第6話:結婚式と新婚旅行

文字数 1,729文字

 お父さんが、結婚式は、いつ頃と聞くと今年中にと考えていますと答えると、お世話になりますと言うので、こちらこそと言って失礼した。翌週の日曜日、芳江さんと会って結婚式の場所と日程を話し合った。その結果、八王子で、季節は秋、1981年10月11日、11時から栃木が、八王子の日本閣で、どうかと聞くと、申し分ありませんと答えた。

 新婚旅行は、箱根と熱海、2泊3日とした。しかし結婚式の費用の半分を出せないと、桧山の父が言うので心配しないで、全額負担しますと栃木が答えた。その後、招待者を後日、確認しようと話した。栃木の両親に招待者を決めてもらい事情があって少なめにお願いしたいと栃木の両親にお願いした。それでも100人と言われた。

 桧山家では、親戚など含め40人と言われ、了解した。その後、9月になり八王子の日本閣で和装の結婚衣装を選びに行った。やがて1981年10月11日を迎え、9時過ぎには、両親含め6人で八王子の日本閣へ入り、新郎新婦の和装とその後の洋装の副合わせをして、着物の着付けが始まった。両家の親たちは、洋装のドレスとタキシードで参加することになった。

 結婚式を終えて、披露宴会場に入り、型どおり、結婚式が進行して、滞りなく14時に終了した。その晩、新郎新婦は、町田のホテルに泊まった。翌朝、8時に起きて、ゆっくりと朝食を食べて、9時過ぎの小田急ロマンスカーで、箱根湯本へ向かった。11時前に箱根湯本に着いた。その後、箱根登山鉄道に乗り換え、強羅駅で、ケーブルカーに乗り換え、早雲山駅で降りた。

 そして、ロープウェイに乗り換えると、芦ノ湖や富士山が目の前に見え、素晴らしい景色であり、何枚も写真を撮り続けた。その後、昼ごろ、終点の桃源台駅でおりた。桃源台の近くのレストランに入り昼食をとって13時過ぎに芦ノ湖遊覧船に乗り込んだ。湖尻港から箱根園を経て箱根関所跡で降りた。その近くの復元された箱根関所跡を見学。

次に、東海道を少し歩き、箱根旧街道の大きな杉並木を見物し、貴族のお屋敷の様な箱根恩賜公園湖畔展望館を見学、その近くの弁天の鼻展望台から芦ノ湖と箱根の山々と霊峰富士山の雄姿を多くの写真に収めた。その後、箱根ホテルのカフェで一休みして珈琲を飲んで、タクシーを呼んだ。その後、タクシーで熱海まで30分かけて移動。

 熱海のホテルに到着したのが16時過ぎで、早速、温泉に入って、ゆっくりすると心地よい疲れで寝てしまい18時近くになり、夕食の時間となった。夕食後、熱海港の周辺を散歩して19時頃、宿に戻り、再度、ゆっくり温泉につかった。そして部屋に戻り、付き合い始めてから、大学時代、友人との話などをした。すると22時を過ぎ、床に就いた。

 翌朝、7時に起き、朝食をとった。今日は、初島見学に行こうと栃木が言い、熱海港10時半発、帰りは初島発14時で熱海港到着14時半の乗車券を購入した。10時前に熱海港に着くと近くでは、多くの釣り客が来ていた。そして、2階建ての大きくて、きれいな高速船が着いて乗客が乗り込んだ。栃木夫妻は、屋上の景色の良い席に着いた。

 動き出すと背後に熱海の街並みが見えて、多くの写真を撮った。その後も海の景色を眺めていると約30分の船旅を終え初島港に到着。降りて、初島灯台を目指して歩き出し約10分で着き素晴らしい景色を眺めた。桧山芳江は、中学時代、林芙美子を多く読んだ。その小説の中の「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」の言葉を思い出した。

 その林芙美子の小説に、「うず潮」があり、舞台が、確か初島だったと思い出した。以前見たNHKの朝のドラマを思い出した。彼女は、自分の貧しい生い立ちや生活から中学生時代、彼女の小説のとりこになり全作品を読破した。その後、高校生になり、「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」が気になり、図書館で調べた。

 そして、この前後に、さらに詩が続いていたことを知った。その詩の分は、以下の通り。
「風も吹くなり 雲も光るなり 生きている幸福は 波間の鴎のごとく 漂渺とただよい 生きている幸福は あなたも知っている『花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かれど』、風も吹くなり 雲も光るなり」
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