第1話 龍先生
文字数 2,230文字
「またか。まったく、どうなってんだ?」
うんざりしたように、役人ふうの黒い制服を着た大柄な男がつぶやく。目の前には黒焦げになった肉の塊。もはや原型を留めていない。男はその異臭に顔をしかめながら、横で茫然としている男女に目をやる。
男はぶるぶると震えながら、うわごとのように繰り返していた。
「変だとは思っていたんだ。夜にしか出かけないし、隠れて生肉ばかり食っていた……。今思えば、おかしなことばかりだった……」
女はその場に崩れ落ち、今まで自分の息子だった物体──いや、そう思い込んでいたものをじっと見つめ、放心しているようだった。
「一年前に行方不明になった息子が急に帰ってきたかと思えば、その正体は妖怪だったとはな」
役人ふうの男──蘇悠 は溜息をつき、振り返って一人の男に声をかける。
「龍 先生、どうなってんですかね? ここ二、三ヶ月で妖怪やら悪霊の事件がやたらと多くなった。おれの手には負えないものばっかりだ」
龍先生と呼ばれた男が手元の木箱に紙符や木剣などの道具を詰め込みながら答える。
「おそらくは先帝崩御となんらかの関係があるのでは? 大きな声では言えませんが……」
年齢は二十代半ばといったところだろうか。しかしどこか老成した雰囲気を持っているので、役人ふうの男は自分が年上にもかかわらずへりくだった物の言い方になってしまう。
龍は端整な顔立ちに温和な表情をにじませ、すっくと立ち上がる。
「都に怪異が起こるのは国が安定していない証拠。このようなときは大概、新帝が大がかりな祈祷を高名な道士たちに命じるのですが……。即位したばかりの皇帝陛下にそのつもりはないようですね」
「そんじゃあ、龍先生が祈祷をやればいいんじゃないんですかね。龍先生なら腕も確かだし」
蘇悠が訊くと龍は困ったような顔をした。
「蘇悠どの、わたし一人では無理です。それに宮廷道士をさしおいてわたしのような無位無官の道士が国のために祈祷を行う事はできないのです」
「へえ、なんだか面倒だなあ」
蘇悠は不満そうに口をとがらせる。都での怪異が収まらなければ警備担当の役人である自分が多忙になる。盗人や暴漢相手ならまだしも、妖怪、悪霊の類は専門外なのだ。
だからこうして道士に妖怪退治を依頼するのだが、日頃でかい顔をして都をねり歩いているだけに人々から役立たずと思われるのはなんとも癪だ。
それを見抜いたかのように龍が微笑んだ。
「心配しなくてもしばらくすれば人心も落ち着き、怪異も収まるでしょう。人々の不安な気持ちが負の気を好む妖怪どもを引き寄せるのですから」
「ふうむ。それならいいんですがね」
「それよりあとのことは任せました。わたしはこれで失礼します」
龍は木箱を背負い、家屋の外へ出る。蘇悠は慌ててそれを追いかけた。
「龍先生。いつものことなんですがお代はいいんですかい? いっつも世話になってんのに、おれは申しわけなくて」
懐から銅銭を取り出そうとする蘇悠に対し、龍は首を振る。
「いえ、結構です。わたしのような者が役に立てただけでもありがたいのですから。そのお金は妖怪たちの被害に遭って困っている方々のために使ってください」
龍の言葉に蘇悠は半ば感心し、半ば呆れたように頭をぽりぽりと掻く。
「いやあ、ほんと申しわけねえ。宮廷道士に依頼できんこともないんですが、奴ら腕が悪いくせに銭だけはたんまり取りやがる。龍先生がいて本当に助かりますよ」
そんなやりとりをしていると、ふいに一人の少年が駆け寄ってきた。
「蘇悠さん、うちの師匠に金なんか持たせても自分のためになんか使わないんだからあげるだけ無駄だよ。それよか、おれにお菓子でも買ってくれたほうがまだいいと思うけど」
その少年を龍はじろりと横目で睨む。
「魁 。廟で清めた水を持ってきなさいと言ったのに、どこまで行っていたのですか?」
魁と呼ばれた少年は大げさに両手を振りながら言い訳する。
「あ、えっと、あの、お参りしてる人が多くて……。なかなか先に進めなかったんだ。師匠、本当だよ」
「……それで清水は?」
「あっ、ここに」
少年が差し出した清水入りの竹筒を龍は蘇悠に手渡す。
「妖怪の死骸を片付けたあと、家中に振りまいてください。邪気が残らないように」
「あいよ、龍先生。これからも忙しくなるだろうけど、どうかお気をつけて」
「ええ。蘇悠どのも」
二人の会話に、少年がにやけながら口を挟む。
「蘇悠さん。人の心配する前に自分の心配したら。もしかしたら蘇悠さんの奥さんが鬼女に入れ替わってるかもよ?」
「林坊、なにをばかな」
「ほら、この間も呉服屋の若旦那。あそこの嫁が鬼女に入れ替ってたろ? 寝てる間に頭からばりばり喰われて……おお、おっかねえ。いつも一緒にいる旦那も気づかないくらいだからね」
「…………」
蘇悠は青い顔になって考え込む。事件があった当日、その現場を自分も見た。あまりの凄惨さに嘔吐したのだ。そのような怪事件が、自分の身に起こらないとは限らない。
「これ、魁。蘇悠どのを不安にさせるようなことを言うんじゃありません。蘇悠どのも気になさらないでください」
だが蘇悠は青い顔のまま黙り込む。少年は龍に襟首をつかまれ、引きずられながら言った。
「蘇悠さん。心配ならおれがあとで鬼女かどうか調べる方法を教えてあげるからさあ。今度飯でもおごってよ」
まだなにかを喚きながら引きずられていく少年と、龍の後ろ姿を見送りながら蘇悠は一抹の不安を抱えたまま仕事へと戻った。
うんざりしたように、役人ふうの黒い制服を着た大柄な男がつぶやく。目の前には黒焦げになった肉の塊。もはや原型を留めていない。男はその異臭に顔をしかめながら、横で茫然としている男女に目をやる。
男はぶるぶると震えながら、うわごとのように繰り返していた。
「変だとは思っていたんだ。夜にしか出かけないし、隠れて生肉ばかり食っていた……。今思えば、おかしなことばかりだった……」
女はその場に崩れ落ち、今まで自分の息子だった物体──いや、そう思い込んでいたものをじっと見つめ、放心しているようだった。
「一年前に行方不明になった息子が急に帰ってきたかと思えば、その正体は妖怪だったとはな」
役人ふうの男──
「
龍先生と呼ばれた男が手元の木箱に紙符や木剣などの道具を詰め込みながら答える。
「おそらくは先帝崩御となんらかの関係があるのでは? 大きな声では言えませんが……」
年齢は二十代半ばといったところだろうか。しかしどこか老成した雰囲気を持っているので、役人ふうの男は自分が年上にもかかわらずへりくだった物の言い方になってしまう。
龍は端整な顔立ちに温和な表情をにじませ、すっくと立ち上がる。
「都に怪異が起こるのは国が安定していない証拠。このようなときは大概、新帝が大がかりな祈祷を高名な道士たちに命じるのですが……。即位したばかりの皇帝陛下にそのつもりはないようですね」
「そんじゃあ、龍先生が祈祷をやればいいんじゃないんですかね。龍先生なら腕も確かだし」
蘇悠が訊くと龍は困ったような顔をした。
「蘇悠どの、わたし一人では無理です。それに宮廷道士をさしおいてわたしのような無位無官の道士が国のために祈祷を行う事はできないのです」
「へえ、なんだか面倒だなあ」
蘇悠は不満そうに口をとがらせる。都での怪異が収まらなければ警備担当の役人である自分が多忙になる。盗人や暴漢相手ならまだしも、妖怪、悪霊の類は専門外なのだ。
だからこうして道士に妖怪退治を依頼するのだが、日頃でかい顔をして都をねり歩いているだけに人々から役立たずと思われるのはなんとも癪だ。
それを見抜いたかのように龍が微笑んだ。
「心配しなくてもしばらくすれば人心も落ち着き、怪異も収まるでしょう。人々の不安な気持ちが負の気を好む妖怪どもを引き寄せるのですから」
「ふうむ。それならいいんですがね」
「それよりあとのことは任せました。わたしはこれで失礼します」
龍は木箱を背負い、家屋の外へ出る。蘇悠は慌ててそれを追いかけた。
「龍先生。いつものことなんですがお代はいいんですかい? いっつも世話になってんのに、おれは申しわけなくて」
懐から銅銭を取り出そうとする蘇悠に対し、龍は首を振る。
「いえ、結構です。わたしのような者が役に立てただけでもありがたいのですから。そのお金は妖怪たちの被害に遭って困っている方々のために使ってください」
龍の言葉に蘇悠は半ば感心し、半ば呆れたように頭をぽりぽりと掻く。
「いやあ、ほんと申しわけねえ。宮廷道士に依頼できんこともないんですが、奴ら腕が悪いくせに銭だけはたんまり取りやがる。龍先生がいて本当に助かりますよ」
そんなやりとりをしていると、ふいに一人の少年が駆け寄ってきた。
「蘇悠さん、うちの師匠に金なんか持たせても自分のためになんか使わないんだからあげるだけ無駄だよ。それよか、おれにお菓子でも買ってくれたほうがまだいいと思うけど」
その少年を龍はじろりと横目で睨む。
「
魁と呼ばれた少年は大げさに両手を振りながら言い訳する。
「あ、えっと、あの、お参りしてる人が多くて……。なかなか先に進めなかったんだ。師匠、本当だよ」
「……それで清水は?」
「あっ、ここに」
少年が差し出した清水入りの竹筒を龍は蘇悠に手渡す。
「妖怪の死骸を片付けたあと、家中に振りまいてください。邪気が残らないように」
「あいよ、龍先生。これからも忙しくなるだろうけど、どうかお気をつけて」
「ええ。蘇悠どのも」
二人の会話に、少年がにやけながら口を挟む。
「蘇悠さん。人の心配する前に自分の心配したら。もしかしたら蘇悠さんの奥さんが鬼女に入れ替わってるかもよ?」
「林坊、なにをばかな」
「ほら、この間も呉服屋の若旦那。あそこの嫁が鬼女に入れ替ってたろ? 寝てる間に頭からばりばり喰われて……おお、おっかねえ。いつも一緒にいる旦那も気づかないくらいだからね」
「…………」
蘇悠は青い顔になって考え込む。事件があった当日、その現場を自分も見た。あまりの凄惨さに嘔吐したのだ。そのような怪事件が、自分の身に起こらないとは限らない。
「これ、魁。蘇悠どのを不安にさせるようなことを言うんじゃありません。蘇悠どのも気になさらないでください」
だが蘇悠は青い顔のまま黙り込む。少年は龍に襟首をつかまれ、引きずられながら言った。
「蘇悠さん。心配ならおれがあとで鬼女かどうか調べる方法を教えてあげるからさあ。今度飯でもおごってよ」
まだなにかを喚きながら引きずられていく少年と、龍の後ろ姿を見送りながら蘇悠は一抹の不安を抱えたまま仕事へと戻った。