第4話:栃木の税理士事務所での研修

文字数 1,762文字

 この話を聞いて、栃木も桧山も日本電気の株が上昇すると考えた。そして会合が終了し解散し家に帰っていった。そして栃木が、日本電気の株価を見ると1973年にピークをつけて下げていた。この株価チャートを見て、1973年時点で、一部の投資家が、NECが、新しい個人向けコンピューターを製造するという情報を知っていた可能性があると疑った。

 この話を翌週の日曜、栃木が、桧山芳江を家に呼んで、その話をした。やがて1976年が、終わり1977年を迎えた。その後、栃木は、投資研究会に頻繁に出て情報収集を欠かさなかった。そして、毎月、そこで習った話を全て、桧山を自宅に呼んで教えた。そのため、1977年中に東京証券取引所に上場している銘柄の四季報、有価証券報告書の読み方を勉強した。

 そして1978年を迎えた。その頃、栃木が桧山に株で使う数学を教えた。1978年1月5日、父、栃木健一が、息子の栃木健吾をN証券八王子支店に連れて行った。そこで、親しくしている人たちに紹介し担当の重信さんに儲けさせてやってと耳打ちした。その後、父からもらった500万円と小さい時から貯めた100万円の計600万円を投資口座に入金した。

 この時、栃木が、宍戸から日本電気のTK-80の素晴らしさを聞いていたので、日本電気・NEC株を買おうと考え、証券会社の担当者に電話すると、良い考えだと言われ、NEC株を180円で3万株540万円で購入し、投資残高が60万円となった。

 投資研究会での勉強で、投資におけるリスクは、日常で使うリスクとは少し違い、リターンの不確実性「値動きのブレ幅」のこと。金融商品の価格が、将来半分になったり2倍になったりする可能性のことをリスクと呼び、必ずしも損失だけを指しているのではない。リスクの大きさは、標準偏差を用いて表すのが一般的。

 標準偏差は、データの散らばりの具合を表す時に用いられる。その数値が大きいほど平均値に対して乖離しているデータが多い事を示す。例えば金融商品に投資し1年間のリターンの平均が5%、標準偏差が10%というのは5%の上下10%の幅で、株価が上下する可能性を表す。この可能性が約68%の確率となる。

 この標準偏差の大きい株の銘柄を安い時に買い高く売れば儲かると説明を受けた。その後、1978年2月、父の栃木健一が、税理士の友人の竹本真一に紹介し研修させてもらう様に依頼した。その後、週に1回、竹本税理士事務所で手伝いを開始し実務的な勉強を続けた。春休み、夏休みは、多くの時間を費やして法律の勉強や実際の税理士の仕事を見て研修した。

 このアルバイトの給料の合計100万円を投資講座に送金し700万円にした。その後も研修の日々が続き、桧山芳江と会うことができず、電話で話した。1978年も終わりに近づいた年末に、シャープからMZ-80と言うメインメモリに20キロバイトのRAM搭載。オールインワン筐体・キーボード未組立のキットとして標準価格は198000円で発売された。

 日本初のパーソナルコンピュータとなる可能性もあったが、データレコーダの信頼性を検証している間に1978年9月に日立製作所の「ベーシックマスター」が発売された。そして1979年を迎え、1月5日、宍戸と朝山、栃木、桧山の4人が、いつもの喫茶店に集まり、新年のあいさつをした後、その後、大学の状況を話しあった。

 宍戸は、日本の本格的パソコン、日立ベーシックマスターと一体型のシャープMZ80が、発売されたことを話した。多分、今年あたりNECが新型パソコンを発売して3つ巴の競争が始まるだろうと予測した。しかし、TK80を発売したNECが、発売後、多くのユーザを獲得しているのは間違いなかった。

 NECは、彼らのニーズを把握してるから今年、新しい完成型パソコンを発売すれば、トップの座に就くことは間違いないと予測した。問題は、価格設定だろうと言い、バカ高い値段では、売れない事は、百も承知のはずだから、魅力的に価格で発売するんじゃないかと話した。

 朝山は、最近は、製図ばかり書いていて、疲れるが建築家は、良い設計が命。そのためには、多くの製図を手早く描けることが最低条件だから精進するしかないと話した。早く一人前の建築家になりたいと抱負を述べた。
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