第19話:世相と熱海、湯河原へ花見

文字数 1,635文字

 しかし、中国側は、そもそもの原因は日本側にあるとして謝罪と賠償については拒絶。ただし、水面下での取引はあったとされ、4月19日中国指導部は無届デモ全面禁止を通達し、反日デモの嵐は収束に向かった。一方、この中国側の動きに呼応するように、日本では、東シナ海の海底ガス田問題について中国提案に譲歩した。

 また、4月22日インドネシアの首都ジャカルタで開催された国際会議で、小泉首相は異例に過去の日本の侵略や植民地支配についての謝罪を行い、翌日の胡錦涛国家主席との会談でも謝罪要求など中国側を刺激するような発言は一切、行わなかった。小泉首相は、「私は、日本の常任理事国入りに中国が反対しても韓国が反対しても、いつでも首脳会談を行う」と述べている。

 4月23日以降は、中国国内での反日運動は厳しく押さえ込まれに収束へ。日本の外務省から出された海外安全情報等によると5月1日のメーデー、3日の5・4運動を警戒していた。その後、国連安全保障理事会を拡大する日本など4カ国の「枠組み決議案」に対し、中国は拒否権を出して反対。さらに中国にロシアが、同調した。

 最終的にドイツの常任理事国入りに反対するアメリカの拒否権により、枠組み決議案は反対に終わった。この中国の反日感情には、靖国神社問題が背景にあったと思われる。靖国神社参拝を行わなかった福田康夫首相と胡錦涛主席との会談で、胡錦涛は日本の国際連合安全保障理事会の常任理事国入りに柔軟姿勢を示した。

 また対日穏健派の金大中前大統領も、常任理事国入りを支持していた。また同じく鳩山由紀夫首相の際に、サルコジ大統領は「世界第二の経済大国である日本が第二次世界大戦の敗戦国であるという理由だけで、常任理事国になっていないことはおかしい」と発言した。こうして2005年が終わり、2006年を迎えた。

 2006年2月4日、早朝、車で、栃木健吾と芳江さんと健一の家族3人で、熱海に出かけた。そして、10時過ぎに到着して。最初に熱海梅園を見学して、次ぎに。糸川の早咲きの「あたみ桜」を鑑賞し、多くの写真を撮った。

 その晩、熱海の温泉に宿泊し、翌朝、熱海港の周りを散歩。ホテル帰り、冷えた体を温めるように朝風呂に入り10時過ぎ、ホテルをチェックアウト。隣町の湯河原へ車で向かい昼前に到着し、湯河原温泉の宿にチェックイン。昼食後、徒歩で10分の熱海梅林に出かけた。幕山の山麓斜面に、約4千本の紅梅・白梅が、まるで、梅のじゅうたんのごとく咲きほこっていた。

 園内は、梅の香りに包まれ、実に気分が良い。また、その梅の木の多さと香りの良さに圧倒された。ここでも、紅梅、白梅の木々を多くの写真に撮って来た。14時過ぎにホテルに帰った。その後、仮眠したり風呂に入ったりして過ごした。翌朝、10時にホテルを出て、途中、小田原城を見学して小田原で昼食を食べた。そして、小田原から小田原厚木道路で厚木に向った。

 厚木から相模原へ行き橋本から津久井を抜けて相模湖町を経て16時、藤野町に帰ってきた。原油価格の国際的な指標であるニューヨーク商業取引所の米国産標準油種WTI先物の中心限月8月物は7月13日、イスラエル軍のレバノン侵攻による中東情勢の緊迫化で供給不安が一段と強まり時間外取引で1バレル78.4ドルの史上最高値をつけた。原油高でガソリン価格も高騰。

 消費者の家計を直撃。輸送費増加などの影響は企業活動全般にも広がった。石油輸出国機構「OPEC」など産油国の増産余力が乏しいこともたびたび供給不安が浮上する要因とされており、環境への配慮からもエタノールなど代替燃料普及への社会的な関心が高まってきている。

 8月のお盆に小泉純一郎首相が、靖国神社を参拝。現職首相の15日の参拝は、1985年の中曽根康弘氏以来、21年ぶり。小泉首相は公用車で訪れ、本殿で一礼し、献花料3万円を私費で事前に納めた。小泉首相は2001年4月の自民党総裁選で、終戦記念日の参拝を公約した。
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