第24話:食堂の活躍と食料調達と沖縄旅行

文字数 1,633文字

 そこで、近所の避難場所に行こうと、馬淵に言うと、私は、アパートを見てきますから、食堂と喫茶店の人達を誘導してくださいと言われた。言われたように、「NPO・藤野の街」の従業員を避難所に誘導した。幸いな事に、火事も大きな、けがした人もいなかったのが、不幸中の幸いであった。

 そして、16時過ぎに、食堂と喫茶部に行き、栃木が、夕飯の、ご飯を炊いてくれと、依頼した。ガスは、使えたので、非常用20Lポリタンク10個の水を使い、ごはんを炊く事を指示し、残っている、パン、パスタ、うどんの数を調べと指示した。やがて、電気がついて、水も使える様になった。

 17時には、3升の米が炊きあがると、おにぎりを作る様に指示した。手の空いてる食堂の職員にうどんの汁と作り、うどんを用意させた。すると近所の人達が、続々とやって来た。それを見て、食堂の連中が、次々に、おにぎりと、うどんのセットを提供した。1時間もすると、なくなり、さらに、3升の米と、うどんを作るように指示。

 簡単な卵焼き、肉の入った野菜炒めなどを提供した。もちろん、無償提供で良いと告げると、地元の人たちが大喜びしてくれた。その後、栃木好江さんも入って、おにぎりだけをいっぱい作った。翌朝、米と食料品を卸問屋に電話して2台のトラックで6人で出かけて栃木が、馬淵に、現金を渡して買いに行った。

 その後、「NPO・藤野の街」の手の空いてる仲間を連れて、月に2回ずつ東日本大震災の親を亡くした子供の募金活動に八王子駅へ行き、朝の出勤時に行った。そして、8月迄の5ヶ月で、2千万円の募金と集め、「NPO・藤野の街」からの3千万円と合わせて5千万円を東北の震災孤児・遺児へ送金した。

 そして、2011年9月9日、証券会社の担当者から電話が入りSPDRゴールドの気配値が、14100円と言われ1万株売りを指示。直ぐに売れて、税引き後利益12000万円で、残金が、約32000万円となった。この話を奥さんの芳江すると、大喜びしてくれた。

 2011年10月3日、証券会社の担当者から早朝、電話が入りSPDR・S&P500の気配値が、8790万円と言われ、千株を成り行き買いを指示。すると8700円で400株を348万円で買えた。翌4日、早朝、気配根が8480円と言われ成り行きで1000株買い注文を出し、848万円で買えた。

 これで1400株、1196万円で買えた。5日も成り行きで400株買い注文を出した。すると8550円、344万円で買えた。この3日間で、1800株を1540万円で購入できた。848万円で買え、残金が31150万円となった。この年の忘年会12月16日、月曜日、昼に忘年会を開き、東北の震災孤児・遺児へ送金した事を報告。

 そして、東日本大震災の話題で終始した。その後、田嶋悦男さんを呼んで、「NPO・藤野の街」開設して6年目の2014年には、代表を君に交代したいと言うと了解と言ってくれた。その時、栃木さんは、今まで、全く、長期休暇を取っていないので、奥さんと旅行に出かけたらいかがですかと言われた。

 それを聞いて、じゃー、若者たちに任せて、旅行に出かけるとするかと語った。是非、そうしてくださいと言ってくれた。その時は、宜しく頼むとお願いした。そうして2012年を迎えた。2012年、栃木夫妻は、初詣に行き、家内安全と事業、投資の成功を祈願。そして、今年からゆとりを持って旅行に出かけたいと考えた。

その第一段として、2月10日から13日の2泊3日で、沖縄旅行を計画。朝6時に家を出て、車で羽田空港へ7時過ぎに到着。羽田空港8時半発の飛行機で11時半、那覇空港に到着。モノレールで県庁前で降りて予約ホテルに荷物を置き、昼食を食べに出かけた。

 その後、首里城見学に出かけ、城内見学ツアーに参加。約2時間かけて、守礼門、歓会門、瑞泉門を見て、写真を撮った。その後、城壁の高台から那覇の街や北側は、北谷方面の眺望を楽しんだ。
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