漠を今日の姿にしたのも、その失われた超古代文明の仕業なのだ。時にクリスタルエネルギー、時に放射能、アポフィスは様々に姿かたちを変えて黙示録のダンスをし、その後文明は滅んだ。
 アトランティス人にとっての智恵の実とは、クリスタルエネルギーであり、その使い方の誤用だった。そして現代人が口にした智恵の実とは、原子核エネルギーとその使い方だ。
「もう私は、二度とあなたをこの世界に出現させない!」
 かつて世界を滅ぼした原罪を背負った八木真帆は、放射能を纏う黒雲に向かって宣言した。
 真帆達は無事、妊婦を救出した。妊婦は車中で産気づき、安全な場所まで移動すると、そこで出産した。女の子だった。
 この赤ちゃんこそ、311大震災の闇とカオスから生じた光、希望の象徴だ。真帆は感じている。彼らはその身そのままの姿で、ありのままに生きるヱデンの住人。地球とワンネスで直結した人類に他ならない。次世代の生命・クリスタル・チルドレンだ。つまり、プレベールが送り込んだ新生人類なのだ。
藤咲からメールが届いた。
「二号機は、地震で壊れて漏れ出して免れた。放射能を含んだ大量放出は続いている。ひびが入って自然にドライアル・ベントが出来ている形になっていた。天の助けだ」
 神江原発の技術者の不眠不休の努力によって、東日本壊滅は回避された。
 真帆にとって神江は神江情報高校という第二の故郷。汚染されているが、広島や長崎だって復興した。必ず、ここをヱデンにするために戻ってきてみせる! 藤咲は、真帆と一緒にフリーエネルギーの事業を神江でやろうと言って来た。そのためにメーカーを退職してもいいという。春日も、引退した豆生田教授だっている。
 ここまで、八木真帆は何度も諦めた。あきらめかけた。その都度、仲間が助けてくれた。真帆も人を助けた。絶望しては思いなおしの繰り返し。何度も何度も。
 でももう、あきらめない。
 私はまだ生きている。
 約束したんだ。アトランティスで、あの時、一万年前にアマネセル姫と。今度は……あたしの番だ。……今度こそ、

 負けない。

 情熱党の炎は人から人へと移っていった。あきらめない心の灯は、人から人へ移っていく。それは一万年の時を経て、あの時妨害者だったマリス・ヴェスタに、アマネセル姫は届けてくれたのだ。八木真帆の中に乗り越えるDNAを魂に受け継いで。私は、聖火ランナーだ。次のランナーに火を渡すために。だから真帆は生きる。そして乗り越える。

 ……自分でやると決めた事は、最後まであきらめない。

 それは真帆のゲッシュ(誓い)だった。
 津波で流されなかった一本の花をじっと見つめる。空を見上げると、嵐の後に虹が出ていた。
 真帆たちは、一刻も早く脱出しなければならなかった。
 放射能は間もなくここへ到達するだろう。
 東の空は暗い。
 もうすぐ、嵐がやってくる。


 この物語はフィクションです。実際の出来事や団体とは一切関係ありません。311東日本大震災で亡くなった数多くの犠牲者に哀悼の意をささげ、お悔やみ申し上げます。被災地の一日も早い復興を願います。
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