その存在は吉か凶か 1

文字数 1,683文字




 事務所のエントランスには、月子がいた。

 隅にあるテーブルで、宿題をしている。制服姿で髪を結んでいても、芸能人特有のオーラは隠せていない。通りすがりの社員やレッスン生はすぐに月子だと気づき、視線を向けていた。

 舞台でさらに名前をとどろかせた月子は、今や事務所で一目置かれる存在だ。本人は気にすることなく、いつもどおりに過ごしていた。

「つ~きっこ。久しぶり」

 間延びした、低い声。月子の正面に、老年の男性が座る。

 身長が高く、ガタイがいい。オレンジ色のシャツが特徴的な軽装で、圧のある笑みを浮かべていた。

「会」

「あ~だめだめ。気づかれたらいろいろめんどくさいでしょ。パパって呼んで。おじいちゃんでもいいよ?」

 男性のふざけた口調に、月子の目つきが殺伐としたものに変わる。

「そんなに引かなくてもいいじゃん。結構ショックなんだけど?」

 男性の正体は、会長だ。

 エントランスを通るレッスン生や社員は、その存在に当然気づいている。会長の圧倒的オーラに負けて、近づこうとしないだけだ。

 業界中に顔が知られている会長に、気付くなというほうが無理だった。

「舞台、大盛況だったね」

 月子は宿題を重ね、はしによせる。

「はい。おかげさまで」

「演技の仕事、ますます増えると思うよ。歌も、ね」

 会長を前に月子は姿勢を正した。わざわざ話しかけてきた会長の本題が何か、勘繰っている。

 それに気づいているのかいないのか、会長は前のめりに月子を見つめ、笑った。

「聞いたよ。純くんと、仲がいいんだって?」

 月子は二、三回まばたきする。予想とは大きく離れた話題だ。

「舞台にも来てほしいって、名前を出したらしいじゃないか」

「ええ。私の演技が、勉強になると思って」

「そうなんだ? 今まで誰一人として呼ぼうとしなかった月子がねぇ……」

 大げさにうんうんとうなずく会長に、月子がさめた声を出す。

「別に、変な関係ではありませんよ」

「わかってるよ。友達なんだよね?」

「向こうが私のことをどう思ってるかは知りませんけど」

 社長がにこやかな顔を崩すこともなければ、月子も冷静さを崩すことはない。中学生だというのに、会長とうまく渡り合おうとしている。

「会長に、質問してもいいですか?」

「いいよ」

「ほんとうに会長が星乃純くんのスカウトを?」

 会長は余裕に笑いながら、首をかしげる。

「それ、質問を間違えてない? どうしてスカウトしたかじゃなくて、ほんとうにスカウトしたかどうかを聞きたいの?」

「もしほんとうにそうなら前者もお聞きしたいです」

 会長は愉快に笑ったまま、肩をすくめた。

「そうだね。したというより、したかった、かな」

「ということはしてないんですか?」

「でも最初に目を付けてたのは僕だから。会長のスカウトってことにしてほしいって、僕のほうから言ってあるんだ」

「なんでわざわざそんなことを……」

「だってかわいそうじゃん、彼。そう思うでしょ?」

 月子は目を伏せた。純と初めて会ったときのことを思い出す。

 星乃純は、才能がない二世の劣等生。イノセンスギフトに純が入ったころ、純の悪いウワサは急速に広まっていった。親の名前が強いこともあり、月子の耳にもすぐに入ってきたくらいだ。そこかしこでうわさ話が飛び交うこの事務所で、彼の居場所はないに等しい。

「強い味方くらいは必要でしょ。会長の息がかかってるって、場合によってはすごい武器になる」

「……ですね」

「まあ、純くん本人はそれを武器にするつもりはなさそうだけどね。月子っていう味方もいることだし」

 会長は歯を見せて笑った。月子は短く息をつく。

 月子が純とどうかかわってきたのか、会長にはすべてお見通しのようだ。

「嫌いなんです、ああいうの。いじめみたいで」

「うん。僕も嫌いだよ。僕がスカウトしたって知ってるくせに、あの環境にいさせる判断がね」

「……私の言う『嫌い』と意味違いますよね?」

「いやいや同じだよ。僕はね、自分がスカウトした子は自分の子どもだと思ってるくらいなんだ。僕が直接かかわってたら、月子よりもっと強引に守ってるよ。まあ、それはそれで、ヒイキって言われちゃうのかな」
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