▲今日は人生最高の日

文字数 5,953文字



 このまま走れば追いつく気がする。今度こそ思い切り抱きつこう。二人でヱデンからやり直すんだ。カンディヌスと。はやる気持ちのマリスは人の姿に戻って走り続けた。
 激しい爆発音が響いた。音の方へと慎重に近づき、マリスは立ち止った。
 カンディヌスだ! 今度こそさっきのリベンジを。カンディヌスはイゾラ隊と共に、アルコン達と戦闘を繰り広げていた。イゾラはここで円卓をも始末するつもりだった。アルコン達は次第に追い詰められた。
 カンディヌスの光線銃がアルコンを射撃した。ハッとしたマリスの左手は、それ以前にカンディヌスを撃っていた。マリスはサイコ・ブラスターを左右どちらの手でも撃つ事が出来る。だがそのとっさの判断を、なぜしてしまったのか。自分で自分が分からない。今、しかし、アルコンらを死なせる訳にはいかない、という気持ちが湧き起こっていた。しかしその刹那、別の事が起こった。マリスの身体が撃ち抜かれていた。倒れつつあったカンディヌスのブラスターが再び撃ち返していたのだ。
 アルコンはハッとした表情を浮かべたが、瞬時に状況を把握した。マリスのお陰で撤退のチャンスが出来た。その機を逃すわけにはいかない。仲間に促されるまま、アルコン達は保安省のローバーを奪取すると、その場を立ち去った。イゾラ隊は二人を放置したまま、アルコン達を追撃した。
 アルコンが保安省から奪ったローバーに乗って走り去る中、アマネセル姫は、マリスの断末魔の悲しみをテレパシーで受信していた。鋭い痛みを感じながら、死の危機に瀕したマリスを救わなければ、と焦燥感に駆られる。体力を消耗しているせいで、それをアルコンに訴える事ができない。イゾラのロードマスター隊に追撃されている中、もう一度あの場所へ戻るのは現実的ではなかった。自分達にできる事……それは、大神殿へと行き、ツーオイ石にプレベールを戻す事に他ならない。

 風の音だけが響き、動くものはなかった。マリスはじりじりと倒れたカンディヌスに這っていった。服だけでなく、豪奢な髪も白い顔も砂塵でまみれている。そこへ汗が流れていった。
「私、あなたと結ばれればきっと分かり合えるんだと思ってた。真実をね。二人でヱデンを作る為ならプレベールを渡せる。でもそれは、議長に渡す為じゃない。ヱデンは外の世界にはない。心の中にある。それはあたしとあなたなら、分かるでしょう? ほら……カンディヌス、黄金のリンゴだよ。アヴァロンのリンゴ畑の中にあったんだ。ずっと渡せなくってさ。あなたに食べてもらおうと思って、ね。二人で……これからヱデンを造ろう」
 マリスは懐から黄金の実を取り出した。震える手で差し出し涙をこぼした。血の気が抜けた腕は力が抜け、指先から地面に転がった。もぎ取ってから時間が経つのに、依然として光り輝いていた。
 新たなアダムとイブとなって、リンゴを食べて子供を育てたい。マリスはそう願っていた。しかし健康な子供が生まれる実は永遠の実、すでにアマネセル姫が食べている。だから、姫は回復したのだ。とするとマリスが持っているのは智恵の実の方だ。
「……ここでヱデンを造るんだよ。私と一緒に。ヱイリア・ドネとダイナモみたいにね。皇帝にも情熱党にも、円卓にも。そしてシャフトにも出来なかった事が、私達二人にはできるはず。絶対に。それが私の本当の気持ち。私の計画だよ。そのためなら、あなたにプレベールを差し出すことができる。それを、私達二人の子供として育てよう。そうすれば今にあなたにも分かる。愛してるから」
 混乱の渦中にあって、マリスの作戦は着々と進行していた。死が迫ったこの瞬間にも。マリスはもはや焔の円卓のみならず、シャフトに対しても完全な裏切り者だった。マリスは信じていた。このアトランティスの中で、たった一人の同志・カンディヌス。ようやく本物の彼に再会できた。マリスはまだ、カンディヌスと共にシャフトと円卓の両方を出しぬけると考えていた。二人の力が無尽蔵だと思っていた。アガペーの教えに気付きながらも、シャフトへの忠誠を貫いたカンディヌスであったとしても、議長の問題を度外視してでも彼を探したのは、只ひとえに、目の前のカンディヌスへの想いがあったからに他ならない。
 マリスはまだ、二人でならクリスタル事故を阻止できると云った。このまま、むざむざ事故を見過ごすわけにはいかない。その為に、かりそめでもいいから焔の円卓に戻ろうと誘うのだった。さっきは一人でやろうと決心したのに、カンディヌスを見て考えが変わっている。「敵の敵は味方」という論理だけで、彼を誘えるとは到底思えなかったが。マリスは完全に皇帝派に寝返った訳ではない。
カンディヌスは首を横に振った。
「私達は本当にアトラス帝の、大帝の教えを知った。二人でね。忘れようにも忘れられない。このチャクラが覚えている。決して幻想なんかじゃない」
「お前……プレベールはどうした?」
「あなたに渡したわ」
「何? それは俺じゃない」
 マリスははっとした。おかしい。さっきのは偽者。フレスヴェルグだったのか!
「議長だったなんて……わたしはあなたに会ったはず。それなのに。そんな……あれが、議長が変身した偽者だったなんて、そんな馬鹿な!」
 偽者が言ったとおり、議長は生きていた。イゾラはカンディヌスと別れた直後、すぐまた別のカンディヌスに出会ったのである。イゾラは混乱すると同時に、安堵した。先程別れた方が議長だった事に気付き、確かに議長は生きていると確信したからだ。もう一人のカンディヌスに会って、殺せばいい。そこへ、さらに「幸いな事」が起こった。彼らは、プレベールとアマネセルを連れたアルコン達を発見した。
 見抜けなかった。自分が情けない。いいやそうではない。見抜いていた。幾ら外見や雰囲気を似せても、決して隠しきれないその邪悪な波動。その相手が、議長が化けたカンディヌスである事に気付いていたはずなのに、マリス・ヴェスタは油断した。言葉の端々に違和感を感じていながら。自らも金色の瞳を持った灰色の猫になり、がれきの中を疾走しながら、議長のトリックには気づかなかったのだった。二人の作戦が議長にばれて、プレベールを奪われた。ならばもはや二人の作戦は終わりだ。
「俺はヤツに捕まったんだ。俺たち二人のヴリル・エネルギーは議長に筒抜けだ。こうしている内にもな。だからこのチームはもう終わりだ。もちろんお前に偽者をつかまされたレジスタンスにも、事故は止められない。逆に、促進してしまうだろう。だから、やるならお前一人でいかなくてはいけない。プレベールを取り返すんだ」
「そんな……」
「一つ、聞いていいか」
「何?」
「お前は、いつからレジスタンスの、いいやアトラス帝の教えを信じ始めていた?」
「アリーナの、処刑の時から」
「それはなぜだ?」
「それは」
 マリスは逡巡してから言った。
「あの時、空が青かったから」
「……フッ。そうか。人選を誤ったかもな」
 マリスが寝返るのは宿命だったかもしれない。
「最後に私も教えて欲しい。カンディヌス。どうしてあなたは私を彼らに送り込んだの? あなたも、シャフトに絶望していたからでしょ」
 帝の教えなど信じていなかったにも関わらず、カンディヌスは結局のところ、シャフトへの妨害をマリスにさせていたのも同然だ。議長の野望に与しつつ、しかしその実、カンディヌス自身、帝の処刑時からずっと葛藤してきたのだ。
「それなら、円卓に全てを話して、二人で円卓に」
「今さら円卓の騎士になどになれるものか! ハハ……ハハハ。俺は、奴らにとって、この国土と共に滅びる事を選択した愚かなシャフトの一員でしかない」
「姫は……そんな女性(ひと)じゃない。きっとあなたを受け入れてくださる」
 カンディヌスは黙して首を横に振る。
「じゃあ、あなたは結局議長の言う通りに?」
「そうとも。俺たちの計画は途中で見破られた。お前が感じているとおり。それが事実だ。これ以上操られるのはごめんだ! だったら俺はな、俺はもう、何もしない。何も、何一つ。何かすれば、それは結局奴に操られる事になる。このまま死ぬ瞬間まで、この国を見届けてやるつもりだ。俺達アトランティス人が滅んでいく様(ざま)をな。もっともこの様では、この国の最期は拝めんかもしれん。この国は滅びる。最初からその予感はあったんだ。だから見てやるつもりだ。俺はここで一人で、一体どうやって滅んでいくのかを」
 今まで二人でシャフトを倒すべく戦っていたはずのカンディヌスは、もうヤツらに利用されるのは真っ平ごめんだと決別し、反撃を開始した矢先、死に瀕していた。そしてカンディヌスは「一人で」と言ったのだ。
「そんな、そんな感傷、認められない。そんな滅びの美学じみた言葉。行動すれば何かが変わる。妨害されるなら、私が絶対何とか阻止する。絶対に。早く……傷の手当てをしないと。これが永遠の実でないかもしれないけれど、とにかく食べてみて。アトランティス人の一人として、事故を止めなくてはいけない。それを知っている立場なら。私と一緒に、事故を止めに行って」
「そいつは残念ながら智恵の実だ、マリス。俺たちは一度コントロールされた以上、もうお前と共に計画を続行する事なんてできないんだ。二人で行動すれば何もかも議長に悟られる。敵を出しぬけない。計画の続きは、お前一人でやるしかない」
 マリスが散々に語り、そして以前に二人が結ばれ知ったはずの真実を、この街を包むヴリトラの闇で覆い隠すことなんてできないはずだ。偽議長に扮していたネクロマンサーなぞに、邪魔される訳にいかないのだ。
「俺はもう……ユグドラシルにもトートアヌムにも、太陽神殿にも戻る事はできん。俺たち二人には解けない魔術が仕掛けられているのだろう。俺達の計画も夢もそこで終わりだ。だからお前が一人でツーオイまで行って、プレベールを何とかしろ。それしかない。俺の事は諦めるんだ。俺達がこの世界を……救うためには、二度と結ばれてはいけない運命だ! だから俺たちはもう二人で行動してはこの国は駄目なんだ、お前一人で行けッ!」
 カンディヌスはこんなにも抵抗している。たとえ王党派の方が真実だと分かった処で、議長に操られ、もうシャフトを出し抜くことはできない。しかし議長の仕業だけなのか。カンディヌスは皇帝の教えの正しさに気付きつつ、今さら一緒に行動など出来ないのだ。二人で知ったアガペーが真実だからこそ、良くも悪くもマギルドの教義がアイデンティティと化しているこれまでの自分自身をも全否定する事になってしまう。だから今さら認める訳にはいかない。マリスは、そのカンディヌスの変わらぬ信念を読み取った。
 カンディヌスの右手にはまだサイコ・ブラスターが握られている。二人が結ばれないのなら、その時は……事故を阻止するためにどんな障害も排除すると、マリスの論理思考は結論している。
 万が一にもカンディヌスに撃たれる訳にはいかなかった。マリスは今死ぬわけにはいかないのだ。レジスタンスに不可能な以上、この手で、クリスタル・リアクター事故を止めるまでは。
 カンディヌスは力の限り話し終わると、ブラスターを落とした。マリスを決意させるために銃を突きつけていただけだった。そうして自分のクリスタルをマリスに託した。烏は鷹に襲われていた。
 二人の間に無言の刻が刻まれていく。こうしている間も、二人は死への道を一刻一刻歩んでいるのだ。
「プレベールを渡してしまったのは、わたしのミスよ。わたし達は議長を利用しているつもりで、議長に操られていた。皇帝はかつてこの国にヱデンを造ろうとした。そう、いいやそうよ。陛下は言っていた。ヱデンもメサイアも、心の中にあった。それが帝のいうヱデンだった。そこにしか存在しない。でもシャフトはそう考えない。なぜなら皇帝の作るヱデンには自分達の居場所がなかったから。だから、彼らは外にヱデンを求めるしかなかった。陛下を殺して。議長はヱデンを、世界征服して手に入る物だと思い込んでいた。アトランティス人はどうしてそんなにヱデンが欲しいのか? わたしも、ヱデンを求めてきたのかもしれない。ヱデンなんて……私とあなたが、新世界のアダムとイブになればいい。そうでしょう?」
「確かに、その通りだ」
 カンディヌスは微笑んでいた。
「アセンションか滅亡か。アガペーのヴォルテージが上がらなければ、アセンションはできない。そればかりか、アトランティスは海中へと沈んでいく。それが分からないから私達は滅びつつある。やっぱり皇帝は正しかったよ、カンディヌス。私もあなたも愚かなアトランティス人の一人なんだ」
 結局、自分と結ばれたくらいでは彼を救えなかった。いいや、自分達を。カンディヌスとは、分かち合えない。その結果、二人が決して結ばれない事も。
 マリス・ヴェスタとカンディヌスは光と闇の対立を迎えつつ、逆説的な統合、すなわち愛を分かち合ったはずだった。一度は二元性の対立を超えたものの、それを超えることなく全ては終わった。これで焔の円卓の秘密は、シャフトに漏れる事はないだろう。
 マリスは黄金の実を拾い上げ、カンディヌスの口に運んだが、もう紫色の唇は動かない。肉体からヴリルが去った事を感じる。
 一人残されたマリスは、黄金の実を口にした。時間をかけて芯になるまで食べ尽くすと、少しずつ体力が戻って来た。傷は痛むが何とか歩けそうだ。幸いなことに、やっぱりこれも「永遠の実」だった、らしい。ありがたい。あの島で見つけた実は、二つとも永遠の実だったのだ。なら、もう一方の智恵の実は一体どこにあるのだろう。あの島の、どこかにあるのか。今はそれについてゆっくり考えている暇はない。
もう立ち去るしかなかった。カンディヌスへの想いはあったが、その想いをここへ置いて、たった一人でも事故を阻止しなければならないのだ。心配しないでカンディヌス。実は私、本物を渡してはいない。あなたの偽者だって気づいてなかったのに、不思議ね。なぜなんだろう。本当は本物は渡していないんだ。何か変だって気づいていたのかも。フフフ、だから、安心して。さっきも用心で本当の事は言えなかったよ……。ヤツに通じてしまうから。ごめん。
 そうだ、カンディヌスの言うとおり。私がやるしかないんだ! 私がやるしかないんだ! マリスは泣きながら猫になって走り始めた。
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