涼しい顔してほんとうは 2

文字数 2,617文字




 女性アイドルたちの小心者っぷりに、鼻を鳴らした。

 机に置いていた台本に、目を向ける。

「幻滅しただろうな、純ちゃん」

 純には、見られたくなかった。みじめに映る自分を、見てほしくなかった。

 純に知られ、助けを求めたところでなんの解決にもならないだろうから。

 ノックの音が響いた。相手が誰かはわかっている。

 不機嫌な声で返した。

「ちょっと待って! 着替え中です!」

 散らばっている物を急いで拾い上げ、カバンに詰め込んでいく。

 ふきんは化粧台のすみに置いた。ふきん独特の雑菌臭が手についた。服で拭くわけにもいかず、ティッシュはすでにカバンの中。お気に入りのハンカチににおいをうつしたくない。

 臭いのをごまかせないが、この場ではどうしようもなかった。あまりに時間をかけると不審がられてしまう。

 とりあえず忘れ物がないか念入りにチェックして、ドアに顔を向けた。

「どうぞ」

 開いたドアから入ってきたのは、マネージャーである平山だ。

「月子ちゃん、もう出れる?」

 平山はいつもどおり、穏やかな笑みを浮かべていた。月子はカバンを背負い、うなずく。

「今日はこれで上がりだから。もう帰れるよ」

「そうですか」

 月子は臭いのついた手を背中に回し、指をこすり合わせる。手洗いに寄らせてもらおうと考えながら、眉間にしわを寄せていた。

 ふと、自身にずっと向けられている視線に気づく。

「……なんですか?」

 平山はにこやかな表情で、答える。

「ううん。今日も月子ちゃんは完璧だったなって。星乃くんの紹介もうまくできてたし、日野さんとの掛け合いもよかったよ」

「ああ……そうですか」

「星乃くんもなかなかうまかったね。星乃くんとは仲もいいし、一緒にやってて楽しかったんじゃない?」

「そういうのいいので早く出ませんか?」

 そっけない月子の反応に、平山は苦笑する。

「あ、うん、そうだね」

 ドアを開けようと手を伸ばした平山だったが、その動きは止まる。

「その前に、月子ちゃん、ちょっといいかな?」

 月子の眉がぴくりと動いた。廊下に出てからではだめなのかと、いら立ちが募っていく。

「なんですか?」

「月子ちゃんって今、中二だよね? そろそろ修学旅行の時期だよね?」

 突拍子もない話に、月子の顔はますますゆがんでいく。

「はあ。そうですけど」

「いつの予定かわかる? 休みを調整するから早めに教えてよ」

 確かに、平山は優秀なマネージャーだ。仕事もちゃんとこなし、体調や機嫌のことも気遣うことができる。とはいえ、この厄介な気遣いは、月子には不要だ。余計なお世話でしかない。

「別に、大丈夫です」

「僕に気を遣わなくて大丈夫だよ。修学旅行くらい行かなきゃもったいないよ」

「旅行なんていつでもできますし、仕事で地方に行くこともありますから」

 月子は不愛想な顔つきで、自身の手首に爪を立てながら握りしめる。

「仕事のオファーがあるなら極力受けてください」

「でも……修学旅行って大きなイベントだよ? 体育祭みたいに毎年あるわけじゃないんだし。行ったほうがいいよ」

 月子が気にするなと言っているというのに、まったく話が通じない。

「仕事が減るのを気にしてる? 大丈夫だよ、月子ちゃんなら。影響が出ないようにちゃんと調整するから」

「必要ないって言ってるじゃないですか!」

「でも……」

 月子が声を張り上げるまでに至っても、平山は折れなかった。平山の中で月子は、あくまでも『仕事に追われて学校にいけないかわいそうな子』なのだ。

「クラスメイトたちも、月子ちゃんが来たら喜ぶんじゃない?」

 純粋な言葉は、鋭利な刃物になって月子を突き刺す。月子の目が見開いているのにも気づかず、平山は続けた。

「今の渡辺月子は、いろんな人が応援するトップスターなんだもん。僕だったらほおっておかないよ」

 平山は能天気に笑う。月子が今、どんな感情を抱いているのかも知らずに。

「月子ちゃんは中学生なんだから、同じ年齢の子たちと遊ぶのも重要だよ。貴重な青春が仕事ばっかりになったらもったいないでしょ」

「違う! 私は……」

「無理しなくていいんだよ、月子ちゃん。いつもがんばってくれるから、僕も仕事を受ける加減ができてなかったんだよね」

「違うんですって! 私の話をちゃんと聞いて!」

「月子ちゃんこそ、僕の話を聞いてよ!」

 まるで、月子のほうが悪いかのような言い方だった。月子は眉間にしわを寄せながら、両手のこぶしを握りしめる。

「僕は、月子ちゃんのことが心配なんだ。学校を休んでばっかりで、友達と一緒に遊んだりする時間もないし。このままじゃ学校や家にも居場所がなくなっちゃうよ」

 月子はうつむき、唇を噛みしめる。反応を返すこともできない。平山への信頼が剥がれ落ち、不信感に満ちていく。

 彼が自分のことを、絶対に理解することは、できない。

「今引き受けてる仕事が片付いたら、スケジュールを調整するね。まだ子どもで学生なんだから、友達との思い出はたくさん作らないと」

 月子の頭を、ドロドロになった感情が支配する。

 一番近くにいるはずのマネージャーがなぜ理解してくれないのか。なぜ伝わらないのか。なぜ、勝手に押し付けてくるのか。

 わからない。居心地が悪い。吐き気がしてくる。一緒にいたくない。

 同じ優しさの押し付けでも、純のそれとは全然違う。的外れもはなはだしい。そのくせ、自分の価値観が正解だと押し付けてくる。

 それが月子を見下していることになり、みじめな気分にさせるということに気づきもしない。平山は笑いながら、月子が大事にしているプライドを、踏みにじっている。

「あ、そういえば、さっきArcana Secret(アルカナ シークレット)の子たちにあったよ」

 先ほど月子の楽屋から出てきた、女性アイドルのことだ。

「すごくいい子たちだったよ。月子ちゃんと共演できて嬉しいって。また一緒に仕事したいってさ。月子ちゃん、大人気だね!」

 月子はうつむいたまま返事をしない。異臭を放つこの手で、びんたの一つくらいはしてやりたかった。

 だがしない。仕事のために、自分が悪者に見られるわけにはいかない。

 平山の声はもう、生理的に受け付けなかった。耳から入ってくる声が、頭の中でガンガンと響き渡っている。

「みんな月子ちゃんのこと尊敬してるんだよ。ああいうふうになりたいって。月子ちゃんはみんなに愛されて幸せ者だなぁ」

 月子の中で、かすかに残っていた平山の評価は消え去った。平山が、それに気づくことはない。

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