▲ツーオイ石 アトランティスの墓標

文字数 12,596文字

 海面上に、巨大な物体が浮かんでいた。幻覚と実体の中間のような希薄な存在感があった。いつからそこにあったのだろうか。きっと、ブレスが輝き始めてからのことだろう。白い物体は、十メートル近くある透明なクリスタルの柱で、上に冠石が置かれていた。その透明な石柱は、暗くにごり、わずかに中心部分だけが白く輝いていた。
「マリス・ヴェスタよ……」
 クリスタル柱の中心から、突然女性の声が聞こえてきた。
「あなたが……ツーオイ石? その声、覚えている」
 よく見ると、白く輝く人の形が、クリスタルの中心に鎮座していた。小柄な女性だった。
「私はプレヴェール。ツーオイに宿りし者」
「あなた……どこで、会ったっけ。アトランティスの最後に会ったきりだったかな」
「えぇ……一万年ぶりね。今、あなたのゴールドルチルクォーツを通して、遠くから通信している。あなたが見ているツーオイ石の実物は、バミューダ海域深くに眠っているわ」
 真帆が見ているのは、映像のツーオイ石だった。
「あの時代、クリスタルが、一国を丸々養っていたのね」
「そうよ」
「私は、大学でフリーエネルギーを研究している。……このクリスタルのこと、詳しく教えてくれる?」
 真帆は、ブレスから流れ込んできたエネルギーの影響で、すっかり気力、体力を取り戻していた。これはツーオイ石と接続したことによる、フリーエネルギーの力なのだと実感した。もっとも、大学のメンバーに言っても理解できないだろう。
「えぇ。あなたはずっと昔から研究者だった。いつの時代もそう。かつてアリーナの近くに、太陽神殿があった。そこに、ツーオイ石が置かれていた」
 高さ二百メートル、底辺三百メートルの黄金に輝く、皇帝のシンボルたるアンクの魔術に守られた太陽神殿には、アトランティス最高の魔法石が鎮座していた。神殿の太陽ピラミッドの、水晶炉の重心室、絶縁石に囲まれた「中枢神経の間」に鎮座するツーオイ石は、高さ七メートル、幅三メートルもの巨大な人工クリスタルである。
「ツーオイ石は、見てのとおり、たった二つのパーツで出来ている。上部の冠石こと『火石』(ファイヤーストーン)と、下部の六角形のシリンダー水晶の二重構造よ。両方とも、あの時代に錬金術の結晶で造られた人工水晶で、対で陰陽を成している。人工とはいえ、完成したのは奇跡で、現代人の科学でも、二つと作り出すことはできない精度のもの」
 真帆は、この装置の仕組みを良く知っているような気がした。
「クリスタルが、フリーエネルギーを作り出す仕組みは?」
「下部のシリンダーが無限と有限を結び付け、大宇宙に遍在するヴリルを吸収する。それを、シリンダー水晶内のプリズムによって収斂し、そのヴリルを主としたエネルギーを上部の冠石へと吸い上げるの。冠石の特殊なカットによって、物質エネルギーとして様々な用途の波動エネルギーへと変換し、都市の各所へと送り出す……」
 太陽エネルギーを直接電力へと変換する特殊な石であり、それが水晶炉として、アクロポリス全体を潤す中央発電所になっていたらしい。太陽神殿にある、たった一個のツーオイ石だけでアクロポリスを丸々養え、都市のエネルギーが一極集中しているまさに「要石」だった。そこに鎮座するツーオイ石は、アクロポリス市内の情報網と中央発電の機能を併せ持っている。つまり後の世のインターネットと原子力発電所を合わせたようなものだ。ツーオイ石がエネルギーを一手に掌握するゆえに、アクロポリスに権力が集中し、アトランティスの官僚社会が成立していた。
「ツーオイという魔法石は、発電機のみならず、情報ネットワークの中枢神経でもあり、メインコンピュータでもあったのよ」
 ツーオイはまさに世界を支配し、コントロールできる偉大な魔法の石! ツーオイは単にアトランティスの権力集中の場だけではない。それを掌握する事は、真に世界を掌握する事だった。アトランティスのピラミッド社会のシンボルといえる最重要の施設だった。
「これは、アトランティスに、ずっと昔から存在していたの? いつから、あの国はクリスタルの社会になったの」
「シャフトのクーデター発生時より約五千年ほど昔、曙光期のアトランティスの大地には、多くの超巨大哺乳類たちが闊歩していた。アトランティス末期でも、郊外には今は存在しない数多くの象類が存在していたけど、原初の人々はそれら大怪獣の陰におびえて生活していた」
「マンモスや、サーベルタイガーのことね?」
「そうよ」
 大怪獣は、今は化石でしか見られない太古の大地を支配した恐竜たちにも匹敵するほど巨大で、極めて凶暴な人類の脅威だった。マンモスは身体が後世の象よりはるかに巨大であり、同時代のマストドンのような温厚な生き物ではない。毛むくじゃら、性格も獰猛で、容易に近づいてはならない怪獣だった。追いかけられれば、まるで山が迫ってくるような恐怖を人間に与えた。しかしマンモスだけではない。哺乳類も爬虫類も鳥類も、全てがケタ外れに巨大だった。
「太古のアトランティス人たちは恐れを込めて、それらを『大怪獣』と呼び、あるいは単に『獣(じゅう)』と呼んだわ。原始的な道具しか持たないひ弱な人間たちにとって、大怪獣たちは悪夢のような現実であり、彼らの餌にされたり、あるいは一方的に攻撃されないように逃げ回るより他はなかった……。そうして実際、数多くの人間たちが大怪獣の餌食になった」
「つまり、アトランティス初期の主な社会問題は、必然的に怪獣対策となったって訳ね」
「そうね。……人間たちはこれ以上自分達が肉食獣の餌にされ、マンモス達に踏みつぶされないようにと住居を転々とし、あるいは巨大な城壁を建設し、その中に籠ってひっそりと暮らす生活をさっさと終わらせたいと考えていた。そこで科学者を中心に様々な研究が行われ、クリスタルを使ったレーザー光線が開発され、兵器として日の目を見たの。同じころ、気球や飛行船が開発されると、初の空軍が編成され、空に集結し、上空からレーザーを撃って怪獣たちを追っ払った。こうしてアトランティスの科学文明は、大怪獣対策によって徐々に進歩していった……。次第に文明を手に入れた人間たちは、いよいよ人間社会を脅かす大怪獣の討伐に乗り出した」
 現代の科学文明にも通じる話だ。一万年前に起こった生物の大量絶滅。そして、地球史上第六番目の大量絶滅の原因もまた、現代の人間である。アトランティス人の巨大怪獣せん滅はその前哨であり、現代文明はアトランティスに酷似した業を背負った時代だといえる。今日、地球上に棲むおよそ五十パーセントの種が絶滅する事になると言われている。
「神より選ばれしアトランティス人は自然を征服し、自然の支配者でなければならない……かつてアトランティスで編纂された『ラ・アンセム(創世神賛歌)』に記された言葉よ。これは、その後のシャフトの神学になっていった」
 ラ・アンセムは、伝説のアデプト詩人達のグレイテスト・ヒッツを凝縮した叙事詩だという。自然への畏怖は、自然の征服という挑戦へと変わったのである。
「獣(じゅう)を制圧する方法が盛んに議論され、アトランティスの錬金術師たちはレーザーに加えて、錬金術の原型となっていく化学分野の成果を得て、爆弾の開発を進めたわ。地中深くガスを掘削し、大量のガス爆弾を使用して、大怪獣討伐作戦を実行する事にした。地上を這う大怪獣を一掃し、人間の国土とするために」
 かくて、大轟音と共に爆弾攻撃による人類側の反撃作戦が開始された。その結果、人類は始めて獣(じゅう)に勝利したのである。これが、「巨大怪獣撲滅の時代」。まさにそれは、創世神賛歌に特記されたアトランティス人の使命が実現した瞬間であった。ところがその直後、それは幻の勝利だったことが分かる。
「その時、最初のアトランティスに大洪水が起こった。一時の勝利に酔うアトランティス人をしり目に、自然界の猛反撃が襲った。……爆発と共に、ガス掘削の影響で地下深くの火山が爆発し、地震を誘発した。国土の大部分に津波が襲い、大陸は南北に引き裂かれたわ。広大な大陸は、北の島ルタと南の島ダィティヤに分かれた。膨大な災害は国土を削り、国土は縮小した。その代償はあまりに大きかった」
 この時からすでに、アトランティス人……つまり人類と自然界との分離は始まった。そういえるのかもしれない。
 広大なアヴァランギ平原を三方で囲む山脈は、みな火山だった。アクロポリスは各地で温泉が湧いていた。公共の温泉・冷泉は市民であれば無料で入り放題だ。それらは心身をいやしたり、治療に使われていた。強力なヒーリング効果のある「若返りの泉」もあった。それは地面の真下で依然、マグマが活動している事を意味していた。
「洪水はその後も続いた。その都度、アトランティスの国土は減少した」
 真帆は、その一部が聖書の大洪水として記されているのではないか、と想像した。
「二度目の大洪水は、クリスタルとピラミッド技術が進み、科学文明が絶頂に達した近代に起こった……。この頃、怪獣討伐で手に入れたテクノロジーの数々は最高水準に達し、その結果、アトランティス帝国の威光は世界に君臨した」
「それで、洪水は終わりじゃなかったのね」
「えぇ。近代アトランティスの夜明けの時代に、また洪水が起こったのよ」
 太陽エネルギーをクリスタルに集積し、ヴリルと呼ばれたそのエネルギーをレーザーや送信機を使って、都市の電気を賄うピラミッドが各地に建設された。無線やクリスタルの受信機を使ったラジオやテレビジョンも開発された。
 光線や各種エネルギーを、クリスタルのプリズムにかける事によって、農作物の遺伝子組み換えが可能になり、ヴリル及び遺伝子工学によって農業技術は飛躍的に向上した。
 二毛作・三毛作・四毛作。さらにそれ以上の短期間で植物を成長させる事が可能になり、巨大植物や様々な新種を開発する事ができた。亜熱帯地方のアトランティスは常夏であり、年中作物が取れることでも農業大国として恵まれていた。
 バナナや、今も原産地不明とされるトウモロコシはアトランティス人たちの「作品」だった。もともと自然界のバナナは果肉の薄いメロンに似た種類だったが、アトランティス人はそれを、今日の様なクリーミーな果実に仕上げた。それで「アトランティス・バナナ」と呼ばれていた。
「えぇ……バナナが? アトランティス人が作ったの?」
 真帆は笑った。
 アトランティス社会でバナナは大流行し、農業大国に弾みをつけるバナナ・ルネッサンスが起こったという。トウモロコシは、今日のバイオエタノールに似た利用法でも珍重されたらしい。
 このようなクリスタル・テクノロジーは錬金術の極致だった。文字通り、彼らは「自然の支配者」だった。
 科学と魔術が一体化した文明が完成し、その頃に、魔術官僚機構マギルドと共にシャフト評議会も誕生した。クリスタルを代表とする魔術科学を集大成したシャフト創始者の名は、大マギのロード・トートという。こうして、アトランティスに黄金時代が訪れた。
 当初霊的な目的で使用されたクリスタル技術は、アトランティスに起こった大規模な産業革命によって、次第に物質エネルギーに転化される様々な技術に利用され、遂に利己的な目的によって兵器化した。
「けれども、錬金術の科学文明を謳歌した近代アトランティスの夜明けに、再び大陸の地中深くのマグマの沸騰が起こった。それは火山の爆発を誘発し、その結果、巨大地震と共にアトランティスの科学文明に再び大洪水が襲いかかった……。かつて広大だったアトランティス大陸は、南のダィティヤが海中に没し、北のルタも、五つの小大陸と群島に分かれたのよ」
 こうして帝国末期には、遺伝子組み換え作物の田園風景が広がる広大な平原に二千万の人口を抱え、百万都市アクロポリスがある小大陸アヴァランギ(アリオン)、巨人たちの島オグ(オズ)、エリュテイア、「楽しき都」マグ・メル、そして「常若の国」アヴァロンが残された。総人口は六千四百万人ほどだった。
 この時、国土は以前の三分の一にまで減少したのである。多くの人が亡くなり、国外へと脱出していった。残った人々は貧困と混乱にあえぎながら、エネルギーシステムの再構築によって、素早く立ち直っていった。
「最上の都……アクロポリス、別名アルタはその名の通り、かつて小高い丘の上に位置していた都市だったわ」
「なるほど」
「水位の上昇によって、海辺に面した都市へと変貌を遂げた、という訳。高いところにあったにも関わらず、同心円状の運河はその当時から存在していた。それは末期に、海へと直結した」
 同心円の地形は、内側の円にいくに従ってそれぞれ三十メートルずつせりあがっていて、離れてみると緩やかなピラミッドのようになっていた。
「神より選ばれしアトランティス人は、自然を支配する権利を有する。その神学を持った彼らにとって、実にゆゆしき事態だった。シャフトでは、この原因について様々な議論がなされた。その中で、最有力の原因として浮上したのが、唯物主義の台頭だったのよ」
 近代化以後、高度なクリスタル科学文明の発展と共に、魔術科学文明の方向性について、盛んに議論がなされた。その中で大きく育っていったのが唯物論……つまりヴリルを基底としない科学主義者たちだった。ヴリルの存在は認めても、それを乱用するような社会を認めない、ある意味で開明的とも言えるグループが台頭し、それと共に奇妙なことにアナーキズムが流行した。
 それは、アトランティス社会を破壊する道徳的荒廃と見なされた。これと天変地異との因果関係は解明されなかったが、禁じられた黒魔術の復活ではないかと噂された。
「黒魔術……アトラス帝が処刑された理由が、確かそれだった」
「そう。黒魔術は、魔術科学を光の方向にではなく、闇の方向へと利用する『宇宙の犯罪』。神への反逆行為である黒魔術は、シャフトによって明確に禁止されていた。こうして唯物主義者……アナーキストは古代のソーサラー達と同様に、邪神アポフィスが操っているとされ、第二の破壊と無関係ではないと結論付けられた。これ以後、この大帝国では神秘科学に敵対する唯物主義を禁ずるという法が成立した。何が是で何が非かを判断するシャフトの現体制は、この時に確立したといえるわね」
 「創世神賛歌」を含む数々の聖典の教義の整備、シャフト法典、魔術科学の主要学説も確立した。そうして過去、アトランティス社会を混乱させ、大陸を破壊に導いた唯物主義は、国を滅ぼす邪法として禁止され、唯物主義者はシャフトによって徹底的に弾圧されて滅んだのである。
「その時に結成されたのが、シャフトの秘密警察、保安省セクリターツ。マリス、あなたが所属していた役職」
「……」
「大流行したアナーキストと対抗するために、セクリターツにはえりすぐりの魔術科学者たちが集められた。このツーオイ石は、彼らによって逮捕された唯物主義者たちの尋問のために使用された。間違った使われ方よ。その時代これは、『恐怖の水晶体』と恐れられていた。近代以後は、尋問目的のツーオイ石の使用はドルイド僧団によって禁じられたんだけど、水晶体の恐るべき側面として長く、人々の記憶にとどめられていた」
 秘密警察なんて、いつの時代でも、決していい響きを以って聞こえてこない。そこに自分が所属していたと思うと、嫌な感覚しか残らない。
 胸糞が悪くなる一方で、真帆はあることを思い出した。それはマリス・ヴェスタが皇帝処刑後のアトランティスで、シャフト議長が兵士達を前に演説している式典に参加している情景だ。その時、戦争が始まろうとしていた。
「ツーオイ石は、戦争に使われたの? もしかして」
「……ある問題が起こったの。ツーオイ石が評議会に反乱を起こしたのよ」
 プレヴェールとツーオイ石は眩く発光し、たちまち、マリスの視界から掻き消えていった。海も、波の音も、シャチの背びれも何もかもが消えていく。

「その時のこと、もう一度観て御覧なさい……」

紀元前八〇八七年九月一日

 統率された兵士たちが出兵して一ヶ月あまりが経過した。だが、依然として海戦は始まらなかった。アトランティス海軍の動きを察し、ガデイラの要塞からヘラス海軍がすぐさま出陣した。両者は洋上でにらみ合ったまま動かなかった。そこにはアトランティス海軍の抱える重要な問題があった。それは軍のヴリルのエネルギーチャージの問題だった。
 海軍の出兵を見送ったシャフト評議会は、次なる仕事にかかっていた。評議会の開催により、王家の所轄する太陽ピラミッド内にある水晶炉(クリスタルリアクター)を軍事利用する決定がなされた。
 シクトゥス4D議長は太陽神殿、太陽ピラミッドを管理しているドルイド教団に対し、明け渡しを要請した。ところがドルイド僧たちは、これを拒否した。今の時世にシャフトに逆らう事は、イコール死を意味するにも関わらずに。問題は、ピラミッドに入り口が全くないということだ。ピラミッド自体が、「意思」を持っていて中に人を入れようとしない限り、いくらそこから破壊工作を行ったところで、中の部屋へと通ずる通路には、魔術の結界に守られて入れないのである。
 だがこの重要な拠点を、かれこれ一ヶ月の間、シャフトはまだ手に入れていなかったのだ。
 太陽ピラミッドは、シャフト元老院からなるドルイド教団によって厳重に守られ、その権威はシャフトから独立していた。「元老院」とはいうものの、ただのシャフトのOBや天下り的なものとは全く性質が異なり、極めて特殊なアデプトに位置するマスター達で構成されている。
 アトランティスにおけるドルイド僧は、政治とは一線を画す神聖不可侵な存在だった。エジプトのヘリオポリス地下にヱデンが眠り、それがアトランティスを救うと記された古文書を保管しているのも、このドルイド教団だった。
 シャフトが錬金術を卑金属から貴金属へと元素転換するなど、実用的な魔術科学として使用する一方において、ドルイド教団は、古代から一貫して「一体性の法則」を治めた人々であり、錬金術によって人間を不老不死の世界へと導く研究のために使用した。
 夕日を浴びた黄金ピラミッド神殿で、ドルイドの僧侶が瞑想している姿がよく見られた。瞑想する彼らは動かず、やや宙に浮いているのが特徴だった。
 彼らは古代から続く精神修練のためのクリスタル使用を重んじ、彼らでなければ、ツーオイ石を自在にコントロールする事は不可能とされた。なぜならツーオイ石は「生きている」からであり、生きた石は、元老院・ドルイド僧の作法にのみ恭順するのだ。ただしその解釈は、シャフトの側では公式に認められてはおらず、評議会としては、ツーオイ石は半永久的に半ば「自動的に稼働」しているはずだった。

「軍が、動かないのだ……。船にヴリルが送られて来ないらしい。それで、飛行戦艦は通常航行しかできない。スピードがおよそ十分の一に遅くなっている。砲撃も控えているし、ヴィマナも飛ばせない」
 カンディヌスはあきれた様にマリス・ヴェスタに言った。
「ツーオイ石が反乱を起こしたんだ。それで、上はバタバタだ」
 トートアヌム大学の研究室で、二人はクリスタルを見つめている。情報統制で、オーケアノス洋の情勢が全くつかめない。
「なんとかしなきゃ……」
 一方で、秘密警察によるテロ残党の捜査は難航していた。ドルイド僧団とテロリストが繋がっているという情報が出ていたが、その証拠は何もなかった。
「ドルイドは道心堅固だ。いくら犯人扱いしたところで、死をいとわない僧たちを俺達が改心させることなどできん。……全く! 議長も後先考えずに行動するからな。このままじゃ軍はガデイラで全滅さ。下らん聖戦どころじゃ……」
 カンディヌスはこのところ、評議会に批判的だった。それは、マリスも同じだった。早くも撤退論が出ているらしかった。
「ドルイド達は、シャフト新政府を、はっきりと否定的したんでしょうか?」
「……おそらくは。全くツーオイ石を敵に回したんじゃ、勝てっこないな。百年前のヴィクトリア津波以来、アトランティスに大災害が起こっていなかったのは、ドルイドがツーオイ石を厳重に管理していたからだ。ツーオイ石は一体性の法則の元に管理されなければならないという彼らの主張は、正しいものだろう」
 百年前、ヴィクトリア地方大地震が襲った。その後の巨大津波は、この国を襲った最後の国土崩落の大災害だった。地震の被害で、ヴィクトリアにあったクリスタル発電所が凄まじい大爆発を起こした。
 その事故は各地のクリスタル発電所に連鎖反応を起こし、遂にはアクロポリスの都市中枢にあるツーオイ石までダウンし、大規模な停電を起こした。復旧までおよそ二週間かかったという。
 各クリスタルはネットワークでつながっている。それは、アクロポリス市民をしてアトランティス帝国の滅亡へのアポカリプスという、恐怖のどん底へと叩き落した。しかし、なぜヴィクトリア・クリスタルがツーオイ中枢まで影響を及ぼしたのかについては分かっていない。
 事実これまでの百年間、僧団の言う通り、ツーオイ石は一体性の法則に基づいて、平和利用のみに限定されてきた。「恐怖の水晶体」としての役割は封じられてきたのだ。
 「光の実」ともいわれ、それは光ヴリルを受信するための装置なのだった。教団に伝わる古からのビジョンロジック(予言)によれば、このクリスタルが沈みゆくアトランティスの危機を救うと言われてきた。逆に言うと、これをシャフトのように戦争目的で使うなどもっての他という事を意味した。なぜならそれは光ではなく、闇を呼び込む行為だからである。もしこのような「闇のベクトル」にツーオイ石を使った時は、アトランティスの滅亡を促進するだろうと予言されていた。
 実際のところシャフトの内部でさえも、この議長の水晶炉の軍事利用に対して、意を唱える者たちは少なくなかった。だが今や、シクトゥス議長に逆らう者は、皇帝と同じ運命をたどることであり、それでもなお反対を唱えようとする者たちは、シャフトとの対立を余儀なくされた。

 数日後、シャフト保安省セクリターツのカトージ・ハウザー長官は、ドルイド教団の逮捕に踏み切った。
 マリス・ヴェスタも所属するセクリターツは、この国の警察力として最強と恐れられる戦闘集団だ。これに対抗しうる者は、王家の近衛隊が滅亡した今となってはどこにも存在しない。それ以外では、唯一の対抗勢力となりえた情熱党との戦いにおいても、彼らを壊滅させ、死に追いやった。
 セクリターツに属する者は、誰もが恐るべき能力者だった。ハウザー長官を初めとし、ラムダ・シュナイダー大佐、イゾラ・マジョーレ中佐、マグガリスなど、いずれも攻撃力の高い魔術科学を心得たマギたち。基本的に好戦的民族といえるアトランティス人の中でも、戦いに特化した集団がセクリターツの部隊なのだ。
「ドルイド僧団はシャフト新政府にとって極めてやっかいな事に、皇帝家の教義を支持していた事が判明した! それとイコールの元老院も、シャフト政権を認めず、痛烈にシャフト新体制を批判した。それが、テロリストの残党と繋がり、ラグナロックを妨害し、今日のオーケアノス洋上の軍の危機に及んでいる……」
 シャフトの始めたヘラスとの「聖戦」には、海軍の基本的な原動力としてツーオイ石の送信するヴリル・エネルギーが欠かせないばかりか、さらにツーオイ石の軍事利用たるヴリルを使用した雷兵器、あるいは気象兵器、地震兵器ともなりうるヴリル・デストロイヤーは、ラグナロックの最終兵器となるはずだった。ラグナロック作戦はゲリラ戦に長けたヘラスを最終的に倒す為に、ツーオイ石を使った兵器を使用する事を前提としていた。
 むろん基本的な推進エネルギーは現状でも確保できているが、今後とも海軍と、それに伴って出兵した空軍とに、安定的にヴリルを送信し続けなければならない。もしもドルイドのアデプト達が言うようにツーオイ石に「意思」が宿っていて、最低限のエネルギーを軍に送る事さえも拒否し始めたら、飛行船も船も推進力を失って漂い始め、アトランティス軍は戦いの前に敗北する。シクトゥスは、水晶炉を占拠する前に見切り発車で海軍を出陣させた訳だが、敵と交戦する以前から背水の陣で臨んでいた、……といえば聞こえがいいが。
 よってツーオイ石を何としても制さない限り、シャフトはアトランティス帝国を掌握した事にならず、自分たちの未来もなかった。だからこそ停戦条約を破棄したにも関わらず、まだ戦を仕掛けていないのだった。
 ただ皇帝を処刑しただけでは、クーデターは成功とは言えず、それは始まりに過ぎなかったのである。シャフト評議会とドルイド僧団、両者の対立がきわまった今、まさに太陽ピラミッドを巡る後半戦の戦いが始まろうとしていた。

 ハウザー長官を先頭に、アクロポリスの要衝・太陽ピラミッドにセクリターツの部隊が向かった。
 カンディヌスとマリス・ヴェスタは、参加を要請された。マリスは、自分の技術をもってしてもツーオイ石とアクセスできるかどうか、全く自信はなかった。しかし、マリスはシャフトの思惑とは別に、ツーオイ石への強い関心があった。
『もしも私の持てる技術で、ツーオイ石と繋がることができたら……今起こっているアトランティスの問題を、全て解決できるような気がする』
 その秘めたる想いは、カンディヌスにも伝えていない。カンディヌス同様、マリスはもうシャフトに大した期待をしていなかった。問題解決の糸口を、自分で探し出すつもりだった。
 隙間一つない人工クリスタル製の外壁が、太陽の光で虹色に輝いていた。太陽ピラミッドの占拠に、武力的抵抗はおそらくないと考えられたが、ドルイド僧の厄介さは力の行使とは別の所にあった。
 堅牢な信念、つまりアトランティス人の中でさえ異例ともいえるほどの精神性の高さである。精神性とは、魔術的抵抗を意味していない。つまり彼らは「非協力」という抵抗でシャフトを拒んでいた。彼らは秘教的意味で重要な秘密を数々握るグループである故に、それは極めて強力な抵抗手段だった。
「ギデオン僧長、いつまで沈黙を守っておられる? ここは皇帝家の所轄から、シャフトへと引き渡されている。ツーオイ石はドルイド達の私物ではない。即刻、ピラミッドを開放せよ!」
 迫りくる武装兵と戦闘的魔術集団を目前にして、ピラミッドが突然輝きを放った。
「陛下を殺したお前たちこそが、黒魔術師である!」
 ドルイドを束ねるギデオン僧長の声が響き渡った。彼は始めて、公然と毅然とセクリターツおよび、議長を名指した上で痛烈に批判する放送を流した。
「魔法石が生きている事を知らず、『間の子』、半獣半人キメラたちを『物』や『機械』として差別し、使役しているお前たちは、世界と分離している。それは、一体性の法則からの堕落に他ならない! そしてツーオイ石がシャフトに、『心を開く』ことは絶対にない。それが叶わねば、ツーオイのデータコアへとアクセスし、水晶炉を自由に動かすことなど決してできない。アトランティス軍は、オーケアノス洋上で滅びるがいい!」
「……話し合いに応じる様子はない、か。やむをえんな」
 もはや両者の対立は不可避だった。間もなくこのアクロポリスで、再び凄惨な虐殺が始まる事を、マリスは予想した。

    * * *

 真帆は、シャチ達の鳴き声で上体を起こした。日はすでに高く上っている。昼間のうちはいいが、夜になれば今度こそ低体温症で死んでしまうだろう。
「そうだ。あきらめちゃいけない……何としても生き伸びなきゃ」
 真帆は辺りを見回した。ツーオイ石の幻影は、どこにも見当たらなかった。シャチが周りに居てくれたのは、何より真帆を安堵させた。
「私を陸まで連れて行って」
 真帆がシャチに催促すると、真帆を乗せた大黒柱と板切れは、その周りを囲んだ五頭のシャチによって動き出した。シャチの群れは、勢いよく海上を駆り出し、やがて見えてきた岸まで向かって、真帆を運んでいった。

 真帆は大黒柱に乗って、海岸に打ち上げられた。
 そこに自衛官が立っていた。彼は、真帆を見て駆け寄ってきた。防護マスクをつけていた。
『助かった……』
 声はまだ出ないので、自衛官にジェスチャーで喉が渇いていることを伝えた。差し出された水筒の水を、真帆はほとんどこぼしながら飲んだ。
 篠田一曹と名乗る、三十台半ばの陸上自衛隊員によると、二十万人もの自衛隊員が東北の被災地に派遣されたのだという。そこは、神江県神江市だった。ずいぶんと南まで流されたものだ。シャチが助けてくれなかったら、どうなっていたか分からない。おそらく、死んでいただろう。
 篠田は一人だった。二人はジープに乗った。篠田は、真帆に防護マスクを着けるように言った。
「神江原発第一が、爆発したんです」
 町は、跡形もなく押し流され、巨大な瓦礫の山と化していた。助手席で揺らされながら、真帆は震える手でおにぎりを口に運んだ。
 疲れと、安心で急に眠くなってきた。

「あの後、テロリスト達はどうなったんだろう。……ヱメラリーダは、どうなったんだろう?」
 真帆には疑問があった。処刑された彼らは、本当に悪人だったのか? どう考えても、世界大戦を企てるシャフト側の方が、悪人に見える。そのシャフトにマリス・ヴェスタは所属していた。シャチが、自分のことを「灰色の天使」などと呼んだこと。
 真帆は、マリスだった自分の過去世の姿を通してしか、アトランティス社会の実相を見ることができなかった。他の人間の情景を見ることができたら……。
「どこ……? まだ居るかしら」
 夢うつつの中、真帆はブレスに問いかけるようにして、プレヴェールの存在を捜し求めた。
「私はずっとあなたの傍にいるわよ。気になるのね? ツーオイ石に、聞いてみましょうか。偉大な魔法石は、一人ひとりが持っていたアミュレットのネットワークを通して、全員と繋がっていた。それで、アトランティスの全てを記憶している。いずれこの時代で、あなたは出会うことになる……」
 篠田一曹が運転する軍用ジープの流れる景色を見つめながら、プレヴェールの声を聞いた。寝ているような起きているような状態。真帆は傍から見れば心ここにあらず、という感じに見えるはずだ。
「……では、彼らの記録を見せてあげましょう」
 起きたまま、脳裏にアクロポリスが見えてきた。そこから都市の地下へと映像が切り替わっていく。
 どうやらツーオイ石とつながったことによって、真帆の臨死体験は白昼夢の形を取って現れたらしい。
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