第23話:カフェ新設と東日本大震災

文字数 1,660文字

 必要ならレストランの横に半分ぐらいの規模のプレハブ住宅を建て、弁当の専門工場を作っても良いと考え始めたと語った。すると、馬淵が、それは良いアイディアだと言い福祉だけでなく新しい雇用を生むことは、大切な事だと力説した。シングルマザーの働く場所にできたら良いと話した。こうして忘年会は、いろんな意見が出て、終わり、2010年を迎えた。

 2010年、年初、大きな事件が飛び込んで来た。それは、日本航空が1月19日、会社更生法の適用を東京地裁に申請、経営破綻した事だ。負債額は約2兆3000億円と事業会社では過去最大。京セラ創業者の稲盛和夫氏を会長に迎え、政府が出資する企業再生支援機構の下で再建を目指している。事業規模を3分の2に圧縮するとした。

その他、内外45路線からの撤退やグループで約1万6000人の人員削減など抜本改革に着手。パイロットや客室乗務員の退職数は目標に届かなかった。そこで、最大200人を整理解雇する。更生計画は債権放棄に応じた銀行団などの合意を得て11月末に確定。支援機構は公的資金3500億円を出資した。11年3月末に更生手続きを終結し12年中の再上場を目指す。

 まさか、日本航空が、潰れると思う人は、いなかった。1月12日、カリブ海のハイチで16時53分、マグニチュード7の強い直下型地震が発生。推定25万人が死亡、20世紀以降最悪の震災となった。震源は首都ポルトープランス近郊。被災者は人口の3分の1に当たる約370万人と見積もられている。今も130万人以上が劣悪な環境下で避難生活を強いられている。

 日本列島は、梅雨明け以降、広い範囲で猛暑に襲われた。7月22日に岐阜県多治見市で最高気温となる39.4度を観測し、8月の平均気温はほぼ全国で戦後最高を記録。6~8月の平均気温も平年より1.64度高く、統計を始めた1898年以降で最高であった。熱中症により高齢者ら多数が死亡した。

 総務省消防庁によると、7~9月の3カ月間に熱中症のために救急車で病院に運ばれた人は、約5万4千人と前年の4.2倍。気象庁の異常気象分析検討会は「30年に1回の異常気象」と発表。北半球中緯度の気温が、エルニーニョ現象に続くラニーニャ現象で上昇。さらに、強い勢力の強い太平洋高気圧の影響を受けたのが主因と発表した。まさに猛暑の夏を迎えた。

 そのため、500万円を投資し食堂に大きな製氷機と冷凍庫、かき氷の機械を3台購入。そして、かき氷を作ると売れまくった。そして、かき氷の原価率は低く大きな儲けとなった。累計で5千万円「NPO・藤野の街」の儲けが溜まった。

 そこで、新しく食堂に直結した形で、現在同じ位の大きさの喫茶部「カフェ」を併設し、食事だけでなく、モーニングセット、ランチセット、ディナーセット、アイスケーキ、ケーキ、トースト、パスタ、ピザを提供しようと考えた。建設は9月に始め年内に完成させた。そのため、今年は、12月27日の月曜の11時から12時まで「NPO・藤野の街」の忘年会を開いた。

 そこ席で、今年の「NPO・藤野の街」の収支の発表や新しく作った喫茶店部門のお披露目となった。今年の冬は、ラーメン、お雑煮など暖かい商品を考えた。その後、2011年が、明けた。今年は、1月末にかけては強い寒気が断続的に日本付近へ流れ込んだため、ほぼ全国で気温が低く日本海側では広い範囲で大雪になった。

 この影響で、西日本では冬の降雪量が多かった。それでも2月下旬から3月になると暖かい日が増えてきた。その後、3月11日、栃木が、自分たちの食堂で、昼食を食べて、新しくできた喫茶店で珈琲を飲むために外を歩いて、喫茶店に入った時、急に地面が、揺れ始めたかと思うと、食堂から悲鳴が聞こえ、火を消せと怒鳴る声が聞こえた。

 15時頃には、地震が、おさまったが電気は、止まったまま。携帯電話は、つながらい状況になった。栃木は、慌てて、怪我した人はいないかと、食堂と喫茶店に入ったが、食器棚の食器が散乱して、大変な状況になっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み