第14話:オービック投資成功とヤフーの下値を買おう

文字数 1,382文字

 一方、欧州では、1999年元旦、欧州統合の「深化」の切り札とされる欧州経済・通貨統合「EMU」の下で、単一通貨ユーロが誕生。欧州連合「EU」各国による財政の健全化など長年にわたる周到な準備が実ったものであり、欧州、ヨーロッパに明るい希望の灯がともった。これにより国際通貨システムは、米ドルとユーロの2大通貨体制の確立に向けスタートを切った。

 しかし、2000年1月に始まる予定だった世界貿易機関「WTO」の次期貿易自由化交渉「新ラウンド」の交渉テーマを決めるため、米シアトルで開かれたWTO閣僚会議が、加盟国の利害が激しく対立し、1999年11月、決裂した。議長国を務めた米国のリーダーシップの欠如や参加国が135カ国に膨れ上がったWTOの運営の難しさが失敗の原因として指摘された。

 こうして、1999年が終わり2000年を迎えた。2000年2月21日、ヤフー株が、終値で、夢の1億円突破という偉業を成し遂げた。終値、1億6300万円。当時のヤフーは。店頭市場「現在のジャスダック」に上場しており、今は廃止されている「マーケットメイク銘柄」となっていた。このマーケットメイク銘柄には、値幅制限が、なかった。

 また、ヤフー株は、流通している株数が、極端に少なかったこともあり、ボラティリティは非常に大きかった。例えば、1999年4月8日は、前日比プラス1800万円の1株、6000万円となりました。ちなみに、その前日も1000万円上昇していしたので、2日で、約2倍。3200万円が、6000万円になった。

 もう少し長いスパンでみると1999年1月29日に1480万円だった株価は、2000年2月21日には、終値で1億6300万円まで上昇。しかも、この間に2度も2分割を行った。分割しなければ6億5200万円になる。たった13ヶ月で44倍に急上昇という信じられないようなことが現実に起こった。

 ヤフー株が、1億円を超えた頃、ストックオプションで、株式を取得したヤフーの従業員達は、大喜びし、その後、高級マンションや高級外車を購入した様だ。ストック・オプションとは、株式会社の従業員や取締役が、自社株をあらかじめ定められた価格で取得できる権利の事である。

 まず、会社が従業員や取締役に対して予め定められた金額「権利行使価格」で会社の株式を取得できる権利を付与する。しかし、その後、2000年2月21日をピークに大きく下落した。 栃木健吾は、その様子を冷静に以前から追っていた。そしてヤフーの下値を買おうと証券会社担当者と話し合っていた。

 2000年2月29日、朝、証券会社の担当者からオービック株が、94500円の気配値が出てると連絡があり全株成り行き売りを指示。すると、すぐ売れ、税引き後利益が2280万円となり、口座残金が、27800万円となった。2001年9月4日、8時過ぎ証券会社の担当者からヤフー株が182万円の気配値が出ていると連絡があり10株、1820万円で購入。

 その結果、残金が25980万円となった。2005年12月30日、朝8時過ぎ、ヤフー株が185万円の気配値が出ていると連絡があった。2001年9月以降5回の2倍分割で、株数が32倍の320株になっていた。その結果、税引き後年残金が4.6億円となった。その結果、投資残金が7.2億円となった。
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