第23話 鬼卒

文字数 2,448文字

 天手河のほとり。すでに夜が明け始めていた。

 地面に光の円が浮き上がり、中から二人の人間が姿を現す。(りゅう)左臥(さが)だった。

 龍はすぐさま左臥のほうへ駆け寄る。左臥は大の字に寝そべっているが、意識がないようだった。

「左臥、左臥! 無事ですか!? 生きてたら返事をしてください」

 呼びかけるが返事がない。龍は膝をつき、首を横に振る。

「なんという……。命と引き換えに無支祁(むしき)を倒したのですね。左臥、わたしはあなたのことを誤解していました。身勝手で、性格が捻じ曲がっていて、金に汚いとばかり。わたしはあなたのことを誇りに思います。みんなもきっと、その名を忘れないでしょう」

「おい」

 急に呼びかけられ、龍は口から心臓が飛び出るほど驚いた。

 左臥。生きている。だが起き上がれないようだ。

「勝手に殺すな。残念だろうが、まだ生きている」

「無事なのですか、左臥」

「動けんが、死ぬほどではない。意外と丈夫なほうだったらしい」

「そのようですね。待っててください。今、道観から薬を取ってきますから」

「いや、いい。それより他の奴らはまだ帰ってきていないようだな」

「ええ。無事だといいのですが。左臥、無支祁はどうでしたか?」

 左臥は目を閉じる。

「戦っているとき、あいつが……紫麗(しれい)が一瞬、見えた気がした。いや、あれはあの玉泉とかいう幽霊だったかもしれん」

「似ていたのですね。あの幽霊と紫麗どのが」

「ああ、瓜二つだ。しかし、似ていないところもある。あいつはどんなときでも泣かなかった。病で死にかけているときもそうだった。おれを不安にさせまいとしていたのだろう。だが、逆におれは辛かった。あのときほど自分の無力さを呪ったことはない」

「左臥……」

「無支祁との戦いでおれは死ぬ覚悟だった。だが、あのとき見えたあいつは死ぬな、と言っているように見えた。だからおれは死ななかったのだろうと思う」

「ええ。どんなに辛くても、人は生きていかなければならないものです。生きる、というかけがえのない、とても大事なことを……死者にしかわからぬ無念の気持ちとして、左臥に伝えようとしたのかもしれませんね」

 左臥は目を閉じたまま、答えなかった。ただ、片方の目から一粒の涙がこぼれ落ちるのが見えた。
 龍はそれに気づかないふりをした。

 
 ✳ ✳ ✳


 欧陽緋(おうようひ)の機嫌は、はっきりいって悪かった。

いつ、誰がなんのために作ったかもわからない神秘的な遺跡。
 そう想像していた。周りの地形も、それなりに風水の凝った造りになっていると思っていた。

 しかし目の前の大きな門はただの鉄の塊といってもよかった。ただ、でかい。古い。周りの景色もやけに殺風景。風水など語る以前の問題だ。

「……城壁。妙ですね。話によると、今は門しかないはず」

 門には城壁が繋がっている。これもでかい。しかも左右に延々と伸びている。目を細めて見るが、どこまで続いているかわからなかった。

「ありえない。こんなに長い城壁が都にあるなど。ここは本当に東泰門なのでしょうか」

 首をかしげてつぶやく。すると背後から、子供のような声が呼びかけてきた。

「おい、姉ちゃん。こんなところでなにやってんだぎゃ?」

 振り向くと、そこには子供などいなかった。ずんぐりとした肌の黒い男。大きな目を輝かせながら、無造作に近づいてくる。

「ここはどこなのですか?」

「へへ、ここは泣く子も黙る、幽界の入り口。その名も東泰門だぎゃ」

「幽界……。本当ですか?」

「ああ、本当だぎゃ。あんた、なんだぎゃ? 死んでもいないのに、ここへ迷いこんじまったってやつだぎゃ?」

「……ええ。そんなところですね。ところであなたは?」

「おいら? おいらはねえ、この近くの詰め所で働いている鬼卒だぎゃ。ああ、あんたみたいに迷い込んでくる奴は、そうめずらしくねえだぎゃ。ただ、あの門を通れるのは死んだ人間だけだぎゃ」

「そうですか。死んだ人間は皆、あの門を通るのですか」

「まあ、そうだぎゃ。人間たちが住む世界には、幽界とつながっている場所がいくつかあるらしいだぎゃ。ここはその一つだぎゃ」

土伯(どはく)という妖怪を知っていますか?」

 欧陽緋が訊くと、鬼卒は身震いして首を振る。

「知ってるもなにも、その名を聞いただけでションベンちびりそうだぎゃ。あいつはたまに姿を現して、面白半分においらたちを追い回して食っちまうんだぎゃ」

「今、どこにいるかわかりませんか?」

「知るわけねえだぎゃ。あいつはいっつも突然出てくるんだぎゃ」

「そうですか。ならば、あなたに用はありません」

「へ? どういう意味──」

 ぷん、と軽くしなるような音。
 欧陽緋の手には魯班尺とよばれる風水用のものさしが握られていた。

 どしゃっ、と鬼卒が倒れる。そばには首が転がっていた。

「鬼卒たちの詰め所というのはあそこですね」

 魯班尺についた血を丁寧に手巾で拭い、何事もなかったように歩き出す。

 城壁の陰に小屋があった。そっと近づき、裏手の窓から覗く。
 見た目は粗末だが、中は案外広い。そこには先ほどの鬼卒と同じような姿の男たちが大勢たむろしていた。

 肌の色は大体、真っ黒か赤黒い。頭の上には瘤のような角がいくつもある。口にはやたら歯並びの悪い牙が剥き出し。
 それらのことを除けば、人間とそう変わりなく見えた。
 どうやら食事の時間らしい。鬼卒が三人がかりで大きな鍋を抱え、卓の上へと置いた。
 すぐさま、数人の鬼卒が鍋へ手を突っ込み、がつがつと奪い合うように食事をはじめた。

 残りの数人はおあずけをくらった犬のように、よだれを垂らしながらそれを見ている。

 最初の鬼卒たちが食事を終えると、残りの者たちがわれ先にと鍋の周りに群がった。
 先ほどの鬼卒たちが食べていたのは得体のしれない肉だったが、あとから食べている鬼卒たちには骨しか残っていなかった。それでも熱心にかじりついている。

「鬼卒たちの間には序列があるようですね」

 観察しながら欧陽緋は考える。この鬼卒たちの中には長がいるはず。そいつなら、土伯のことに詳しいかもしれない。
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