▼神江 私を百年前へ連れてって

文字数 4,709文字

アクエリアスの時代 二〇一一年三月十五日

 神江に、八木真帆は立っている。
(……そうか。それが「ここ」か! 「わたし」はプレベールと一緒にラ・レミュルー、ムー、そしてエデナの古代核戦争へと行けたのに、アトランティスを救えるはずだった百年前には行けなかった。けど、ツーオイが私の頼みを拒否した訳じゃない。プレベールは私の頼みを聞いていた。わたしの……百年前へ連れて行って、という望みを。私は、ツーオイ石に命じ、つまりマリス・ヴェスタは百年前じゃなくて『一万年後の百年前』に来た。正確にいうと現代文明の科学力が絶頂期となる百年前に。そうなんだ、今はアトランティス末期でいうと百年前に違いない)
 二〇一一年三月十一日に起こった大震災の津波で、神江原発第一は事故を起こした。放射能が飛散し、真帆の第二の故郷は汚染された。すでに日本は先の大戦で、アメリカ軍の手で広島と長崎に核兵器を落とされていた。アトランティス人から見て未来人は「核戦争」を経験しているのだ。また、アメリカでも度重なる核実験による兵士たちの被爆やスリーマイル事故、ソ連におけるチェルノブイリ事故によって、放射能の脅威を経験してきた。そして今もまた。
 しかし、ドライエルベントに失敗した二号機は結局爆発しなかった。「奇跡としか言いようがない」と藤咲は言った。それは全ての原発作業員の気持ちでもあった。おそらく、最初の一号機の爆発で二号機の建屋の一部が破壊され、自然にドライエルベントがなされたのだろうということだった。
「この津波は天災よ。イルカが語った通り、千二百年前の貞観地震(じょうがんじしん)の再来。でも原発事故は、そうではない。ツーオイの事故と同じ人災。この原発事故で、アトランティスと全く同じ事が一万年後に繰り返されている」
 マリス・ヴェスタは言った。
 この原発事故は、過去のアトランティスに起きた出来事と全く同じだ。この事故は文明の未来を暗示していた。
 ヴリル、すなわちフリーエネルギー装置の乱用は凶暴である。アトランティス末期の百年前にも、最後の大崩壊があった。それ以前にも、何度も大陸はフリーエネルギーの誤用によって沈んでいたのだ。全ては警告だった。にも拘わらずシャフトはその歴史を無視し、なおかつ滅亡へと突き進んでいった。その頃にはもう引き返せないほどツーオイ石にヴリトラが蓄積していた。だからこそ真帆は、百年前の警告の時代に生まれるようにと自分で設定したのである。フリーエネルギーはこれまで、数多く発明されてきたものの既成の科学界の常識に抹殺され、時にエネルギー業界の弾圧を受けてきた。だが、それだけではないかもしれない。今まで、広まるのを止められていたのかもしれない。つまり、もしかすると聖白色同胞団が。
「想定外の……」
 ニュースでその言葉が飛び交っていた。311大震災。地震・津波は数多くの人や生活を流し去り、命を奪った。しかし地震と津波は純然たる自然災害だ。つまり天災だが、それがもたらした原発事故は完全に人災だ。なぜなら、すでに帝都電力がこの規模の地震と津波を想定していた事を真帆は知っていた。
 決して津波が想定外の天災で、原発事故は仕方なかったなんて言い訳、真帆には認められない。それ以前から真帆はずっと、原発行政の問題点を鋭く追及してきたのだ。
 神江の原発事故によって、世界中でエネルギーが考え直されるはずだ。原発だけでなく、CO2を増大させ、地球温暖化を招く化石燃料の限界もあいまって、世界中で再生可能エネルギーの研究と普及の機運が高まっていくだろう。
 そしてこれを機に、フリーエネルギーは世に出て急速に普及を始める。この勢いはもう止まらない。究極の再生可能エネルギーとして、フリーエネルギーはおそらく十年以内に完成する。これまでフリーエネルギーは不当に弾圧されてきた。しかし原発事故をきっかけに、世界のエネルギー事情の風向きは一気に変わるだろう。原発や化石燃料は古い時代のテクノロジーとなる。再生可能エネルギーの世となり、今まで封印されていたフリーエネルギー産業が一気に噴き出し、第三次産業革命のビッグバンが起こる。ベーシックインカムだって何だって実現する。八木真帆は、フリーエネルギー発明者の一人に名を連ねるだろう。
 こうなった以上、真帆は開発したフリーエネルギーを普及するしかない。再生可能エネルギーの究極は、フリーエネルギーなのだから。そう考えるしかない。だけど……。
 3.11の事故をきっかけにフリーエネルギーが誕生し、きっと百年後にはフリーエネルギー社会が最高度に発達しているに違いない。アトランティス末期と同様に。でもそのせいで、また世界が滅亡する危険性がある社会。
 真帆が見続けていた夢の中のアトランティス帝国では、そのフリーエネルギーが生んだ社会がベーシックインカムどころか、キメラという奴隷制度さえ存在するディストピアで、どうしようもなく腐敗したシャフト評議会が世界を支配していた。
 だとしたら、たとえ神江の放射能汚染を除染し、原発を止めて、フリーエネルギー社会へ転換したとしても、それが百年経てば理想郷になるなんて、そんな安易な結論は決して出せない。もしも百年後の世界がアトランティス末期の文明と符合するなら、現在のエネルギーを止め、フリーエネルギーを普及すればいいという話ではなくなる。フリーエネルギーに転換して百年後、おそらくはアトランティスと同じように滅亡か、乗り越えるかの試練の時が来る。
 違う、違うんだ。ようやく分かった。やっとわかった。「原発」をやめればいいんじゃない。原発か、そうでないか? そんな二択の、オールオアナッシングで片付けられる問題じゃない。絶対に。
真帆は大学でフリーエネルギーを普及するために、邪魔してきた藤咲や教授達を論破し、戦った。でもそうじゃない。物事の本質はそこにない。本質は……。真帆が描いたフリーエネルギー社会の理想郷は、アトランティスそのものだ。その真帆の理想郷は今や壊滅しつつあった。その社会にもまた、構造的欠陥があった。
 原発か再生可能エネルギーか? そうではないのだ。ここで原発を否定し、フリーエネルギーに転換すれば済む話ではない。たとえ究極の再生可能エネルギーたるフリーエネルギーに転換したとして、人間の心に進歩がなければ、結果は同じなのだ。大切なのは、その先にある。それを扱う人間の心。一体性の法則とエネルギー問題はセットで考えるべきなのだ。それがアトラス大帝のいう愛(アモーレ)。クリーンで無尽蔵なエネルギーだって、使い方を誤れば世界を滅ぼしてしまったように、どんなエネルギーであっても、使う人間の心次第で変わるのだ。いわば古来日本の神道のアニミズムのように、自然と一体化した共存共栄、一体性の法則の中でエネルギー問題、もとより人間の営みを考える。
 だからだ。だからこそだ! フリーエネルギー文明の絶頂期になる百年前の、原発事故というエネルギー転換の節目の時に、八木真帆は「今ここ」にいる。この311のタイミングで。原発事故から問題の本質を学ぶために。どんなエネルギーであっても問題の本質はきっと同じなんだ。それは、扱う人間の側にある……。
 歴史を学ばない者、知らない者は身を滅ぼす。しいては国を滅ぼす。アトランティスの歴史は好事家のみの伝説どころか、現代人が、地球人が何としても学ばなければならない未来への遺産だ。それを忘れてはならないからこそ、真帆は百年前に相当する時代に生まれ、時限装置のように臨死体験で全てを思い出した。
 今は原発事故とCO2の地球温暖化の問題解決に誰もが夢中で、再生可能エネルギーへ転換する事しか考えられない。
 だからマリス・ヴェスタは百年後のフリーエネルギーの爛熟期に生まれても仕方がないと判断した。その時では、全てが手遅れになってしまうから。ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ。その時になってから気づいてももう遅い。それであたしは、その絶頂と滅亡の瞬間からちょうど百年前の、神江の311に遭遇するように生まれてきた。
 それが臨死体験による「前世記憶」が解き明かした真実。臨死体験の中で、真帆はアトランティス滅亡の夢を何度も繰り返し見て来た。真帆が見た夢は、マリスが自分で仕掛けた目覚まし時計だった。洋上に漂う真帆を救ったイルカ達は、海王オルカの代理人だったのかもしれない。いや、そうだ。彼らはバミューダ海の底に眠るツーオイ石の中のプレベールから、真帆に「炎」を届け、それが臨死体験を発動させた。
 本物の白鳥のプレベール。あなたは、こうして一万年後も私を訪れてくれた。臨死体験で見たアトランティスの全ての記憶は、アカシックレコードにアクセスした智恵の実であるツーオイ石の、プレベールの記憶が紡ぎ出している。アガペーの風が流れ込むこの時代に。その時に、つまり一万年後、全く同じシチュエーションで八木真帆が白い石として活躍する為に。
「ヱイリア・ドネの糸をあなたに託す」
マリス・ヴェスタはそう八木真帆に言った。
「ヱイリア・ドネの糸? ……そうか、アリアドネの糸の事ね」
 アリアドネの糸はこの世界でも、ギリシャ神話が由来の迷宮を脱出するキーワードだ。レジスタンス達がラビュリントスを彷徨ったように、地球文明もまた、「圧政者、被害者、そしてレジスタンス」という構造をウロボロスの蛇のように繰り返している。光の子と闇の子の戦いの連鎖を。その二元性の中で人類はこれまで迷宮、ウロボロスの蛇、すなわちメビウスの輪を脱出できなかった。
 最初のヱデン追放以来、文明は何十、何百回となくつぶれ、人類はヱデン追放を繰り返してきた。征服者と抑圧される民と、一部の抵抗者の戦い。この三者の構造における光と闇の戦いを。ヱデン追放以来、文明末期のラグナロックという同じシチュエーションの中へと輪廻した魂たちは、何度も同じ戦いの悪循環を繰り返し、これからもまた繰り返す運命だった。それがヱデンの園で智恵の実(善悪の実、二元論の実)を食べたと云う事---。
 地球の歴史は、一体性の法則が支配するワンネスの世界から降り立った魂が、一旦地球の輪廻の輪に取りこまれる事によって、二元性から抜け出せなくなる物語だった。もう人類は、ずっと長い事そこから抜け出せなくなっている。その事に、ヱイリア・ドネとエストレシア・ユージェニーと、アマネセル姫の三人が気付いた。
「まるでメビウスの輪のように、滅亡の瞬間に立ちあって、いつか私は抜け出す道を見失って……いつまでもマリス・ヴェスタは石の離宮の中をさまよっていた。いや、私だけじゃない。円卓のメンバーたちも。だから姫は私に託したんだ。メビウスの迷宮を脱出するヒントを。一万年後のタイミングに。アマネセルのマリスに対する慈悲は、この輪を脱するためなのだ」
 マリス・ヴェスタはなんとか、この失敗の繰り返しを抜け出す道はないかと模索し、結局アトランティスの滅亡は避けられなかったのだと悟った。何度も夢の中で、水晶に蓄積したヴリトラが爆発するのを阻止する光ヴリルの方程式を計算し、三度くりかえして、とうとうマリス・ヴェスタは一万年後の自分に託した。二千百年代では駄目だ、その時代ではもう手遅れとなっている。もっともっと遡らないといけない。アトラン末期でいうと百年前の文明。迷宮を抜け出すのは今。それが……マリス・ヴェスタがツーオイの演算ではじき出した答えだった。
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