第6話 秦璃の父親

文字数 2,100文字

 妖怪退治の仕事にも林魁(りんかい)は同行するようになった。もちろん直接戦いに参加することはないが、必要な武器や道具を選んだり投げ渡したりと、なかなかの活躍をみせている。 
  
 それほど大物の妖怪とはでくわしていないおかげか林魁の身体には何の異常もなかった。龍の心配をよそに、道観の中で林魁は龍の真似をして木剣を振り回している。

「やっぱりすごいなあ、師匠は。こんな棒切れで妖怪をぶった斬るんだから。おれ、びっくりしたよ」

「こらこら、そんなに振り回すものではありません。その剣は桃の木より作り出した霊剣なのですよ。ほら、この箱の中にしまって」

 龍に注意され、林魁はしぶしぶ木箱の中に木剣を入れた。木箱にはいつでも簡単に持ち運べるよう革紐が通してあり、背負うように出来ている。そして表面には八卦図が描かれていた。

 ふいに門をどんどんと叩く音が聞こえる。
 龍が怪訝な顔で門へ向かおうとしたが、それより先にばん、と門扉が開かれた。そこには中年の男が一人。顔に大きな火傷の痕がある。

 見覚えのあるその顔は明らかに怒っているようだった。龍の姿を見ると大股に歩み寄ってくる。

「龍先生! 一体どういうことです!? うちの娘に小間使いのような真似をさせているそうじゃないですか!」

 男の剣幕に龍はぽかんとしていたが、気を取り直してわけを訊く。

秦昂(しんこう)どの。どうしたのですか? 秦璃(しんり)のことでなにか?」

 龍の平然とした質問に、秦昂は顔を真っ赤にしながら怒鳴る。

「近所の者から聞いたんですよ! うちの娘がこの道観で、炊事洗濯やら買出しなんぞをやらされていると!」

「いや、それはわたしが強要したわけでは……秦璃が自主的に行っているのです。実際、助かっていますが」

 龍の弁解に秦昂はまったく耳を貸さない。

「ええ、うちは塾へ通わせたり、教師を雇ったりする余裕はありませんとも。龍先生の好意に甘えているのが実情ですよ。ですがね、落ちぶれたとはいえ秦家の娘を下女扱いされるとは心外です! 先生、今日限りで阿璃はここへは通わせませんから」

「待ってください。あの子はここで学ぶことを楽しみとしていますし、学問の向上も目をみはるものがあります。これからは身の周りの世話をせぬよう、わたしから言い聞かせておきますから。どうかそれだけは……」

頭を下げて懇願するが秦昂の怒りは収まらなかった。龍を押しのけ、奥の部屋にいる秦璃に呼びかける。

「阿璃や、出ておいで! わしと一緒に帰ろう。これからは塾へ通わせるか、教師を雇うかしようじゃないか。金のことなら心配しなくてもいい。おまえはしっかり勉強して立派な中央の官吏になるんだろう? 秦家を盛り上げ、再び名門秦家と呼ばれる日をみんな夢見ておる。おまえは頭がいい、必ず夢は叶う。こんなところで雑用をしているわけにはいかないだろう?」

 秦昂の呼びかけに対し、奥の部屋からはなんの返答もなかった。秦昂は軽く首をかしげ、部屋の前まで来てもう一度呼びかける。

「阿璃! 聞こえているんだろう? さあ、早く出ておいで」

 引き戸の隙間に手をかける。そっと引いてみると簡単に開いた。そのままがらり、と開け放ち、娘の姿を捜す。

 秦璃はすでにいなかった。机の上にはつい先ほどまで使っていたであろう、筆や紙。読みかけの書物。机の側には開け放たれた窓。父親が怒鳴り込んできたと知った少女は早々とそこから逃げ出したらしい。

 秦昂は憤慨して道観を去っていった。捨てぜりふに、娘になにかあったらあなたの責任だ、と喚いていた。龍は深々と頭を下げ、林魁は小声で悪態をつく。

「ふう、驚きましたね。ここでの手伝いのことを秦璃は言っていなかったのですね」

「そうみたいだね。まあ、あの親父じゃ仕方ないよねえ」

 二人は顔を見合わせて納得する。そのとき、がさごそと塀をよじ登り、紅の裙をなびかせながら一人の少女が庭へ舞い降りた。

「まったく、お父さまったら余計なお世話よ。わたしが好きでここに来てるんだし、お手伝いだって好きでやってるんだから。口を開けば秦家のため、秦家のためだって。もう、うんざりだわ」

 愚痴をこぼしながら龍の顔を覗きこむ。龍のことだから父親の言うことを聞いてもうここには来るな、と言いかねないと心配しているのだ。龍はふう、と溜息をつき、苦笑しながら言った。

「ここへ来るのは秦璃、あなたの自由です。ですが、きちんとお父上と話し合ってからにしなさい。それまではここで学ぶことも手伝いもしないほうがいいでしょう」

 それを聞いた秦璃は意外にもけらけらと楽観的に笑う。

「良かった。龍先生がそう言ってくれるなら安心だわ。お父さまはあれでもわたしには甘いし。承知してくれなきゃ、いっそのことここで道姑にでもなるって脅せばちょろいもんだわ」

「ははは、おまえが道姑? 無理無理。ずっとここで下働きしてたほうがいいぜ。いつかおれが一人前の道士になったら、下の世話から添い寝までさせてやるぜ」

 林魁がからかうと、秦璃は真っ赤になって追いかけ回す。

「誰があんたなんかの! 待ちなさい、この悪ガキ!」

 ぐるぐるとせわしなく庭を駆け回る二人を見ながら、龍は再び溜息をついた。
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