第14話 秦昂と張伯偉

文字数 4,245文字

 (りゅう)欧陽緋(おうようひ)に会っている頃、道観では──。

「おれに相談だと?」

 椅子にもたれていた左臥(さが)が暗い視線を向けながらのっそりと上体を起こし、訊いた。
 秦璃(しんり)はその時点で嫌な顔をしたが、林魁(りんかい)が背中を突っついて急かしたので仕方なくこくりとうなずいた。

「まあ、いいだろう。相談するだけならタダだしな」

 これも秦璃の癇に触ったらしい。文句の一つも言いたそうだったが、我慢して自分が最近見る夢のことを話しだした。
 左臥は目をつむり、さも退屈そうに聞いていたが、話が終わる頃になるといびきをかいて眠ってしまった。

「この……」

 拳骨を振り上げた秦璃を林魁が慌てて止める。

「まてまて。おまえの話が面白くないからだよ。さあ、次はおれの番だ」

「おれの番って、どういうことよ」

「おれも相談したいことがあるんだよ。ほら、どいたどいた」

 林魁は左臥のもたれている椅子を揺さぶりながら、起こそうとする。

「左臥さん、起きてよ。おれも相談したいことがあるんだって」

「な、なんだ。飯の時間か?」

 大きなあくびをしながら左臥が目を覚ます。怒りを満面に表した秦璃と、困っている表情の林魁を興味なさげに見て、その男は再び眠ろうとする。

「ちょ、ちょっと待って。話を聞いてよ。天手河の幽霊に頼みごとされたんだよ」

「天手河の幽霊だと?」

 今度はがばりと上体を起こして訊いた。その勢いに驚きつつも、林魁は天手河で出会った幽霊のこと、その幽霊が張伯偉という人物を捜していることを話した。

「なるほどな……。そういうことか」

 左臥はそう言って腕組みをし、少し淋しそうな顔をした。

紫麗(しれい)……」

「えっ?」

「いや、なんでもない。あそこの幽霊のことは知っている。以前、その幽霊を祓ってくれという依頼があった。だがおれは、あの幽霊を見て祓うどころか話かけることもできなかった」

 左臥は苦しそうに喋ると、激しく咳き込んだ。林魁が慌てて背中をさすり、秦璃は水を持ってきた。しかし左臥は紅潮した顔を横に振り、それを拒んだ。

「……ちょっとした持病だと言ったろう。気にするな」

 再び椅子にもたれ、目を閉じる。だが今度は眠る様子はなかった。そこで林魁が訊く。

「その、幽霊を祓ってくれって頼んだ人は?」

秦昂(しんこう)っていう奴だったな。梁飯店の調理人だ」

 林魁と秦璃は顔を見合わせる。先に叫んだのは秦璃だった。

「お父さまよ! ……でもどうして」

「理由までは知らん。だがあの男も直接幽霊と会ったり、話したりはしたことがなかったようだ」

「そんじゃ、秦璃の親父さんなら、張伯偉(ちょうはくい)って人のこと知ってるよな。うん、間違いねえよ」

 林魁はようやく手がかりをつかんだことで喜びの声をあげる。そのとき、道観の門扉が開かれる音が聞こえた。

「おっ、師匠が帰ってきたかな」

 林魁が庭へ飛び出す。秦璃も思案顔で、とぼとぼとその後へ続く。左臥だけは尊大な態度で椅子にもたれたままだった。

「師匠、お客さんだよ。左臥っていう人が……」

 (りゅう)を出迎えながらそこまで言い、急に足を止める。女連れだった。しかも相当な美人。龍のほうは衣服が乱れ、襟が破れている。林魁はもやもやと妙な想像をせずにはいられなかった。

「へえ、ほんとに美人風水師だったんだ。へへ、師匠も隅に置けないなあ」

 いやらしい笑いを浮かべながら近づいてくる林魁に、龍は決まり悪そうに言った。

「魁、わたしの着替えを。それからこの人を客間へと案内してください」

「だから師匠、お客さんがもういるんだって。左臥っていう人」

「左臥が? 一体、なんの用でしょうか」

 龍は欧陽緋(おうようひ)を連れ、そのまま客間へと向かう。その後ろでは、こそこそと林魁と秦璃が話し合っている。

「誰? あの人」

「あれが噂の美人風水師だよ。師匠との関係はふふ、……子供のおまえには言えねえな」

「なにそれ。あんたのほうが年下のくせに。それにね、あんな冷たそうな人、龍先生には似合わないわ」

 客間へと四人が入ると、椅子にもたれた左臥が待っていた。まるでこの道観の主人は自分だといわんばかりの態度だ。左臥はまず欧陽緋の姿を見ると露骨に嫌な表情をする。

「なんでそいつを連れてくるんだ。その風水バカは、なにしでかすかわからんぞ」

 欧陽緋は無表情のまま冷たい視線を左臥に向ける。

「相変わらず品がありませんね。なにをしでかすか知れないのはあなたのほうでしょう。いまだに怪しげな煉丹術を研究しているそうではありませんか」

 左臥は立ち上がり、卓にばん、と拳を打ち付けた。その部分が焦げたように黒く変色し、ぶすぶすと煙を上げる。

「おまえになにがわかる。おれはな、おまえみたいに自分の考えを他人に押し付けたりしねえ。だから、おれのやってることも誰にも文句言わせねえ。おまえは自分の気に入らない風水の地形やら家を勝手にぶち壊したりするじゃねえか」

「なにが悪いのです。そのほうが運気を呼び寄せるし、美しいでしょう」

 一触即発の気配に、龍が間に割って入る。

「二人ともやめなさい。ここで争うことは許しませんよ。子供たちだっているのですから」

 めずらしく強い語気の龍に、二人は渋々言い争うのをやめる。

「左臥。どうしてここに? なにかあったのですか」

 龍が訊くと、左臥は気まずそうに頭を掻きながら言った。

「実は……金を貸して欲しい」

「いくらですか」

「そうだな、一万貫ほど」

 林魁と秦璃が吹きだす。こんなさびれた道観にそのような大金があるわけがない。

「左臥、ここにはそんな大金はありませんよ」

「わかっている。だが、おまえが街の連中に呼びかけたらどうかな? 皆、おまえのことを慕っているだろう」

「左臥……」

 厳しい表情の龍に対し、左臥はなおも懇願する。

「頼む。いい丹砂が手に入りそうなんだ。それに新しい炉も作らねば──」

 ここで咳き込んだ。口に手をあて、倒れそうになるところを龍が支える。

「まだ煉丹の研究を続けているのですか。その身を実験台にしてまで」

 左臥は咳き込みながらよろよろと歩き、壁に寄りかかった。

「おれは……諦めるわけにはいかん。こんな身体だからこそ、早く完成させたいんだ」

「とにかく席へ座って。今、薬を持ってきますから。魁、手伝ってください」

 龍は林魁を連れて薬草の保管室へと向かう。その途中で林魁が訊いた。

「師匠、煉丹ってなに?」

「不老長寿を目的とした秘薬を作る方法です。丹砂などの鉱物を窯の中で焼成し、黄金を作り出すといわれていますが。実際にそれを服用して不死の神仙と成れるかは怪しいものです。それどころか……」

「それどころか?」

「あまりに強い毒性のため、中毒死する者が続出したそうです。ですから長い間、煉丹の研究をする者はいなかったのです。左臥が煉丹の研究に没頭し始めたのは妻の紫麗どのが亡くなった頃ですかね」

「紫麗」の名を聞いて林魁は首をかしげる。

「紫麗? あれ、どっかで聞いたような……。まあ、いいか。ふーん、あの人、奥さんがいたんだ」

「ええ。道士の中には妻帯する者もいます。わたしは紫麗どのに会ったことはありませんが、美しいと評判でしたよ」

 保管室で薬草を選び、林魁に手渡す。林魁はそれをすり潰し、碗の中に湯とともに入れ、かき混ぜる。

「ああ、そういえば師匠。張伯偉さんのことがわかりそうなんだ。秦璃の親父さんがさ、なんか知ってそうなんだけど」

「秦昂どのが? ……詳しいことはみんなの前で聞きましょうか」

 二人は客間へと戻り、林魁は左臥から聞いたことを龍に説明した。龍は聞きながら碗を左臥の前に差し出す。

「なんだ、これは」

 碗から立ち昇る湯気をくん、と嗅いで左臥は顔をしかめる。

「薬湯です。麻黄や人参が入っています。少々汗が出ますが、咳には効きますよ」

「それで、その幽霊の件はどうするつもりですか」

 淡々とした口調で欧陽緋が尋ねる。彼女にとってはどうでもいいことらしい。

 龍は一同を見渡して言った。

「まず、秦昂どのに張伯偉さんのことや、幽霊のことについて訊いてみましょう。幽霊といえども約束は約束。必ず捜しだしましょう」

「おっしゃ。それじゃあ、おれが蘇悠(そゆう)さんと一緒に連れてくるよ。こういうのは早いほうがいい」

「あ、魁、待ちなさい。秦璃も一緒に行ったほうが……」

 龍が呼び止める間もなく、林魁は道観を飛び出していった。

 しばらくして蘇悠にかつがれ、手枷をはめられた秦昂が情けない悲鳴をあげながら部屋の中に放り込まれた。

「お父さまになにするのよ!」

 秦璃が父親のもとへ駆け寄り、蘇悠を睨みつけた。
 蘇悠は林魁とともに、罪人を引っ立ててきたといわんばかりに言い放つ。

「おうおう、梁飯店調理人秦昂。汝、あの天手河の幽霊とどういう関係だ? それに張伯偉って奴を知ってんのか? 隠し事はてめえのためにはならんぞ。あの人を泣かせるようなやつぁ、たとえ天帝さまが許してもこのおれが許さねえぞ」

「そうだ、そうだ!」

 林魁がはやしたて、喝采を送る。いつものように、この状況を楽しんでいるのだ。

「秦昂どの、申しわけありません。この二人に悪気はないのでしょうが。蘇悠どの、手枷を早く外してあげなさい」

 蘇悠は渋々手枷を外し、秦昂は娘の手を借りて立ち上がった。その顔はすっかり青ざめている。

「秦昂どの。二人から話を聞いていると思いますが、わたしたちは張伯偉という人物を捜しています。あなたは以前、左臥に天手河の幽霊を祓ってくれと依頼したそうですが、なにか知っていることはありませんか?」

 怯えた表情の秦昂に対し、龍は優しく問いかける。それでは生ぬるい、とばかりに背後では蘇悠と林魁が睨んでいる。

「い、言えない、それだけは。とてもわたしの口からは」

 秦昂は首を横に振り、後ずさりする。ただならぬ父の様子に秦璃が心配そうに顔を覗きこむ。

「ほーう、いい度胸だ」

 蘇悠が指をべきべきと鳴らし、詰め寄ろうとする。秦璃がその前に立ちはだかり、龍もその間に割って入る。

「蘇悠どの、乱暴はいけませんよ。秦昂どのもどうしたのです。なにか話せないわけでも?」

「話せないもなにも、おまえ自身が張伯偉なんだろう? 違うか?」

 左臥が暗い視線を向け、訊いた。秦昂の身体がぶるぶると震えだした。

「し、知らない。わたしはなにも、ほ、本当に」

「話したくなければ話さなくてもいい。どっちにしろ、おまえをあの幽霊の前に連れていけば済むことだ」

「そ、そ、それだけは勘弁してくれ。わかった、全て話す。話すから。どうか、頼む」

 秦昂はその場に力なく座りこむ。震えながら自分の過去を語りだした。
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