純の居場所
文字数 2,665文字
純が通う
生徒の高い学力を求める一方で、学校行事に関する規定や校則はないようなものだった。
遅刻や欠席、早退に寛容で、純の芸能活動による授業時間の短縮も認められている。しかしそれはタレントコースの高校とは違い、あくまでも学力が備わっていれば、の話だ。
「はい、これ。ありがとう」
制服に身を包んだ純は、廊下でクラスメイトの男子にノートを差し出す。もう片方の手で、同じようなノートを何冊も抱えていた。
「どういたしまして。返すの大変そうだな。手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。自分で返したいんだ」
純はじゃあ、とその場を離れ、自分のクラスに入る。教室の隅で、分厚い参考書を読むメガネ男子に、ノートを渡した。
「勉強中ごめんね。これ、ありがとう」
声をかけられて驚いているメガネ男子に、純はにっこりと笑う。メガネ男子はノートを受け取るとぎこちなく声を出した。
「ご、ごめん。お、おれ、自分にわかるようにまとめてるから、見にくかったよな」
「全然! すごく細かくてわかりやすかった。俺、理系の授業苦手だから助かったよ」
メガネ男子は嬉しそうに笑うものの、目を合わせようとはしない。律も無理に合わせようとはしなかった。
「わ、わからないところがあったら、教えてあげるよ。あ、あげるっていうのはよくないよな、でもその」
「ほんとう? ありがとう! 化学でわからないところがあったらききにいくね! じゃあ、他の人にも返さなきゃいけないから」
純は自分の席に向かうまで、借りたノートを返して回る。同時に、さまざまな生徒から声をかけられた。
「純くん! 今日あたしのノート貸してあげる! 机にいれとくから!」
「星乃、今日の体育俺とペア組もうぜ」
「今日の化学、白衣使うって。持ってきた?」
純は笑顔で丁寧に対応していた。
平均より高い身長に、異質な赤髪。芸能界では目立たない純も、一般の世界ではひときわ違う雰囲気を放つ。
自分の席につくと、また、当然のように声をかけられた。
「おはよう、星乃」
声をかけてきた男子生徒は、長髪を後ろにまとめている。いかにも優等生といった雰囲気で、物腰が柔らかい。
「おはよう。どうしたの?」
「いや、調子はどうかなと思って。学校の勉強ちゃんとできてる?」
「うん! みんなのおかげでなんとかなってるよ」
「それはよかった」
純についてクラスで話し合いが行われたのは、入学してすぐのころだった。
どのように協力しあえば、学びを共有することができるのか。担任と生徒たちで積極的に意見が出された。ここではだれもが平等で、誰も純の立場に不満を持つことはない。
話し合いの結果、純は、ホームルームの不参加、特例の欠席、特別課題とテストによる評価の調整が認められた。
連絡事項はクラスメイトがメッセージアプリに流し、欠席した日の授業のノートを教科ごとに交代で貸す。おかげで、純は難なく学校生活になじめていた。
「星乃は人当たりがいいし、もともと誰とでも仲良くなれるタイプみたいだから、心配いらなかったね」
純は苦笑しながら返す。
「そんなことないよ。集団生活も得意なほうじゃないし」
「え? そうは見えないけど? いろんな人と話せてるじゃん」
「みんなとかかわる時間が少ないぶん、たくさん話しかけるようにしてるから、そう見えるのかも」
「そう思ってちゃんとできてるのがすごいんだよ。それって簡単にできることじゃないだろ?」
優しい言葉に、純はぎこちなくはにかんだ。
「ただでさえみんなに迷惑かけてるし、俺がみんなにできることなんて何もないから。優しくしてくれたぶん、優しさで返したいだけ。せめて俺の言動で、嫌な思いはさせたくないから」
「だから、そういうとこだよね。そういう星乃だからこそ、俺たちも協力しようって気持ちになるんだよ」
イノセンスギフトとは違って、ここには純の居場所がちゃんと用意されている。
なにより、純を小ばかにする人はいない。純のできないことを、責め立てるような人もいない。怒鳴る人もいなければ、冷たい視線を向ける人もいなかった。
「星乃はすごいよ。……仕事もやって、学校にも通って、成績も維持してる。俺だったらどっちかを手ぇ抜いちゃうもん」
「全然すごくないよ。アイドルっていっても大した知名度はないから……」
「そうかな? みんなに気配りできて、どんな相手とも仲良く話せるって、アイドルとしてかなり大事な部分じゃない? 星乃のこと、見てくれてる人は絶対いると思うけど?」
くすぐったくなるくらいの誉め言葉だ。純は素直に受け取れないでいた。
「おれなんて全然……」
「まあ、俺たちみたいな一般人にはわからないような世界だから、きっといろいろあるよね。でも星乃はもっと、自信もっていいと思うよ」
純は返事をせず、眉尻を下げながらほほ笑んだ。
「あ、そうだ。……星乃とめっちゃ語りたいことがあったんだ」
「なに?」
「新しく始まるドラマの渡辺月子について」
真面目に言い放つクラスメイトに、純は目をぱちくりとさせた。真剣な声で月子の名を出すことがなんだかおかしくて、吹き出しながらうなずく。
「いいよ、聞く聞く」
クラスメイトは前の席に横向きで座り、純の机によりかかる。
周囲を気にしながら、真剣に討論するかのような表情で声を潜めた。
「あのさ、あれ、どうなってんの? あの衣装はないだろ!」
「ゴスロリの衣装?」
「そう! 絶対月子がゴスロリで曲出した影響でしかないだろ! それで注目させようみたいな製作陣の魂胆が見え透いてんだよな!」
「いや、あれはそもそも原作があって、月子ちゃんのキャラがそもそもゴスロリで」
「わかってる! わかってるよ! でもさ、ゴスロリで選ばなくてもいいじゃん。演技力だけで言ったらさ、月子に向いてる役他にもあったじゃん。もっと仕事選べるだろ、月子なら」
「あはは。ガチ勢だねぇ」
純は柔らかく笑いながら、うんうんと聞いていく。
「星乃はさ、渡辺月子と会ったことないの?」
「……あるよ」
「へえ、どうなの? やさしい?」
「みんながイメージしてるとおりの人。真面目で、軸があって、ブレない人。どちらかというと物静かなイメージだね」
学校での純は、アイドルでいるときよりも笑顔で過ごせている。純の周りにいる生徒からは、悪い感情を一切感じない。
自分で選んだ高校は、非常に居心地のいい場所だった。