▼バミューダ海域から来たシャチ

文字数 4,823文字

二〇一一年三月十二日 午前六時

 朝日が眩しい。まだ生きている。焼け付くような喉の乾きを感じる。視界に入ってくるのは穏やかな波。真帆は海の中に浮かんでいた。どこまで流されたのだろう。
 波の音を聞きながら、夢うつつの中で八木真帆は考えていた。
 明晰夢の世界は、まだありありと思い出せた。
 あれは……未来の出来事だったのか。剣と魔法、それが、恐ろしく近代化されたような世界。科学と魔術が混然一体となった暗黒の未来社会、ディストピア。空飛ぶ人間達、レーザー飛び交う市街戦。あまりに無残で無意味な殺りくの繰り返し。真帆は未来人の戦いぶりを、アイドルのコンサート会場でレーザーが飛び交う演出か、3D映画を観る感覚で観ていた。
 それは、たかが夢とは思えないくらいはっきりとした体験だった。やっぱり、死に掛けた自分が垣間見た、臨死体験なのだろうか。フリーエネルギー装置が、あんな暗い社会を作り出してしまうなんて、真帆は認めたくなかった。
 周りがやけに騒がしい。朝日のまぶしさで真帆がはっきりと目を開けると、海上に沢山の大きな尾びれが見えた。真帆はサメではないかと恐れたが、よく見るとそれはシャチの群れだった。シャチ達は、なぜか真帆の周りに集まっていた。
 ひどく喉も乾いていたし、お腹もすいている。何も考えられず選択の余地もない。彼らに話せば海岸まで連れて行ってくれるかもしれないと真帆は妙な期待をシャチに持った。いや話せばって……。
 シャチの大群に、真帆はやつれた顔で笑った。体を起こすことができなかった。木材の上にへばりつくようにうつぶせになったまま、語りかけてみる。声を出そうにも、かすれた音が小さく出るだけだった。
「どっから来たの……」
 シャチは話が通じたように、笑ったような顔でギーギーと声を出した。その「言葉」がハートに響いてくる。
「バミューダ」
 直接心に響くテレパシー、真帆は直感的にそう思った。いや、そんな気がしただけかもしれないが、同研究室の春日の主張によれば、動物とテレパシーを交わせる人が存在するらしい。研究者のくせに重度のオカルト・マニアのあいつに話せば、たぶん喜ぶだろう。
「バミューダ? バミューダ・トライアングル?」
 魔の三角地帯。そこは、海難事故が多発するミステリーゾーンとして有名だ。その言葉がシャチのテレパシーだったとして、なぜシャチはそこから来たのだろうか。
「バミューダで……海難事故が多いのは、一万年前の、……事故の影響によるものだ」
 最初意味を掴みづらかったが、マリスは心に浮かんだ言葉を追いかけてみた。
「アトランティスはその事故で、一日で大陸が沈んだ」
 そうだ、夢の中でもアトランティスといっていた。あれは未来の出来事ではない。誰かが「レオ」と云っていた。確かに、「レオの時代」と聞いた記憶がある。占星術の星座時代で「獅子座の時代」といえば、今から一万年も前の昔。そうだ、アトランティス。それは、実際に過去にあった文明なのかもしれない。
「わずか一日で? 事故が原因で天変地異が?」
「……そう。天変地異には、二種類ある。……自然災害と、人為的なものと」
「昨日の地震は……」
「ここで起こった地震は自然現象の天災だ。千二百年前にも、この地域で同じレベルの地震が起こったと、我々の伝説で聞いた」
 主に話しかけてくるシャチの一頭が、意外な話をした。
「へぇ……あなた達詳しいのね」
 東北の小石川が地元の真帆は、千年前にもこの地域で、貞観地震が起こっていた事を知っていた。八六九年七月十三日のことだ。それをシャチが知っていたというのは、奇妙な感覚だった。
「地震で海底が地滑りを起こして、大きな津波が起こった。地球は、生きている」
 真帆は、自身のラボでガイア仮説について議論した事があった。地球は生きている、一個の生命体だという可能性についてである。津波をかぶって以来、真帆は自然の躍動の中に、地球が生命である事を何度も何度も実感してきた。
「けれど、アトランティスを一日で沈ませた災害は違った。しかもその影響は、今でも続いている。それが魔の海域、バミューダ・トライアングルを造り出して、人間の船や飛行機を飲み込んでいる。事故の影響は、一万年後の今でもバミューダ・トライアングルの時空を歪ませる結果を生んでいる……」
「その事故って?」
「アトランティスにあった、ある装置が誤作動を起こした。それは今でも作動し続け、あそこは我々の間でも、海の魔界になっている」
 バミューダ・トライアングルのミステリーについてシャチが言及するなんて、そんな馬鹿なと思うが、真帆は飢餓と喉の渇きで意識が昏倒し、シャチがしゃべっているように聞こえているのかもしれない。それは人間だけが信じる怪奇現象のはずだったが、「シャチ界」でも有名らしかった。
「どういうものなの?」
 真帆は、嫌な予感がした。
「その装置は、ツーオイ石というフリーエネルギーシステムだ。たった一つの魔法石が一国を養っていた。アトランティス人たちはその使い方を誤り、自分たちの住む大陸を一日で打ち砕いてしまった」
 真帆の嫌な予感は的中した。やはり、フリーエネルギーが災厄をもたらしたのだ。オカルトマニアの研究員の春日がよく言っていた。アメリカのエドガー・ケイシーという霊能者が詳しく書き残しているらしい。彼は、眠れる預言者と呼ばれている。それによると、アトランティスはフリーエネルギー社会だったらしい。
 今の時代にもよく似ているような気がするし、そのまま現代の科学文明を推し進めれば、アトランティスのような社会が訪れるのかもしれない。夢の中のアトランティスは、まだ沈んでいなかったが、この東日本一帯のように、いつか津波で沈むような気がした。あの女、マリス・ヴェスタはいつもその事を気にしていた。一万年前のアトランティスの崩壊は、人類の未来を映し出す。
 現代は、占星術ではアクエリアスの時代である。大学の占い好きが、カーディナル・クライマックスとか云ってたっけ。……それともうすぐ、スーパームーンが来る、とも。これらが、もし今回の地震と関係があるのだとしたら。月が地球に接近すると、自然現象に影響を及ぼすという理屈は、真帆でも信じられた。
 アトランティス、そしてこの津波。……すべてはガイアが生き物だからこそ起こった現象なのかもしれない。
「原始のヱデンの時代には、人間は自然と共存関係を築き、あるがままの姿で生きていた。だけど人間はいつのまにかその事実を忘却し、自己本位に生きるようになった。その時すでに、人間はヱデンを出ていったのだ。自らの足で。それから……人間は苦しみと共に娑婆に生きるようになった」
 シャチはそんな事を語った。
 バミューダ・トライアングルについては、一度、真帆も調べたことがあった。その時は否定的見解を出したのだが、研究所顧問の豆生田(まみゅーだ)教授よると、科学的根拠のある事実だということになる。
 そこでは飛んでいたはずの飛行機の編隊が忽然と姿を消したり、あるいは何十年も前に消えた船が突然姿を現したりするのだ。謎の発光現象、時空の歪み、そしてUFO多発地帯……。どれをとっても、現代の科学の常識からは説明できない現象だった。やはり、あの海域のミステリーゾーンの現象は真実なのかもしれない。
 しかし真帆が気になったのはシャチのいう、フリーエネルギー技術の事故、誤作動だ。それは、巨大な大陸を一日で破壊する程のエネルギーを発する装置である。
シャチは続けた。
「魔の海域、バミューダ・トライアングルの中心には、アクロポリスが存在している。そこには今も、ツーオイ石が存在している。黒き石、闇に穢れたツーオイ石の影響で、『海の魔界』になっている」
 海域の底で、海底遺跡が見つかったというニュースは真帆も聞いたことがある。
「今も……」
 アトランティス時代の闇のエネルギーの影響。魔の海域では、依然としてアトランティスで起こった出来事が継続していた。それが、「黒き石」だ。その石は、闇の役割を一手に引き受けた存在だった。さらに、バミューダ海域には幾つものクレーターが存在し、かつて彗星が衝突した跡なのだと、シャチは言った。
「一万年前、闇のエネルギーに乗っ取られたツーオイ石は海中に没し、一万年後の現在もなお、浄化の最中だ。それを、ツーオイ石自身が我々に語り、我々シャチ族の伝説として超音波放送で世界中に伝わった。海が、闇のヴリルに汚染された大地を治療する。シャチやクジラ達は、そこへ一万年の間立ち向かい、地球の浄化活動をサポートしてきた。シャチやクジラの歌やダンスは、人間のそれにも劣らない、見事な魔術浄化作用を持っている」
 それが、海の浄化を助けているという。そうした海域は世界中に幾つか存在するらしいが、シャチ達の情報共有ネットワークは、インターネット並に優れている。そのシャチ、鯨たちにとって、バミューダ海域は特に浄化しなければならないポイントの一つであるという。
 バミューダでは、ツーオイ石が闇のエネルギーに汚染され、暴走している面と正常に作動している面とがある。その正常に作動している部分のツーオイの、メッセージを届けに来たのだ、とシャチは言うのである。
「なぜあなたは、アトランティスのことを私に? あたし、夢で見たのよ、アトランティスのことを」
「思い出せたか? マリス・ヴェスタ」
「えっ」
「お前の名だ」
 確かに、夢の中で自分はそう呼ばれていた!  まさかシャチがバミューダ・トライアングルについて言及し、しかも臨死体験の内容を裏付けるとは。
 明晰夢だと思ったが、やはり死に掛けた真帆が見た臨死体験による前世記憶なのだ。真帆は今日までそんな事を信じた事も、意識した事さえなかった。いや、最初こそ臨死体験だったが、何度も目を覚まし、また目をつぶるうちに、夢の中でその続きが自然に見れるようになったのだ。まるで、一度開かれた扉をくぐるように。このシャチとの会話、飢餓による幻聴だという疑念はまだある。しかし……。
「お前の意識は時空を飛び越えた。この地域に人間が造った発電所が津波で事故を起こした影響で」
「……発電所の事故って?」
 見る見る意識がはっきりしてくる。
「まさか、神江の原発第一のことを言ってるの?」
「爆発が起こった。あの事故は、時空をゆがめる作用がある。人間は、結局いつも同じことを繰り返している……」
 しかしこのシャチは、なぜそんなことを知っているのか。
「ヱイリア・ドネの糸を、バミューダのツーオイ石から届けに来た。君の心にアマネセル姫が点火した火がまた灯るように」
 それが、バミューダから真帆に託すメッセンジャー・シャチのミッションだという。
「お前へのギフトだ。腕のゴールドルチルクォーツをこちらに」
 真帆は、黄金に輝くブレスを着けた右腕を、かろうじてシャチの頭に近づける。シャチからツーオイ石の記憶をもらうと、腕輪が光った。ブレスから身体にエネルギーが流れ込んでくる気がした。
「バミューダ海域に沈むツーオイ石から今日、お前に届けるようにと託された。ここにいる事は、プレヴェールが計算していた。灰色の天使よ」
「何……よ、その、言い方……」
 プレヴェール、聞いたことがある。まだ思い出せない。
「聖火リレーが、とうとう間に合ったな」
 シャチは笑っていた。
 その意味は良く分からないが、シャチはとにかく生きろと言っているらしかった。瀕死の真帆が、諦めの境地からなんとか立ちなろうという気になったのは、確かだ。
「これで……お前はツーオイとアクセスできる。記憶のネットワークが安定した。あの時代のことを、はっきりと思い出せるだろう」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み