第5話 妖狐の呪い

文字数 3,991文字

 混濁した意識。(りゅう)は術によって林魁の思念へと潜入していった。さながら光を求めて暗い洞窟の中を彷徨っているかのようだ。

 林魁(りんかい)の記憶と自分の記憶が交わり、過去の世界が形成されていく。ここでは現在の記憶は一時的に無くなる。暗闇の中で光が見えた。
 入り口か、それとも出口か。龍はそれに向かって駆け出した。


 ✳ ✳ ✳


 白い長袍の道士、龍は薬草を採りに随分と街から離れた山へと足を運んでいた。

 いつも行く近くの山は、山賊まがいの反乱軍と官軍との戦いで焼け落ちてしまった。それで仕方なく人が足を踏み入れないという北の山まで来たのだ。道士としては縁起の悪そうな地にあまり入りたくはないのだが。

 魔除けの歩法を用い、呪を唱えながら山へ近づく。麓で荒れ果てた民家を見つけた。中を覗いてみたが人の住んでいる気配はなかった。何か不吉なものを感じたが、そのまま民家をあとにする。

 鬱蒼とした山道、といっても道らしい道などない。足元に注意しながら進む。山の中腹辺りで龍はおお、と感嘆の声をあげる。普段、なかなか手に入れにくい薬草があちらこちらに自生している。龍は夢中でそれらを背中の籠へ放り込んだ。

 いつの間にか魔除けの歩法を用いるのを忘れるほどに、山の深い場所へと入り込んでしまった。辺りが薄暗くなってから龍はそれに気づく。不意に背筋を、ぞうっと悪寒が走った。

「なにか……この山はまずい」

 慌ててもと来た道を戻るが、どうにも歩きづらい。まるで地面に生えている草花が足に絡みついてくるようだ。両脇の木々も闇をまとい、狭まってくるような感じがする。

「妖気! ……わたしとしたことがうかつだった。この山は妖怪の巣窟だったのか」

 山の斜面を一気に滑り落ちる。歩きやすそうな道を探している場合ではなかった。そのとき、視野の端にちらりと人影が映った。

「人? まさか!」

 見間違いかと思ったが、確かに視線を感じる。それに邪悪なものは感じられなかった。滑り落ちる途中で木の枝をつかみ、その人影を探す。
 藪の中にこんもりと、小さな黒い塊があった。

 警戒しつつそれに近づく。その黒い塊も藪からがさがさと抜け出てきた。
 その正体は少年だった。十歳ぐらいだろうか。衣服はぼろぼろで髪もぼさぼさ。肌は真っ黒に汚れ、身体は痩せこけている。屈託の無い笑顔をこちらに向けて話しかけてきた。

「へえ、この山に人が来るなんてめずらしいなあ。おじさん、近くの村から来たの? もしかして都から? だったら、いろんな話を聞かせて欲しいなあ」

 敵意の無い様子と妖気を感じないことから龍は安心する。だがこんなところに子供が一人とは、どう考えてもおかしい。

「あなたこそ、どこから来たのですか? ご両親はどこに?」

「父ちゃんと母ちゃんはこの山に住んでるよ。父ちゃんは猟師なんだ。ああ、もうすぐ飯の時間だ。よかったらおじさん、うちに来るかい?」

 父親が猟師だと聞いて少しは納得したが、この山で感じた妖気は本物だった。うかつにこの誘いに乗るわけにはいかない。

「いえ、わたしは用があるので帰ります。また今度、会うことがあれば誘ってください」

「うん、いいよ。お客さんなんて来たことないから、父ちゃんと母ちゃん、喜ぶだろうな」

 少年は手を振りながら、薄暗い山の中へと姿を消した。龍がはっと気づいて振り返ると、そこはもう山の出口だった。

 次の日、龍は近くの村であの山のことを訊いてみることにした。そして長年その村に住んでいるという老婆から話を訊くことができた。

「あの山には入っちゃなんね。生き物を殺すなんてもってのほかだぁ。あんたは戻ってこれただけでも運がええ。半年前に、猟師の一家ががえらい目におうとる。母親は奇病にかかって死に、父親は医者を呼びに行く途中で落馬して死んだ。男の子が一人おったが、その子も行方知れず。おそらくはもう……」

 老婆はぷるぷると震えながら目を閉じる。男の子、と聞いて龍は考え込む。

「男の子……まさか、あの少年のことか」

 龍は妙に気になって、次の日に再びあの山へ足を踏み入れた。今度はしっかりと魔除けの歩法を行い、ゆっくりと進む。陽の光が生い茂る木々の枝葉に遮られてだんだんと薄暗くなっていく。そして、龍は再び少年に出会った。

「やあ、おじさん。本当にまた来てくれたんだね。うちはこの近くなんだ。父ちゃんと母ちゃんもいるから、早くおいでよ」

 龍はなにも言わず、うなずく。にっこりと笑った少年は龍の手を引いて山の中を駆けていく。しばらくすると少年はがさがさと茂みの間に入り込む。龍も草が頬を撫でるのを不快に思いながらもあとに続く。

 茂みを抜けると目の前には小さな洞窟があった。

「ここさ。どうだい、立派な家だろう?」

 少年は躊躇せず、その中へと入っていった。

 龍は首をかしげる。どう見てもただの洞窟。この少年は幻術をかけられている可能性がある。

 少年は楽々通れる大きさだが、龍は腰を屈めながらやっと進む。どこからか光が入ってきているのか、中は意外と明るかった。だがその明るさとは裏腹に、奥へ進むほど重苦しい妖気を感じる。

 少年の両親はこの山の妖怪に殺されたのだろうか。なぜ、この少年だけは無事なのだろうか。
 疑問に思いながら、洞窟の奥へ辿り着いた。
 その場所はやや広く、龍はほっとして背筋を伸ばす。不思議なことに先ほどまで感じていた妖気はかき消えていた。

「父ちゃん、母ちゃん、お客さんだよ。ほら、この前話しただろ。ご馳走を用意してやってよ」

 少年は隅の暗がりにそう話しかけると、藁を敷き詰めた地面の上にどっかと座る。龍はその暗がりに目を向けてぎょっとする。いつの間にか一組の男女が、青白く不気味な顔をこちらに向けて微笑んでいた。

「ようこそ……このようなところマデ、よく来てくれマシた」

 まず女があやしげな発音で挨拶する。隣の男もそれに合わせ、挨拶する。だがこちらは発音どころか言葉自体、あやしかった。

「よ、ようコソ。お、おきゃく、ウレシイ。ごちそう、よ、よういシタ」

 粗末な石の卓の上に得体の知れないものを次々と並べる。龍は目を疑った。どうやらこの二人は、龍も幻術にかかっていると思っているらしい。

 術に耐性のある道士には幻術は効きにくい。この男女──おそらくは妖怪が少年の両親に化けたものだろう。
 こちらはうまく妖気を隠して化けているが、さすがに幻術の効果までは確認していないようだった。

 少年は石卓に並べられた、うさぎや鼠の屍骸を見て喜びの声をあげる。

「やった、鴨の蒸し焼きに羊の脚。吸い物に胡麻豆腐。やや、栗やらさくらんぼの砂糖漬けまで。うわあ、他にもいろいろ。すげえご馳走だ!」

 龍はひそかに印を結ぶ。剣訣といわれる、人差し指と中指をそろえて突き出す結手印。それで自分の両まぶたをそっと撫でる。偽りの姿から真実の姿へ。龍の瞳はそれを映し出す。

 男女の正体は妖狐だった。狡猾そうな表情に鼻をひくつかせ、人間を真似て背筋を伸ばし、あぐらをかいている姿は、どこか滑稽であった。
 ちょうどそのとき少年が、疑問の声を両親に投げかけた。

「あれ、おかしいな。母ちゃん、狐の肉がないよ」

 少年の質問に雌の妖狐が鼻に皺を寄せ、不快そうに答える。

「き、狐の? ないヨ、そんナノ」

 だが少年は納得しない。今度は父に向かって訊いた。

「ないわけないよ。父ちゃんは狐狩りの名人なんだ。今日だってきっと捕まえてるよ。ねえ、父ちゃん」 

 雄の妖狐は頬をぴくぴくと痙攣させながらなにか呻いた。刹那、龍が行動を起こす。

 少年に眠りの術をかけ、自分の背後に引っ張る。二匹の妖狐が怒り狂って正体を現した。犬に似た、それよりも甲高い鳴き声。洞窟の中で響き渡り、鮮血が舞う。

 洞窟の中では少年の寝息、そして瀕死の妖狐たちが出す荒い呼吸音だけが聞こえる。龍は少年を担いで洞窟を出ようとした。

「モウ、おそイ」

 龍は振り返る。雌の妖狐が血泡を吹きながら言う。

「呪イをかけテいる。だカラ、コドモは生かしておイタ」

 雄の妖狐も最期の力を振り絞り、血を吐きながら言った。

「ワ、我ラの仲間……い、いずれ……甦ル」

 そして二匹は同時に事切れた。龍はその二匹が残した言葉にとてつもない不吉さを感じ、少年の記憶をある程度封じ込めることにした。だがその身体には妖狐らの深い、執念にも似た呪いがかけられているだろう。その程度で防げるとは思っていない。

 もしもの時は……自分がこの少年を殺さなければいけないかもしれない。それか、少年自身がその呪いに打ち勝つよう、この真実と向き合い、自分の意思で戦えるようにならなければ。


 ✳ ✳ ✳

 
 林魁は目を覚ました。見慣れた道観の一室。見慣れた男の顔。薬草臭い。ふらふらする頭を抱えながら寝台から降りようとするが、その男が優しく止めた。

「師匠……? おれ、どれくらい寝てた?」

「少しですよ。一時ほどです。気分はどうですか?」

「うん……。おれ、夢見てたよ。父ちゃんに母ちゃんが出てきて。それから師匠も。あれ、おかしいな。なんだか泣けてきちゃった」

「魁……」

「でも、もうだいじょうぶ。師匠、おれ、わかるんだ。この呪いから逃げちゃだめだって。もっと強くなんなきゃ。きちんと修行して、どんな妖気にも耐えれる身体になるんだ」

 龍はにっこりと微笑む。

「ええ、そうです。ですが、少しづつですよ。ゆっくりと慣らしていかなければ、いつ呪いが発動するやもしれません」

 涙を拭いながら林魁はうなずく。

「うん、師匠。おれ、頑張るよ」

 この子は強い。林魁を見ながら龍は思った。
 この子なら強力な呪いであろうと、いずれは克服するかもしれない。自分が危惧するような結末を避けられるかもしれない。いや、絶対にそうしなければ。
 
 林魁の頭を撫でつつ、窓の外を見る。秋を迎えた空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
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