第8話:宍戸の結婚式と朝山がプレーボーイ?!

文字数 1,807文字

 芳江は、11月16日から山梨信用金庫に復帰して仕事を再開した。朝、出かける前に搾乳して哺乳瓶に入れて、朝10時過ぎに飲ませるようにお願いした。その後、昼休みは、家に帰ってきて、昼食をとり、賢一に授乳して信金に帰り仕事に戻った。そして冬になり、年末を迎え、せわしなくなり、1982年が終わり1983年となった。

 今年も藤野神社に、初詣に行き、家内安全、商売繁盛を祈願して、孫の賢一に、お守りを買ってきた。以前、芳江さんが結婚後、ボーナスは、実家に渡したらと栃木健吾に言われ、毎回、桧山家の両親に渡した。すると、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、クーラーなどを買い替えることができる様になり、喜ばれているようだった。

 一方、栃木健吾は、竹本税理士事務所でも留守を任されたり、研修に来る経済学部、法学部の学生の指導役も務め、年収500万円を超えた。そして、1983年の夏のボーナスで、栃木健吾は、6人乗りの中古車のクラウンを150万円で購入し栃木家の5人で、道志村へ出かけた。道志村の道の駅で新鮮な野菜と買った。

そして、帰りの途中、大渡の湧水と言う沢の水を20リットルのポリタンク5つを車のトランクに入れ、綱でしっかり固定し自宅に帰ってきた。その後も夏の暑い時期には、道志村の道志川の冷たい川に孫も入れてあげると気持ちよさそうにしていた。そのうち、朝晩が涼しくなり10月、11月、12月が過ぎて、1984年となった。

 1984年2月中旬、中学時代からの旧友の宍戸良二から結婚式の招待状が届いた。4月15日、日曜、八王子のホテルで挙式と書いてあった。もちろん、栃木夫妻宛てになっていた。やがて4月15日、藤野駅から列車で八王子駅で降り、駅近くのホテルに11時前に到着し結婚式場に入った。洋式の結婚式で神父さんが、宍戸夫妻に、指輪交換の儀式をした。

 その後、バージン・ロードを歩き、ブーケトスをして終了となった。その後、披露宴会場に移動して、2時間の披露宴となり、終了後、若者たちだけでの2次会へ行った。その会場で宍戸良二が、奥さんの井上君子さんを紹介してくれた。彼女は、会社の近くに住み、お父さんもNECの社員であると言った。

 井上さんも東京の東京理科大学、電子工学科を卒業して宍戸と同じ職場で知り合ったそうだ。彼女は、英語検定1級を持ち、将来、NECアメリカで働きたいと考えているらしいと聞かされた。結婚してからは、NECの2DKの家族寮に入ると話していた。でも、NECの製品は、好調であり、ソフトウェア部門の仕事も多岐にわたり忙しいと話していた。

 もう一人の友人の朝山は、中学時代から女の子にもてていた様に現在のダイワハウスでも社内、社外にも数人のガールフレンドがいるといううわさを聞いていた。しかし、彼は、特定の彼女と付き合っていないと言い、現状に満足していると意味深な笑いを浮かべた。それを見て芳江さんが、女を甘くみてると、大けがするわよと笑いながら言った。

 それを聞いて、たぶん、僕は、まだ、当分結婚しないと語った。栃木は、何してるのと聞かれ、八王子の税理士事務所で、税理士として仕事をしてると話した。すると金融機関じゃなくて税務の仕事をしているのかと驚いたように言われた。年収はと聞かれ手取り600万円と言ったところかなと言うと、そんなにもらっているのかよと、驚かれた。

 しかし、税理士なんだから、それぐらいもらえて当然だろうなと言った。株は、やってるのかと聞かれ、NEC株を持っているが、最近、売買してないと言った。他の友人たちも株をやってる暇と金がないと語った。車の話題になり、何に乗ってるかと言われた。そこで、栃木は、クラウン、宍戸が、ブルーバードと答えた。

 朝山は、と聞かれ、自分は、持ってないが、彼女が、スカイライン2000GT、トヨタ・セリカ、ホンダ・アコード、ベンツを交互に乗り回していると答えた。だから、僕は、買わないと言うと、信じられないと言う言葉と、ため息が聞こえた。1984年7月、栃木健吾の父、栃木良二の幼友達が、亡くなった。

 彼の息子が、東京のマンションで生活するから、昔からの土地を買ってくれと、広い無指定地域や農地をずいぶん買ってやったと話した。現在、畑を含めて、1ヘクタール、約3千坪にもなると言った。そこで、もし、そこが、宅地になった時には、原価で、譲ってやるから家を建てろと言った。
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