第31話「最終章」:栃木夫妻と母の沖縄旅行とテレビ取材

文字数 1,573文字

 この頃、栃木健一は、父の死ショックから立ち直りつつある、母に、2017年2月、沖縄旅行に行かないかと誘った。この提案に、気分転換に行きましょうかと述べた。そこで、2月3日から2泊3日で、沖縄へ出かけた。2月3日、朝、家を出て、羽田空港10時過ぎの飛行機で昼過ぎに那覇空港に到着。

 空港で昼食を食べて、空港近くのレンタカー屋で、車を借りて、那覇インターから沖縄の高速道路に乗って、1時間ほどで、許田インターで降り、今夜の宿、ブセナテラスに到着した。ここからの海の景色は、素晴らしく、午後、ホテルの周辺をゆっくり散歩した。母が、日本にいる気がしないという程、海に景色を気に入ってくれた。

 その晩は、豪華な夕食を食べ、早めに床についた。翌朝、3人で、ホテルの内部を見学して回ったが、内部の豪華な作りに、母は、感動して、奥さんは、何枚も写真を撮った。その後、海の見える場所で朝食を食べた。8時半に、ホテルを出て、海沿いの道を北上し名護の街に入り、9時半頃、美ら海水族館に到着して、入館した。

 広い水族館の名物、母が、大きなマンタを見ると、わー大きいと驚いた。大きなウミガメを見ると、竜宮城の使いみたいだねと笑った。そして10時過ぎ、水族館を出て15分程で、もとぶ八重岳桜の森公園に着いた。そこには、濃いピンク色の琉球寒桜が満開であった。あまりに素晴らしい光景を見て、奥さんは、写真を撮りながら感動していた。

 次に10分位行くと名護城公園に着き、そこの桜の園を見て回り多くの写真を撮った。その後、向かったのは、今帰仁城跡。そこは、既に、城壁だけであったが、景色は良かった。近くの人の桜のきれいな所を聞き、歩いて行くと素晴らしい桜の木が見えて、多くの写真と撮った。その後、名護のレストランを探し、昼食にした。

 その後、ブセナテラスに戻り、帰り支度をしてチェックアウト。そこから許田インターから高速道路で、那覇インターまで行き、旭橋駅近くのホテルにチェックインした。そして、一休みして、タクシーで、リウボウデパートへ出かけて、夕食を食べた。デパートを回り、栃木は、珍しい泡盛を購入した、しかし、母は、東京のデパートみたいだと言った。

 ホテルに戻って、買ってきた泡盛を栃木夫妻が、それを飲むと、個性的な酒だと言った。すると母が、コップに少し入れてと言うので渡すと氷と水を入れて飲んだ。すると、甘くなくて、変な味と告げた。そして、今日の琉球避寒桜は、色が濃くて、日本では、あまり見かけないと母が述べた。その後、床についた。翌朝、7時に起きて、朝食後、首里城へ出かけた。

 車を駐車場に置き、ゆっくり歩いて首里城へ向かうと、母が、あれ、昔の2千円札の門だろと言った。そう、守礼門ですと栃木が、伝えた。そのまま、首里城に入り、城壁からの眺めを楽しみ、多くの写真を撮った。それが終わると、車で、那覇空港近くのレンタカー屋に行き、車を返して、空港内に入り、早めの昼食を食べて11時頃の飛行機で、羽田に13時過ぎに到着。

 車に2人を載せて、まっすぐ、藤野へ帰った。翌日、栃木夫妻は、沖縄土産を持って、「NPO・藤野の街」を訪ねた。お土産を渡し、その後の状況を聞いてみると、特に大きな問題もなくやっていますとの報告を受けた。すると、この活動を取材したいと日本最大のテレビ局が、このアパ-トと食堂、カフェにカメラを持って訪問してきた。

 そこで働くメンバーの生の声、アパートの住人のインタビューを取っていった。数日後、その内容が、その放送局で流れた時、栃木の奥さんと母が、一緒に見ていて、よく、ここまで、やってこられて、本当に良かったねと母が言うと、栃木夫妻の「NPO・藤野の街」開設当時から、今までが、映画を見てる様に、順番に思い出されて涙を流し本当に良かったと語った。【完結】
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み