――寿郎の学校の朝は、
文字数 3,434文字
寿郎の学校の朝は、自転車置き場から始まった。
友人三人と一挙に鉢合わせ。
「よっ、鳥井。おはようさん」と、黒崎大 が軽く右手を上げ。
「今朝は寒いよなー、たまんねェぜ」と、甲賀 光一 が笑いかけてきて。
「寒冷前線の影響だってさ。夕べの大雨の」と、里村 季男 が甲賀に追従する。
寿郎と同じクラスの無駄に背が高い三人組は、今年に県立岳中高校に入学した初日からの付き合い。三人は寿郎とは違う中学出身で、三人揃って背が無駄に高いばかりではなく無駄に人懐っこいので、気がつけば寿郎は彼らの友人になってしまっていたのだった。
ちなみに身長が一七五センチオーバーな三人組だが、シルエットで分類すると判り易い。黒崎は細長く、甲賀は四角く、里村は肥満気味の楕円である。
三人は自転車に鍵を掛けながら、寒冷前線と雷様におへそを取られる民間伝承についての益体もない話に花を咲かせ始めた。
おはようと一言置いて、逃げる事も出来たけれど、寿郎はどきどきしていた。
制服の色々な所がきつかった。女の子になると言う事は、当たり前だが男の子の衣服とは適合しない、別の躰になると言う事だ。
下着まで男物。いつもなら気にも留めない当たり前の服が逆に、躰の変化を認識させた。
言うべきか、言わないでおくべきか。
女の子の体が男の子の衣服に縛り付けられたようで、解放を求めている気がする。
『わー、拍動高いわ~。乙女のハートがズッキズキねっ』
寿郎の中でポワールが、寿郎の心音を楽しそうに感じている。
『ばれちゃうかなー、気付いて貰えないかなー、どっちかしら~』
「黙っててよ、もう」
「じろちゃん、何か言った?」
三人の中で一番人間が馴れ馴れしい里村が耳ざとく聴き付ける。里村の始終眠っているみたいな糸目が笑っている。あはは、と愛想笑いし手を振って、
「なんでもないっ」
愛想笑いの声は、当たり前だが女の子そのものだった。
むむ? 里村の糸目がにょろりと動く。
「じろちゃん。何だか今日、可愛いね。髪の毛さらさらだぁ」
どきりとした。髪の毛は、ポワールが突貫作業ながら丹念にいじった個所だった。丁寧に梳き上げ、遅れ毛を間引いて襟足をそろえた。男の子の短髪と言うよりも、女の子のショートカットに近くなった筈だ。
すぱぱん! とすかさず、若干の時間差で黒崎と甲賀の突っ込みが里村の頭頂部を襲う。対象の斜め上方向から素早く頭頂部をインパクトして斜め下に掌を抜くスラッシュ的な打法は、高い音を立てる反面ボケ役に与えるダメージは低く、見栄え音響ともに爽快である。
「ワリぃなー鳥井。こいつバカで」と細長い黒崎が笑ったまま里村を指差し。
「そうそう、バカはほっといて行こ行こ」と四角い甲賀も笑ったまま歩きだす。
「うおお、頭がバカになる……」よろよろとよろけてみせる大仰な芝居で楕円形の里村がふたりの後を追ったけれど。
「あのっ」
寿郎は、呼びとめてしまった。
三人は思い思いに何気なく、寿郎に振り向いた。
「いいかな……?」
寿郎は、切りだしてしまった。
何でこんな事喋ろうとしてるんだろうとか、拒絶されたり笑われたりしたらどうしようとか、三人の視線が不思議そうな事とか、わざわざ言わなくたっていいじゃないかとか、色々な否定材料が寿郎の前に立ちふさがっているような気がしたけれど。
それらがまるで目に見える壁のように立ち現われる前に、寿郎は前に出た。
「ぼく、女の子になっちゃった」
寿郎は、言ってしまった。
三人の反応は、勿論と言うべきか、固まった。
最初に動いたのは、黒崎だった。眼鏡を外して、詰襟の制服のポケットから眼鏡拭きを取り出し、はーっと眼鏡に息を吐いて、きゅっきゅと丁寧に拭く。
甲賀は、少し無残な反応。空を見上げて、趣味のギターを弾く時の指使いを反芻している。尊敬するギターヒーローはクイーンのブライアン=メイ。指先がとんでもない事になっていた、オペラロックの異名もある大作、ボヘミアンラプソディの最高潮をなぞっていた。指使いが激しく、酷くせわしない。あ、くそ、コード間違えた、と独り言も居たたまれない。
里村は、腹でも痛み出したのか、ううううううううん、と腕を組んで糸目をにょろにょろと動かしていたが、ポンといきなり手を打つ。
「なるほど、可愛いのも道理だね」
すかさず黒崎の突っ込みが斜め角度から頭頂部にスラッシュで一発入り、甲賀はエアギターをエアに振りかざしてエア殴打した。ちなみにギター破壊のパフォーマンスを行った、ギタリストの神様ジミ=ヘンドリックスも甲賀は尊敬 している。
ずごーんっ、と里村はギターのボディの中心が頭に着弾する状況を想定した効果音を口ギターし、もんどりうってコンクリートにひっくり返った。
黒崎が眼鏡をかけ直して中指で弦を押し上げ、甲賀がエアギターをぞんざいに放り捨て、
「「まじかっ!?」」
黒崎と甲賀が揃って寿郎に詰め寄り、大声がハーモニーする。
『何この、何? ノリ良すぎるでしょこいつら?』
ポワールの声も、思わず退いていた。
寿郎も退きそうになったけど、必死に首を縦に何度も振る。
「本当! 嘘じゃない、本当なんだ!」
必死だった。
何故だか寿郎にも判らないし、考えている余裕などないのだが、とにかく必死。
結果として、首を激しく振った事で詰襟を小さく押し上げている胸が揺れた。制服に着替える際ポワールにばっちりと観られて、カップとしてはBからCに属するだろうと見立てられた控えめで、しかし自己主張もさりげなくこなすサイズの胸だった。
男子制服の詰襟のおかげで目立たないが、激しく運動すると現れる動かぬ証拠が、高校生男子には目の毒な形として、眼前にある。
視線を下げかけた黒崎と甲賀が、慌てて寿郎の顔に視線を戻す。
そして、揃ってごくりと、音を鳴らして唾を飲んで、また固まった。
だって、気弱そうな少女が潤んだ瞳で、しかも身長が二人よりも低いから必然的な上目遣いで、必死に訴えかけているのだもの。
仰向けにぶっ倒れていた里村が、ごろりとうつ伏せになり、地を這って蘇る亡者のように右手を震わせながら空に伸ばした。
「ず、ずっと好きでし……たっ!」
た、の所で黒崎と甲賀が、里村に見向きもせずに板でも踏み割るかのような容赦のない鋭さでストンピングする、フリ。
ぐっ! ……我が夢叶わず朽ちたり……がく、と末期 の言葉を残し里村が死んだ、フリ。
「……いやぁ、驚いたな」
黒崎は、心底言葉通りの顔をした。
「こう言う事って、本当にあンだな」
甲賀は少し遠くを観ていた。このような状況が詞にならないかなと考えている顔だった。
うーん、と揃って唸り声を洩らした黒崎と甲賀を前に、寿郎はあはは、と愛想笑いの出来そこないを浮かべるしかなかったが、予鈴が鳴った。
「……それはそうと、行こうぜ。ホームルーム始まっちまうし」
黒崎があっさりと踵を返す。
「里村のバカには気ィつけろよ? あいつのベッドの下はそりゃもうヒデぇ事によー」
甲賀はその酷い事のお世話になっている身で無責任な忠告を、しかも無神経な事に今までの男の子としての寿郎にするような気軽さで口にした。
「ひっどーい。女の子に優しくするって神経ないよねこいつ」
死んだフリだったのですっくと立ち上がった里村が甲賀を指差す。
三人は、里村が所有しベッドの下に格納されているイリーガルな物件と優しさについての議論を始めながら、すたすたと歩いて行った。
寿郎は、ぽつりと残される。
三人に認めて貰えたのかもしれない。
三人は受け止めかねているのかもしれない。
試みは成功したのかもしれない。
それとも失敗かもしれない。
寿郎には、結果や成果が良く判らなかった。
寿郎から遠ざかりながらロリータコンプレックスは愛か侵略か、誠実か不実かと意味不明な議論に発展した三人はやおら、三人同時に寿郎に振り向いて。
「(なにやってんだ)早くこいよ(おいでよ)」
――と言った。
寿郎はきゅっと、顔が震えるほど微笑んで、
「うん!」
――と答えた。
寿郎の心臓が甘くなる程に騒いでいた。それが学校の朝の出来事についての結果だった。
友人三人と一挙に鉢合わせ。
「よっ、鳥井。おはようさん」と、
「今朝は寒いよなー、たまんねェぜ」と、
「寒冷前線の影響だってさ。夕べの大雨の」と、
寿郎と同じクラスの無駄に背が高い三人組は、今年に県立岳中高校に入学した初日からの付き合い。三人は寿郎とは違う中学出身で、三人揃って背が無駄に高いばかりではなく無駄に人懐っこいので、気がつけば寿郎は彼らの友人になってしまっていたのだった。
ちなみに身長が一七五センチオーバーな三人組だが、シルエットで分類すると判り易い。黒崎は細長く、甲賀は四角く、里村は肥満気味の楕円である。
三人は自転車に鍵を掛けながら、寒冷前線と雷様におへそを取られる民間伝承についての益体もない話に花を咲かせ始めた。
おはようと一言置いて、逃げる事も出来たけれど、寿郎はどきどきしていた。
制服の色々な所がきつかった。女の子になると言う事は、当たり前だが男の子の衣服とは適合しない、別の躰になると言う事だ。
下着まで男物。いつもなら気にも留めない当たり前の服が逆に、躰の変化を認識させた。
言うべきか、言わないでおくべきか。
女の子の体が男の子の衣服に縛り付けられたようで、解放を求めている気がする。
『わー、拍動高いわ~。乙女のハートがズッキズキねっ』
寿郎の中でポワールが、寿郎の心音を楽しそうに感じている。
『ばれちゃうかなー、気付いて貰えないかなー、どっちかしら~』
「黙っててよ、もう」
「じろちゃん、何か言った?」
三人の中で一番人間が馴れ馴れしい里村が耳ざとく聴き付ける。里村の始終眠っているみたいな糸目が笑っている。あはは、と愛想笑いし手を振って、
「なんでもないっ」
愛想笑いの声は、当たり前だが女の子そのものだった。
むむ? 里村の糸目がにょろりと動く。
「じろちゃん。何だか今日、可愛いね。髪の毛さらさらだぁ」
どきりとした。髪の毛は、ポワールが突貫作業ながら丹念にいじった個所だった。丁寧に梳き上げ、遅れ毛を間引いて襟足をそろえた。男の子の短髪と言うよりも、女の子のショートカットに近くなった筈だ。
すぱぱん! とすかさず、若干の時間差で黒崎と甲賀の突っ込みが里村の頭頂部を襲う。対象の斜め上方向から素早く頭頂部をインパクトして斜め下に掌を抜くスラッシュ的な打法は、高い音を立てる反面ボケ役に与えるダメージは低く、見栄え音響ともに爽快である。
「ワリぃなー鳥井。こいつバカで」と細長い黒崎が笑ったまま里村を指差し。
「そうそう、バカはほっといて行こ行こ」と四角い甲賀も笑ったまま歩きだす。
「うおお、頭がバカになる……」よろよろとよろけてみせる大仰な芝居で楕円形の里村がふたりの後を追ったけれど。
「あのっ」
寿郎は、呼びとめてしまった。
三人は思い思いに何気なく、寿郎に振り向いた。
「いいかな……?」
寿郎は、切りだしてしまった。
何でこんな事喋ろうとしてるんだろうとか、拒絶されたり笑われたりしたらどうしようとか、三人の視線が不思議そうな事とか、わざわざ言わなくたっていいじゃないかとか、色々な否定材料が寿郎の前に立ちふさがっているような気がしたけれど。
それらがまるで目に見える壁のように立ち現われる前に、寿郎は前に出た。
「ぼく、女の子になっちゃった」
寿郎は、言ってしまった。
三人の反応は、勿論と言うべきか、固まった。
最初に動いたのは、黒崎だった。眼鏡を外して、詰襟の制服のポケットから眼鏡拭きを取り出し、はーっと眼鏡に息を吐いて、きゅっきゅと丁寧に拭く。
甲賀は、少し無残な反応。空を見上げて、趣味のギターを弾く時の指使いを反芻している。尊敬するギターヒーローはクイーンのブライアン=メイ。指先がとんでもない事になっていた、オペラロックの異名もある大作、ボヘミアンラプソディの最高潮をなぞっていた。指使いが激しく、酷くせわしない。あ、くそ、コード間違えた、と独り言も居たたまれない。
里村は、腹でも痛み出したのか、ううううううううん、と腕を組んで糸目をにょろにょろと動かしていたが、ポンといきなり手を打つ。
「なるほど、可愛いのも道理だね」
すかさず黒崎の突っ込みが斜め角度から頭頂部にスラッシュで一発入り、甲賀はエアギターをエアに振りかざしてエア殴打した。ちなみにギター破壊のパフォーマンスを行った、ギタリストの神様ジミ=ヘンドリックスも甲賀は
ずごーんっ、と里村はギターのボディの中心が頭に着弾する状況を想定した効果音を口ギターし、もんどりうってコンクリートにひっくり返った。
黒崎が眼鏡をかけ直して中指で弦を押し上げ、甲賀がエアギターをぞんざいに放り捨て、
「「まじかっ!?」」
黒崎と甲賀が揃って寿郎に詰め寄り、大声がハーモニーする。
『何この、何? ノリ良すぎるでしょこいつら?』
ポワールの声も、思わず退いていた。
寿郎も退きそうになったけど、必死に首を縦に何度も振る。
「本当! 嘘じゃない、本当なんだ!」
必死だった。
何故だか寿郎にも判らないし、考えている余裕などないのだが、とにかく必死。
結果として、首を激しく振った事で詰襟を小さく押し上げている胸が揺れた。制服に着替える際ポワールにばっちりと観られて、カップとしてはBからCに属するだろうと見立てられた控えめで、しかし自己主張もさりげなくこなすサイズの胸だった。
男子制服の詰襟のおかげで目立たないが、激しく運動すると現れる動かぬ証拠が、高校生男子には目の毒な形として、眼前にある。
視線を下げかけた黒崎と甲賀が、慌てて寿郎の顔に視線を戻す。
そして、揃ってごくりと、音を鳴らして唾を飲んで、また固まった。
だって、気弱そうな少女が潤んだ瞳で、しかも身長が二人よりも低いから必然的な上目遣いで、必死に訴えかけているのだもの。
仰向けにぶっ倒れていた里村が、ごろりとうつ伏せになり、地を這って蘇る亡者のように右手を震わせながら空に伸ばした。
「ず、ずっと好きでし……たっ!」
た、の所で黒崎と甲賀が、里村に見向きもせずに板でも踏み割るかのような容赦のない鋭さでストンピングする、フリ。
ぐっ! ……我が夢叶わず朽ちたり……がく、と
「……いやぁ、驚いたな」
黒崎は、心底言葉通りの顔をした。
「こう言う事って、本当にあンだな」
甲賀は少し遠くを観ていた。このような状況が詞にならないかなと考えている顔だった。
うーん、と揃って唸り声を洩らした黒崎と甲賀を前に、寿郎はあはは、と愛想笑いの出来そこないを浮かべるしかなかったが、予鈴が鳴った。
「……それはそうと、行こうぜ。ホームルーム始まっちまうし」
黒崎があっさりと踵を返す。
「里村のバカには気ィつけろよ? あいつのベッドの下はそりゃもうヒデぇ事によー」
甲賀はその酷い事のお世話になっている身で無責任な忠告を、しかも無神経な事に今までの男の子としての寿郎にするような気軽さで口にした。
「ひっどーい。女の子に優しくするって神経ないよねこいつ」
死んだフリだったのですっくと立ち上がった里村が甲賀を指差す。
三人は、里村が所有しベッドの下に格納されているイリーガルな物件と優しさについての議論を始めながら、すたすたと歩いて行った。
寿郎は、ぽつりと残される。
三人に認めて貰えたのかもしれない。
三人は受け止めかねているのかもしれない。
試みは成功したのかもしれない。
それとも失敗かもしれない。
寿郎には、結果や成果が良く判らなかった。
寿郎から遠ざかりながらロリータコンプレックスは愛か侵略か、誠実か不実かと意味不明な議論に発展した三人はやおら、三人同時に寿郎に振り向いて。
「(なにやってんだ)早くこいよ(おいでよ)」
――と言った。
寿郎はきゅっと、顔が震えるほど微笑んで、
「うん!」
――と答えた。
寿郎の心臓が甘くなる程に騒いでいた。それが学校の朝の出来事についての結果だった。