第12話 秦璃の異変

文字数 1,878文字

 林魁(りんかい)は道観へと戻り、そのことを相談しようとしたが龍はどこかへ出かける準備をしていた。

「あれ師匠、どこか出かけるの?」

「ええ。最近まで宮廷に仕えていた知り合いがいまして。もしかしたら張伯偉(ちょうはくい)という人物のこともなにか知っているかもしれません」

「おれも行く! ねえ、いいでしょ」

 いつものように同行をせがむ。だが龍はすぐにそれを断った。

「おまえは行かないほうがいいでしょう。その人は少し気難しいというか、変わっているというか……とにかくわたし一人で行きますから。魁は秦璃(しんり)と共に留守を預かっていてください」

「その人は道士なの?」

「ええ。女の道士、すなわち道姑です。ですが風水を最も得意としていますから、風水師と呼んだほうがいいかもしれませんね」

「ふーん、女の人なんだ」

 林魁が目を細めてにたりと笑う。余計なことを教えてしまった、と龍は後悔したようにつぶやいたが、もう遅い。

「変な想像をしないように。それでは行ってきますから、あとはよろしく頼みましたよ」

 龍は逃げるようにして出かけていった。別にやましいことはないのだろうが、こういった話は苦手なようだ。
 林魁はさっそく、秦璃にこのことを教えてやろうと奥の部屋に向かったが、その途中で戸ががらりと開き、秦璃が部屋からふらふらと出てきた。

「おっ、秦璃。あのな、さっき師匠が……」

 言いかけて、相手の様子がおかしいことに気づく。いつもの秦璃ではない。どこか近づきがたいというか、雰囲気がまるで違う。

 感情のこもらぬ、無機質な口調で秦璃は訊ねた。

白龍(はくりゅう)はどこへ? 奴に言っておかねばならぬことがある」

 白龍……なんのことか、さっぱりわからない。林魁は怪訝な顔で訊き返す。

「は、白龍って誰だよ。なんかおまえ、おかしいぞ。勉強のしすぎで変になっちまったか。こりゃ大変だ、師匠にしらせねえと。ええっと、風水師のところに行ったんだったな」

「風水師……。そうか、あやつもそれなりに気づいておるようじゃな。もう時間がないぞ。全ての元凶は宮廷道士どもと四大妖にある。奴らが領域から出てくる前に討伐せよ。しかとこのこと、伝えておくがよい」

「おい、なに言ってんだよ! 秦璃、しっかりしろ!」

 肩を揺さぶって呼びかける。秦璃は虚ろな目のまま、その場に崩れ落ちる。

 しばらくして意識がはっきりしてきたらしい。秦璃は頭を抱えたまま、なにが起きたのか林魁に訊いた。

「だから、おまえだけど全然違う人みたいな話し方だったんだよ。それで白龍とか四大妖とか、わけのわからんことを」

「うん……ここ最近、何度か見た夢と一緒だわ。とっても綺麗な女の人が天から降りてきて、わたしにそんなことを言っていたの。今日、龍先生に相談しようと思ってたんだけど。そうだわ、龍先生……龍先生はどこ?」

 自分が心配してるのに、秦璃は龍の名ばかりを口走っている。林魁は無性に腹が立った。

「師匠なら、色気ムンムンの美人風水師んとこに遊びに行っちまったよ! へっ、おまえ元気じゃねえか。心配して損したぜ」

 腹立ち紛れに外へ飛び出そうとしたとき、門から誰かが入ってくるのが目に入った。

「あっ、あんたは」

 林魁が驚いて立ち止まる。その男は陰鬱な目線をこちらに向け、ごほごほと咳き込みながら門にもたれかかる。紺の道衣──数日前に出会った、左臥(さが)という道士だった。

「まだこんなところに住んでんのか。相変わらず貧相な暮らしをしてるみたいだな」

 左臥はゆっくりと道観に近づきながら林魁に訊いた。

「龍の奴はいるか? 奴に話がある」

「いないよ。風水師に会いに行くって」

「……欧陽緋(おうようひ)か。正気とは思えんな。まあ、おれには関係ないことだ。いないんだったら、帰ってくるまで待たせてもらうぞ」

 林魁の返答を待たず、入り口の前にいた秦璃を一瞥し、左臥はぼそりとつぶやいて道観の中へと入っていった。

「誰? あの人」

 秦璃が両手を腰に、不快な表情を浮かべながら訊く。どうやら失礼なことを言い残していったらしい。

「おれと蘇悠さんが殭死(きょうし)に襲われそうになったとき、助けてくれた人なんだ。昔、師匠と一緒に仕事をしたことがあるって」

「先生のお友達なの? それにしては失礼な人ね。『ガキのお守りでもはじめたのか』だって」

「師匠が帰ってくるまで待ってるらしいぜ。しょうがないから茶でも出しとけよ」

「嫌よ、誰があんな人の」

「ばか、あの人はな、すげえ術の使い手なんだぜ。ほら、おまえが見た夢のことも相談してみろよ。あの人なら、なんかわかるんじゃねえか」

 秦璃はしばし考え込み、決心したようにうなずく。

「ふうん。ま、一応訊いてみようかしら」
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