何ごともないわけがない生放送 

文字数 3,584文字




 制服姿で通学カバンを背負う純は、事務所の中を走る。すれ違う社員やレッスン生たちを器用に避け、裏口に出た。

「遅い!」

 熊沢の怒号に、体を震わせる。すぐに頭を下げて謝罪した。

 裏口にはすでにマイクロバスがとまり、先に来ていたメンバーはもう乗り込んでいる。

 バスの前で仁王立ちした熊沢が、顔をゆがませて吐き捨てた。

「ったくこれだから劣等生は。時間もろくに守れないんだもんな」

「すみません、でも……」

「学校があるからなんてのはいいわけだからな? 他のやつらは時間通りにちゃんと来てるんだから。早退なり休んだりしてよ」

「すみません……」

「大体、時間に余裕があっても一番下が一番先に来るもんだろ。常識だぞ、常識!」

 熊沢の言動から、イライラした感情と、言葉に出している以上の罵詈雑言を読み取った。純の目に、うっすらと涙が浮かんでくる。

「とろとろしてねぇでさっさと乗れ!」

 裏口中に熊沢の声が響く。体を震わせながら、小さく返事をした。

「さーせん。遅れましたー」

 間延びした声が後ろから聞こえた。

 顔を向けると、イノセンスギフトのメンバーである氷川要が、学ラン姿で立っている。

 前髪をワンレンにしたショートヘアで、華奢な体つき。目尻のほくろが、色っぽい雰囲気を漂わせていた。

 熊沢は舌打ちして返す。

「おまえか」

 純は怒鳴り声にそなえて身構えた。

「はやく乗れ」

 予想は外れ、要はそれだけで済んだ。複雑な感情が、純の中で膨れ上がる。

「なにしてんの?」

 純のとなりに来た要から、とげとげしい声が刺さる。

「はやく先に乗ってくれる?」

「あ、すみません……」

 純は急いで乗り込み、ちょうどあいていた二席の窓際に座る。そのとなりに、要が座った。

 最後に熊沢が乗って先頭に座ると、バスは発進する。

 

          †



 今日はこれから、生放送の音楽番組に出演する。

 局に到着して早々、番組の打ち合わせを済ませ、リハーサルを行った。この段階でもう緊張していたが、ミスすることなく踊ることができた。本番でもうまくいくよう、心の中で祈り続ける。

 生放送ということもあり、番組スタッフも他のアーティストもせわしなく、余裕がない。

 刻一刻と迫ってくる本番。リハーサルを終えたイノセンスギフトは衣装に着替え、ヘアセットも順に終えていく。

「時間あるときに弁当食っとけよ!」

 熊沢の怒号が響く。楽屋のテーブルには、すでに弁当が積み上げられていた。

 ヘアセットが終わったメンバーから手を付けていく。

 純がヘアセットを終えたのは、最後だった。すきっ腹をなでながら残りの弁当に手を伸ばす。

「みんな食べたな! 今からMCのライオンさんにあいさつに行くから! 早く来い!」

 熊沢の声に、手を止めた。辺りを見ると、早々に食べ終わっているメンバーもいれば、口に入れたものを水で流し込むものもいる。

 純はちらりと弁当を見て、食べるのを諦めた。メンバーと一緒に廊下へ出ようと、一歩踏み出す。が、要が前をさえぎった。

「口、あけて」

「え?」

 要が弁当に入っていたおかずをカップごと、純の口先に持ってくる。

「はやく」

 おそるおそる口を開けた。と同時に、要はおかずを口に押し入れてくる。

 マッシュポテトだ。

 お礼を言おうにも、咀嚼するのに精いっぱいで口を開くことができない。要はカラになったカップをゴミ箱に入れる。

「俺、食べるもの気ぃ遣ってるから。炭水化物は食いたくないんだよね」

 素っ気なく、投げやりな口調だ。しかし、その言葉がウソであることを、純は見抜いていた。



          †



 音楽番組の生放送が始まった。数多くのアーティストとともに出演する。出番になるまでひな壇に控え、他のアーティストのパフォーマンスを眺めていた。

 歌やVTRが流れる間、純は近くに座る他のアーティストたちを観察する。ギラギラしたオーラに圧倒されながら、緊張や不安を同時に感じ取っていた。

 これほどまでにすごいアーティストでも緊張はするのか――と意外に思いつつ、純は静かに収録時間を過ごす。

「続いてはイノセンスギフトで~す」

「よろしくおねがいしま~す」

 大物男性MCに紹介され、そのとなりに移動しているイノセンスギフトがカメラにうつった。

「今回はデビュー曲を歌ってくれるんだって?」

 センターの千晶が笑顔でうなずいた。

「はい。今日はメンバー全員楽しみに」

 腹の鳴る音が、千晶の声をさえぎった。

 大物MCが吹き出す。

「え? なに今の、おならした?」

「違います違います! すみません! 僕です! すみません!」

 MCから一番離れた位置に座る純が、真っ赤な顔で否定する。番組スタッフや他のアーティストたちは、笑みを見せていた。中には、声が出そうになるのを必死にこらえる者もいる。

「びっくりした~。地響き起きてんのかと……」

「すみません、あの、ほんとうに。楽屋のお弁当食べずに出ちゃって……」

「おなか空いてるんだ? イノセンスギフト今忙しいだろうからね」

「すみません」

「いい、いい。先輩のグループでも腹鳴らしてる人いたから。……ねぇ?」

 大物MCのフォローで、周囲から笑い声が短くあがった。

「そういうときはね、ケータリングのお菓子食べればいいから」

「はい。以後気を付けます~」

 話をさえぎった千晶からの視線が痛い。楽屋に戻ったら、熊沢から説教を食らうことになるだろう。

 これ以上は何も問題を起こしてはならない。

 そう、思っていたのに。

 特設ステージに移動してすぐ、楽曲のパフォーマンスが始まった。純は腹が鳴ったことを引きずり、集中できない。踊れてはいるものの、練習のときよりも動きが硬く、ぎこちなかった。

 このままではまずい。わかってはいても、体が言うことをきかない。パフォーマンスも終盤に差し掛かったサビの途中。

 純の足が絡まる。カメラでグループ全体をうつされるその端で、盛大に転んだ。

 純の思考は止まる。が、曲は止まらない。なんとか立ち上がっても、今曲のどの部分なのか、フリをどこから始めて良いのかわからない。

 頭が真っ白になる。パニックだ。

 純の腕を、誰かが引いた。

 気付いたときにはカメラの前で、全員が集まる中、手を振っていた。

 となりにいた要が、カメラに笑顔を向けながら、純の頬をつかむ。笑顔ができていない純へのフォローだ。

 ダンスのミスを引きずる余裕もなく、スタッフの指示でひな壇に移動する。番組は予定どおり進み、今日の放送を終えた。



          †



「何してんだおまえは! そんなにみんなの邪魔して楽しいか!」

 楽屋の外で、純は熊沢に怒鳴り散らされていた。

「千晶の邪魔してダンスはミスして……そこまでして俺たちを困らせたいのか? ああ?」

「すみません」

 純はバツの悪い顔で、頭を下げる。

 熊沢から流れてくる不快感や、廊下を通る番組スタッフの視線に、押しつぶされそうだ。

「弁当食べられねえのは他のメンバーだっておんなじだっただろ。自分で時間作って食べてんだよ! 人のせいみたいな言い方してんじゃねえ!」

「すみません」

「ほんと、俺たちに迷惑しかかけないよな、おまえは。もういい。とっとと着替えろ!」

 熊沢が楽屋を顎でしゃくり、純は促されるまま中に入る。

 他のメンバーは声を出すことなく、すでに着替え始めていた。純に視線すら向けようとしない。楽屋全体に、居心地の悪さを感じる。

 自身の制服があるテーブルの前で、衣装を脱ぎ始めた。となりでは、すでに私服姿の千晶がイスに座り、ひざにカバンをのせている。

 急いで着替えた純は、脱いだ衣装をハンガーにかけた。背後にあるラックに戻していると、背中に視線が突き刺さっていることに気付く。

 千晶に、顔を向けた。

 ――目が、合った。千晶は体をにひねるようにして純を向き、チョコレートの包装紙を開けている。ケータリングで用意されたものだ。

 先に見ていたのは千晶のほうなのに、不快気に眉をひそめだした。

「……なに?」

 男らしい骨ばった手でチョコレートを口に入れる。冷ややかで高慢な顔つきに、純は思わず目を伏せた。

「さっきは、ごめんなさい……」

「別に」

「あと、ありがとう。俺のこと、助けてくれて」

 千晶は黙ったままチョコレートを食べていた。

 パフォーマンス中、ミスをした純の腕をひいたのは、千晶だ。センターの立ち位置からずれてでも、急いで引き寄せた。

 飲み込んだ千晶は、鼻を鳴らす。

「気づいてたんだ? あんなことしでかして、周りのことなにも見えてないかと思ってたけど」

「うん。見えてなかった。……けど、俺の顔つかんでた氷川くんの手とは、違う質感だったから」

「は? なにそれ。……キモいんだけど」

 冷ややかな目をして、立ち上がる。これ以上話すことはないとばかりに背を向け、ぐちゃぐちゃに丸めた包装紙を、ゴミ箱に放り捨てていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み