第5話:桧山さんの夜間大学の卒業

文字数 1,575文字

 1979年に入り、栃木は、1979年4月に税理士の試験のための勉強で学校を欠席して、税理士事務所で研修を重ね、大学卒業と同時に税理士になろう頑張っていた。しかし実際には、大学に通い始めると、忙しくて、大変だった。長い春休みも税理士事務所で研修を重ね、全科目受験して合格を目指した。そのため桧山芳江に事情を話して電話だけで勘弁してもらった。

 やがて夏休みが終わり1979年9月。この頃には卒業論文を始めないと卒業できなくなる。そのため、税理士の試験の合格をあきらめて卒論を優先して書き出した。11月末に卒業論文を提出して、ゼミの先生に了解をもらい提出した。1979年12月中旬、卒業論文が受理されたと言われた。そこで税理士の受験科目を全部合格するため夜遅くまで勉強し続けた。

 そして、ついに1980年2月に税理士の試験に合格することができ、1980年3月に一橋大学経済学部を卒業した。しかし、就職活動ができず、1980年4月から竹本税理士事務所で就職させてもらった。宍戸は、川崎のNECに入社しソフトウェア開発部門に配属された。朝山は、ダイワハウスに就職して設計課に配属された。

 その頃、桧山芳江は、夜学の4年生になり順調に授業をこなしていた。そして4月から毎週、日曜日、会えるようになり、税理士の免許を取った話をすると偉いとほめてくれた。その後、彼女と映画を見たり、遊園地に遊びに行ったり、デートを重ねた。桧山芳江は、中央大学経済学部夜間部の授業を1回も休まず頑張っていた様でほめるとうれし涙を浮かべた。

 夏が過ぎ、秋から冬へと季節はめぐり12月になり、やがて1981年を迎えた。1981年1月、卒業論文が受理されて、桧山芳江は、中央大学経済学部夜間部の卒業証書を手にした。この晩、桧山芳江に会い、よく頑張ったと慰めると、堰を切ったように泣き出し、恥ずかしいので喫茶店を出た。

 そして八王子駅の近くで栃木が、彼女を抱きしめると、数分後、泣き止んで笑顔に変わった。そして、彼女が、これから私の第二ステージよと、しっかりと宣言し、彼女を送って家に帰った。1981年4月6日、栃木が、宍戸、朝山を呼び出して桧山芳江の中央大学経済学部夜間部を卒業の祝賀会をしようと言い八王子北口に11時半に集合と伝えた。

 11時半4人が揃い、近くのレストランに入り昼食をとった。そして彼女の5年間の話を聞いた。その話を聞いてると、あまりに彼女の根性が座っていると思い、栃木は目頭が熱くなった。そして、食後、栃木が大きな紙袋からきれいな花束を出し彼女に手渡した。栃木が、桧山さんに卒業の弁を聞かせてと言うと感情がこみあげて涙声になった。

 それを見て、男性たちが、もう良いよ、よく頑張ったねと言うと、号泣した。しばらくして、気を取り直すかのように立ち上がり、本当の私を支援してくれて、ありがとうと、深々と頭を下げると大きな拍手が巻き起こった。そして、桧山さんは山梨信用金庫に就職し、藤野支店に勤務することになった。

 その後、栃木も、竹本税理士事務所で働き年収350万円が、約束された。1981年5月3日、栃木健吾が、桧山芳江を誘ってデートした時、小さな声で、そろそろ結婚しませんかと聞いた。それを聞いて結婚したいと聞くと、当たり前じゃないと言うので、わかったと答えた。すると5月5日に、その話をうちの両親に話してと依頼され、栃木は、了解した。

 当日、背広を着てきちんと、桧山家を訪問すると、ご両親が、いつもお世話になっていますというので、こちらこそと返事をして、むさくるしい所ですが、どうぞ、おあがりくださいと丁寧にあいさつしてくれた。それでは、と言い、今日は、お宅のお嬢さんとの結婚したいので、お願いに上がりましたと言うと驚いた様に、何卒よろしくお願いしますと言ってくれた。
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