大好きな人、大嫌いな人たち 2

文字数 2,438文字




 言葉の裏側にある暗い感情を、純は嫌でも感じ取る。

「ここが私の、居場所だから」

 月子の口から出る言葉に、ウソはなかった。声に(にじ)む暗い感情の正体がわからない。一抹の不安が、しこりのように残る。

 純はあえて深掘りせず、ほほ笑んだ。

「なにか困ったことがあったら連絡して。月子ちゃんの話なら、なんでも聞くよ。……まあ、俺にできることなんてたいしたことないだろうけど」

 これが限界だった。

 純を気にかけて助けた月子に比べれば、なんの役にも立ちはしない。それでも、月子が苦しんでいるのなら、なにかしてあげたかった。たくさん助けてもらったぶん、純の力を使ってあげたかった。

 月子は顔を上げ、鼻を鳴らす。

「そうね。純ちゃんのほうが先に助けを求めてきたりして。みんなにいじめられたよ~って」

「う、ん、否定はできない……」

 心のうちを上手に隠す月子の笑みは、まさに女優そのものだ。

「月子ちゃん! 次の現場に行くから急いで準備して」

 男性の声が聞こえた瞬間、月子の笑みが消える。

 清潔感のあるスーツ姿の男性が、月子の荷物をもって近寄ってきた。月子のマネージャー、平山だ。

 月子は焦るようすもなく、マネージャーが持ってきた自分のカバンに手を突っ込んだ。取り出したのは、銀紙でキャンディのように包まれた、高級チョコレートだ。

 純に差し出す。

「チョコレート、好き?」

「もちろん! くれるの?」

 受け取ったチョコレートの包み紙には、おしゃれな英語のフォントで、ブランド名が書かれている。

「このブランドのチョコがおすすめ。私が一番好きなやつ。ストロベリーとか塩キャラメルとか、いろんな種類があるの。それはオーソドックスなミルクチョコ。一個、おすそ分け」

「ありがとう! 大事に食べるね」

 ふにゃりと笑う純の姿に、月子もほほ笑んだ。

「じゃあね、純ちゃん。お仕事、がんばって」

 くるりと背を向け、マネージャーとともに歩き出す。

「月子ちゃん、急ぐよ。もう車は来てるから」

 月子は返事をしない。

 二人は小走りになり、どんどんその場を離れていく。純は手にしたチョコレートを見つめながら、楽屋へ戻っていった。

 心はだいぶ、軽やかになっていた。



          †



 楽屋に戻ると、中は異常にシンとしていた。イノセンスギフトのスタッフが壁際にそろい、メンバーも全員テーブルに座っている。マネージャーともども、全員が純に視線を向けていた。

「どこに言ってたんだ! おまえは!」

 マネージャーの熊沢(くまさわ)が純につめ寄り、怒鳴り散らす。二十代後半でガタイがよく、高圧的な男だ。

 怒鳴られる理由がわからず、純は目をぱちくりとさせた。

「返事もできないのか? これだから二世の坊ちゃんは」

「……すみません、お手洗いに、いってました」

 楽屋を端から端まで見渡し、純は察した。

 出演の時間が近い中、純がいないことに気づいた熊沢が、わざわざこの体制を整えたらしい。トイレに行くと告げたスタッフに視線を向けると、顔をそらされた。

 大の大人が高校生相手にこのようなことをするなんて、と短く息をつく。とはいえ、撮影前に一人でふらふらしていたのは事実。

 熊沢に向けて、頭を下げる。

「申し訳ありません。今後はこのようなことがないようにします。メンバーやスタッフにちゃんと言ってから出るようにします」

 これでおさまらないのが熊沢だ。顔を上げた純に鼻で笑う。

「ったく。ほんとうにおまえは空気が読めねえな。おまえがそんなんだからイノギフの足並みがそろわねえんだよ。集団行動向いてねえんじゃねえか?」

 嫌悪、悪意、攻撃による快感。嫌な感情が、純に強く突き刺さってくる。こういうとき、反論するのも無駄だ。相手の気が済むまで止まらない。

「いつもいつも問題を起こすのはおまえだもんな。いい加減気づけよ、おまえがイノギフのすべてに迷惑かけてんだって」

 純の表情は、石のように固まっていた。

 一種の防御策だ。悪意のある言葉を真に受けず、聞き流せるように。悪意に負けて、体を震わせることも、泣くことも、精神が壊れることもないように。

 その姿を見てマネージャーが次になんと言うか、純はすでに予想できていた。

「おまえ、話をちゃんと聞いてんのか! そうやってボーっとしてるから同じミスを繰り返すんだろうが!」

「……はい。申し訳ありません」

 かろうじて出した声は、震えている。

 マネージャーの視線が、純の手元に向かった。

「おまえ、それ何もってんだ?」

「え?」

 純が持っていたのはチョコレートだ。マネージャーに見せて説明する。

「ああ、これ、チョコレートです。さっき」

 説明もさせず、熊沢が奪い取り、ゴミ箱に放り捨てた。動きが早くて、純が抵抗する暇もなかった。

「コソコソコソコソこんなもん食ってたのか、おまえは! アイドルは見た目が命なんだよ! ほんと、なにもわかってねえな!」

 熊沢は純を人差し指でさし、声を荒らげる。

「体型管理も肌を整えるのも仕事のウチなんだよ! 勝手に単独行動してた上に、こんなせこいことしてんじゃねえ!」

 純はチョコレートを持っていた手に視線を落とす。

「なんだ? 俺がなにか間違ったこと言ってるか? ああ?」

「……いいえ」

 泣きたくなるのをぐっと我慢した。泣いたら泣いたで、メイク直しをするスタッフに迷惑をかけるなと、責められる。これ以上、怒鳴られるネタを、提供したくはなかった。

 ノックの音が響き、扉が開く。

「イノセンスギフトのみなさん、そろそろスタンバイおねがいしまーす!」

 番組ADが扉を全開にし、メンバーへ移動するよううながした。立ち上がったメンバーたちは純の横を通り抜け、熊沢と一緒に楽屋を出る。

 純はその隙にゴミ箱へ駆けより、チョコレートを取り出した。背後から、スタッフの小ばかにする視線を感じ取る。

「なに? そんなに食べたかったわけ?」

「卑しい~」

 チョコレートそのものは、どうでもいい。これをくれた月子を思うと、どうしてもそのままにはしておけなかった。

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