第7話 怪道士 来福真人

文字数 3,438文字

 ある日のこと──蘇悠(そゆう)が道観へと飛び込んできた。そのただならぬ様子に(りゅう)林魁(りんかい)、そして父親を説得して結局ここで学ぶことになった秦璃(しんり)が出迎えてわけを訊く。

「龍先生! あんた、以前宮廷道士ともめたろう!? やつら、とんでもない人を連れてここに向かってきてるぞ」

 きょとんとしている一同を見て蘇悠は腹立たしげに急かす。

「なにやってんだ、早くここから逃げねえと。ほら、あとはおれがなんとかするから」

「ま、待ってください。どういうことです? 一体、誰が来るのですか? わたしはここを離れるつもりはありません」

 それを聞いて蘇悠は焦るように足踏みしながら叫ぶ。

来福真人(らいふくしんじん)ですよ! あんな大物が相手じゃあ、こんな道観はあっという間に潰されちまう!」

しかし龍はいつものように落ち着いた様子で、そこから逃げようとはしなかった。

「この道観に危害を加えようというなら、なおさらここを離れるわけにはいけません。ですが魁、秦璃。二人は蘇悠どのと共にここから避難しなさい」

 龍の勧めに二人はさも心外といった様子できっぱりと言った。

「冗談じゃねえや。あのもめごとのきっかけは、おれが作ったんだし。それに師匠を置き去りにして弟子だけ逃げられるかってんだ」

「わたしだって生徒として、ここが無くなっちゃ困るもの。それにこんな女の子相手にひどいことしないでしょう? 仮にも真人と呼ばれている人が」

 龍は困った顔でなおも避難を勧めるが、二人は頑として受け入れない。そうこうするうちに太鼓と銅鑼の派手に響く音が遠くから聴こえてきた。

「げっ、来やがった。もうどうなっても知らねえぞ」

 蘇悠は観念したように首を振る。
 どおん、ばあん、と打ち鳴らされる音が次第に近づき、道観の門の前でぴたり、と止む。門を叩く音が聴こえ、龍が「どうぞ」と言うより早く門扉が乱暴に開け放たれる。

 まず、門をくぐってきたのは橙色の道服を着た一人の道士。龍の姿を確認すると、満面に怒りをあらわし、殺意を込めた鋭い視線で睨みつける。以前、街で龍に転ばされた道士だった。

 あの門をくぐってこられた客はなぜ、こうも怒っている方が多いのか。龍がそう考えていると、その道士の後ろからぞろぞろと同じ格好の集団が現れた。龍たちの視線はその集団の担いでいる輿に注がれる。
 輿の上には御簾がかけられ、その奥にはぼんやりとした人影。それこそがあの来福真人であろう。甲高い声で先頭の道士に呼びかける。

「これ、索子起(さくしき)

「はっ」

 先頭の道士が平伏する。畏怖のためか、龍に対する怒りのためか、少し震えている。

「なぜこやつらは跪かない?」

 来福真人が訊くと、索子起は地面に額をこすりつけながら答えた。

「はっ、こやつらは物の道理もわきまえぬ愚か者でして。加えて真人さまのご威光を目の当たりにし、息をするのも忘れているのでしょう」

「ふむ、なるほど。そちら、楽にしてよいぞ。われがここに参ったのは、なにも争うためではない。以前、街で起きた騒動について……まずわが弟子の訴えを訊き、そしてそちらの言い分を訊いた上でどちらに非があるか判断しようではないか」

 そう提案し、左手を上げる。御簾がくるくると巻き上げられ、その姿を現した。龍、林魁、秦璃、蘇悠の四人は唖然とし、そのまま固まる。

 派手な、というより毒々しい紫の衣装に、金銀でしつらえた装飾。丸々とした顔は化粧で真っ白に塗り固められ、口元の紅が喋るたびに不気味に開閉し、でっぷりと肥えた腹がぶよぶよと揺れていた。右手にはこれまた派手な孔雀の羽を挿した羽扇が握られている。

「こいつはたまげた……」

 蘇悠はつぶやき、慌てて口を押さえる。あの有名な道士の姿がこのように醜悪だとは思わなかったのだろう。
 林魁は今にも吐きそうな表情だし、秦璃はすっかり怯えて龍の背に隠れてしまった。龍だけが興味深そうに、その双眸でじっと怪道士を見つめた。

「ほほほ、それではわが弟子の訴えから。索子起」

 来福真人が羽扇で索子起をさす。索子起は「ははっ」と答え、顔を上げる。

「わたしと四人の仲間が街を歩いていたときでした。一人の子供が怪しげな呪符を街の人々に高額で売りつけているではありませんか。それをわたしたちが見咎めました。するとその子供は開き直り、仲間の少女と共に我らに罵声を浴びせ、暴れだしたのです。わたしたちが取り押さえようとしたところ、そこの龍とかいう道士が現れ、二人を止めるどころか加勢して我らに暴行するありさまで」

 集団の後ろから、ぬっと一人の道士が進み出てきた。秦璃に股間を蹴られ、失神した道士だ。

「おかげで危うく宦官になるところだった。貴様ら、覚悟はいいか」

 憎悪に満ちた低い声で長剣の柄に手をかける。しかし来福真人の羽扇が向けられると、その場にがばっと平伏した。

程修(ていしゅう)、おやめなさい。まだそちらの言い分を訊いていませんよ。さあ、龍とやら。なにか言いたいことがあればどうぞ」

 来福真人の羽扇が龍のほうに向けられた。龍は拱手し、軽く頭を下げる。

「ならば……わたしが弟子に訊いた話では、弟子が無料で配っていた紙符をそちらの方々が破り捨て、それを貼っていた店の方に暴行を加えたということです。弟子が止めに入ると、剣を抜いて脅す始末。危ういところでわたしが助けた、というわけですが」

「ふうむ、なるほど。お互いに自分が正しく、相手に非があると主張しておるわけか。しかし、これを証明するのは容易なことである。そのほうら、こちらへ」

 来福真人が羽扇でさし示し、道士たちの後ろから街の住人がぞろぞろと出てきた。

「この者らはあの騒動の折、居合わせた街の住人たちである。この者らが証言するならば、どちらに非があるかすぐに判るというもの。さあ、そのほうら遠慮なく証言せよ。われらの不利となるような証言をしたとしても、そのほうらには指一本手出しはしないと誓おう」

 来福真人の言葉に、不安そうな顔をしていた街の住人たちはいくらか安心したようだ。その中から真面目そうな青年が進み出る。

「恐れ入りますが、ぼくがみんなの代表として証言します。たしかにこちらの白い服の人の言う通りです。あの日、ぼくは──」

 途中で青年の言葉は悲鳴に変わった。龍たちや街の住人、宮廷道士たちも驚きの声をあげる。青年の身体がなにも触れていないのにふわりと宙に浮いたからであった。

 龍が叫び、飛び出す。

「やめなさい! どういうつもりですか!?

 だがそれよりも早く青年の身体はくるりと反転し、頭から真っ逆さまに地面に叩きつけられた。

 秦璃が悲鳴をあげ、街の住人たちは腰を抜かす。林魁と蘇悠はあんぐりとした表情で、なにが起きたのかわからない様子だった。龍が急いで青年の脈をとり、首を横に振る。即死だった。

「ほほほ、これは奇怪な。おそらくはその者、虚偽の証言をしようとしたがために天罰が下ったのであろう。そうとしか考えられぬ。皆も見たであろう、その者がいきなり宙を浮くのを」

 来福真人が羽扇であおぎながら笑う。弟子たちもそれに賛同し、青年の死体に罵声を浴びせ、次いで来福真人に賞賛の声と喝采を送る。怪道士の羽扇がさっと上がると、しんと静まり返った。

「さて、次に証言をしてくれる者は誰か? おぬしか? それともおぬしか?」

 羽扇の先が向けられるたび、街の住人たちは怯え、がたがたと震えた。

 龍がその前に立ちはだかる。
「なぜこのようなむごい真似を……。なぜあなたのような人が皇帝陛下の信を得ているのか全くわからない」

 龍の怒りの眼差しに、来福真人は巨体を震わせながらくつくつと笑う。

「なにを言うか。われは指一本、その者には触れてはおらん。妙な言いがかりをつけ、しかも陛下を愚弄するようなことを申すか。もはや証言を得る必要もない。そのほう、この来福真人自ら死罪を申し渡す」

 弟子たちが再び喝采を送る。街の住人はあたふたとその場から逃げ出した。

 龍と来福真人との間の空気がぴんと張り詰める。龍は来福真人の乗っている輿を見て言った。

「あなたの下で支えている方々を思いやってはいかがですか? もう限界とお見受けしますが」

 確かに来福真人の巨体を支えている弟子たちは、その重さのために顔を真っ赤にして必死に耐えていた。
 動いているぶんにはまだ良かったが、このようにじっとしている状態では龍の言った通り限界が近かった。
 だが輿の上にいる人物の不興を買うのだけは絶対避けねばならない。恐怖心と気力のみでその苦行に耐えていた。
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