――ファッションセンターしまむら、と言う店が岳中市にもある。

文字数 2,359文字

 ファッションセンターしまむら、と言う店が岳中市にもある。
 お値打ちの価格設定で、靴下からジャケットまで何でも揃っている、大手チェーン店だ。
 寿郎は行った事はないが、おばちゃんの服屋だとクラスの女子が敬遠したのを聞いた事はあった。
 財布上の事情と、あまり派手な服装をポワールに与えないため、牽制のためにと寿郎はしまむらにしようと決めていた。温泉街の近く、寿郎の家の近所であると言う場所の条件もある。美甘にしては珍しい事だが、美甘が寿郎の家に到着したのは遅くなった。理由を聞いても、美甘は機嫌よさそうにしていて答えない。
 それはいいが、遠出をする気分でなくなったのも事実。さようならユニクロ。寿郎の家からちょっと遠い、無難な選択肢その二。
 よって、今日の服屋はしまむらだった。自転車で美甘と並んで、しまむらに来た。ポワールは寿郎の自転車の後ろの荷台に優雅に腰掛けるフリをしていた。
 さあ、どうだ、しまむらだ。奇抜な事は何もできないぞ。寿郎は己の作戦を握りしめた。
 そして、それが全くの誤算である事に、自動ドアをくぐった瞬間に気付いた。
 クラスの女子がおばちゃんの服屋、と敬遠する理由をもっと深く、考えるべきだった。
 クラスの女子が足を運ぶ、と言う事はつまり、女物の衣服がズラリ。
 結局、服選びは個人の好みの問題に帰結する。しかし、ポワールにとって問題ではない。
 しまむらは、ポワールにとって、宝の山だった。
 思えば、工作用の鋏で器用に寿郎の髪を梳くようなポワールである。
 多分、ポワールのような手合いは、花火を与えたら分解して爆弾を作って、思うさま炸裂させて遊ぶぐらいは軽いのだ。
 もっと穏便な例えをするなら、布を与えたら針と鋏と糸で服を作ってしまうような女だ。
 まして、ありものの服がズラリと広大な店内に吊るされた服屋、しまむらである。
 コーディネートし放題、であった。
 玉石混合、琴線に触れるもの、触れぬもの。それらを選り分ける喜びにポワールは痺れた。
 辛抱堪らんと言ったような鼻息荒く、俄然寿郎の体の支配権を取って店内をぐるりと足早く物色すると、着せ替えの夢と希望を三つのプランに堅実に集約、いや濃厚に凝縮させた。ハンガーを次から次に手に取って、試着室に踊る足で駆け込むような勢いで。
 美甘はその勢いにちょっと引いていたが、ギャラリーの役割が自然と割り振られる。
 そして、もはや自分の選択権を行使できない寿郎もギャラリーに堕した。
 ポワールの着せ替えのひと時だった。
 試着室のカーテンが開く度、美甘の表情がころころと移ろって行った。
 一回目。フリル風の飾りのついた薄いピンクのワンピース。いかにもふんわり。寿郎が危惧した路線。当然だが線の細い女の子の身体には実に馴染んだ。
 二回目。素っ気なさが体のラインを際立たせる白いブラウスと、紺のプリーツスカートに、至極オーソドックスなカーディガンを合わせ。
 三回目。適当な口当たりのいい英語をレタリングしたんだろうと突っ込みたくなる長袖のTシャツに、レディースのジーンズとブルゾンが、それぞれ異様なアウラを発揮し、それぞれを絶妙としか言いようのない存在感で補完し合う。
「とりあえず三つ、選んでみたけど、ミカンはどれがいいと思う?」
 寿郎の声を勝手自在に操り、ポワールは尋ねる。固有名詞のイントネーションが少し変わるクセが出ているが、美甘は気付かない。
 美甘は、うーん、と唸った。
 美甘も目が真剣そのものだった。
「……一番、いや、二番ね」
『ぼくは、三番目が……』
 と寿郎は心の声で懇願するけれどポワールは、それを汲んでか汲まずか。
「じゃ、全部買いで。着て帰る第一候補はブラウスとプリーツ。四番、五番も探りながら、インナーを選ぼうね……付き合ってくれる? 試着室の、中、ま、で」
 女の子をとろかし殺すような、女の子の吐息を含んだ寿郎の声だった。
 美甘は表情を硬直させて首を横にふるふる振る。
「選ぶだけ、選ぶ所まで、だめ、だめ」
 あらら、ザンネン。寿郎の顔が、艶っぽく笑った。迂闊に近寄ったりはしない。この状態で美甘に触れると投げ飛ばされる事は学習済みである。
 ――寿郎には、次のステップを語る事は出来ない。
 倒れる体は奪われているが、寿郎は倒れそうだった。
 気分的に卒倒していた。
 気が付いたら、購入する物件が全て決まっていた。
 そうして、レジスターの儀式を済ませ、試着室を借り、結構な量の衣服が詰まった紙袋を手に、しまむらを出るともう夕方だった。
 白いハイソックスの涼やかな足元。ふとももが寒かった。もともと足が小さいので、男の子の頃からのスニーカーが少し元気な可愛らしさを発揮していた。
 しかし、ポワールは靴が不満らしく、すぐさま、隣の大型スーパーの靴コーナーで厳選に厳選を重ねて、格安の女ものの革靴も買ってしまった。サイズもぴたり、外反母趾(がいはんぼし)になどなりようがない、あつらえたようなフィット感。革靴なのに軽く踊るぐらい出来そうだ。どうしてポワールは、欲しいものを必ず棚から探す事が出来るのだろう。
 バレエ教室が消滅してから宙に浮いていた、月謝のプール資金が景気よく消えた。
 寿郎の肌が、いつものタイトなボクサーパンツ以外のものを身に着けていた。
 夕べの大雨で洗われた大気、透き通るような夕焼けの橙の光と、冷たい風。
 クラシックな女学生風、ブラウスとプリーツスカートの装いで。
 昼に美甘がくれたヘアピンも花を添える、どこからどう観ても女の子の寿郎は思う。
 女の子って、やっぱり足が寒いんだ。
 寿郎の世界が震えながら色づいていくような、途方もない心があった。
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