第22話:食堂での工夫と馬淵の結婚

文字数 1,638文字

 その時、お客さんとして改善点や要望を聞こうと考えた。特にこだわったのは、調理人が、少なくて済むように手軽に簡単に調理することで、そのため、圧力鍋を利用した。大きな圧力鍋を5つ購入して、御飯を炊いたり、パスタ、麺類の調理に利用。

 煮物も一度に大量に短時間で下ゆでして、後は、普通の鍋で、味付けする方式で、時短調理を心がけた。そのため、缶詰、調味料、冷凍食品は、現金問屋で、大量一括買いした。11月になると、温かい麺類の注文が増えて、一度に10人前ずつ、麺をゆでて、多くの注文に応えた。

 料理に缶詰の中身を添えたサラダをつけて出した。すると原価率が、小さくなり、利益率が、おおきくなった。大きな鍋に、大量に作ったカレーが、売れ残ると、MD社のアパートで格安で提供。この地区は、所得の少ない人達が、多く住み、旨くて安い食堂の噂が広まり、持ち帰りの要望が多い。そこで発泡スチロールの食器に入れ、持ち帰れるようにした。

 容器を持参してくれる人には、さらに割引して販売した。そのため、売れ残り品が急に減少。この売れ残り商品を出さないことが、実は、原価率低減のポイントであることが、その後の決算で良くわかった。もちろん、帳簿は、全て、栃木に見せることにしていた。これだけ儲かるならレストランの家賃として月10万円を出してと、責任者、田嶋悦男に話すと了解ですと答えた。

 こうして、2009年が明けた。この頃、ちまたでは、リーマンショックで、不景気の嵐が吹き荒れはじめた。するとレストランで、アルバイトさせて欲しいと言う若い女性が増えてきた。若い娘のウエイトレスが、増えると、まるで吸い寄せられる様に八王子近郊の男子大学生のバイト希望者が、急増。その後、クチコミで人気になり、土日は、満員となり大忙しとなった。

さらに、この頃、2008、9年、高齢者の生活保護受給の急増。しかし、全員が、受給を求めるのではなく世間体を気にした。そのため食事を1日2回、1回に減らし我慢して暮らす老人も増えてきた。そこで、地元で、そういう人がいれば、無料で食事提供を開始した。それも貧困老人のメンツもあるので、上手に、お題は結構ですと、耳元でささやくようにした。

 すると、その噂が広がり老人が、増えてきた。しかし、これについては、栃木が、損金は、上手に稼げとメンバーに伝えた。すると、それぞれ工夫を提案しあって上手に、やりくりしていた。平日は、持ち帰りのお客さんが、夕方、大勢やってくる事になりレストラン経営は、黒字となった。そのため、家賃10万円を支払っても充分に利益が、出るようになった。

そして、従業員の家賃を支払った残金が、全て、栃木の口座に振り込まれた。その頃、馬淵淳一は、喫茶部門で女の子にもてた。その後、彼女ができたと、大喜びしていた。そして2009年4月、馬淵は、彼女の富沢住恵さんを連れて、馬淵の所に挨拶しに来て、今年10月に、結婚しますと報告に来た。その時、結婚式には、出席するから早めに教えてと告げた。

 そして、馬淵から結婚式の招待状が届いた。八王子の結婚式場で、10月18日、日曜日昼からであった。その結婚式に出席するとレストランの仲間も来ていて、盛大な結婚式となった。しかし、レストランが、成功して金を貯めた人達は、栃木の作った格安アパートを出て行った。その代わりに子連れの若い夫婦が、入居。アパートの住人達の入れ替わりが激しくなった。

 これを見ると、日本が不景気なってきたことが肌で感じることができた。そして、栃木は、そのうちに馬淵のように人に好かれ、明るく、真面目な青年に、後を託そうと考え始めた。この頃、栃木の資産残金が、約2億円になった。

 2009年12月28日、月曜の昼、自分たちのレストランで、忘年会を開いて今年の反省と来年へ夢を語った。その中で、栃木は、最近、貧困老人の問題が、新聞をにぎわすようなった話題を取り上げた。そこで、彼らに対する格安弁当の宅配を考えてると述べた。
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