第22話 餓堕羅

文字数 4,163文字

 来福真人(らいふくしんじん)と対峙する(りゅう)
 木剣で斬りかかる前に、気になることを質問した。

「一つだけ、疑問があります。他の大妖は自分が封印されし領域から出れないのに、どうしてあなただけは自由に行き来できるのですか?」

「答える必要もないが……よかろう。われは、一千年前に源帝と天界の神仙たちとの戦いに敗れた。しかし、われは分離魂の術を用い、片方の魂はこの封印されし領域に。もう片方の魂は現世の人間へ乗り移ることに成功したのだ。あとはその人間が死ねば次々と別の人間へ乗り移ればいいだけのこと。まあ、誰でもいいというわけではないのだが。この道士の身体には随分世話になったものよ」

「そうやって天界の目をも欺いてきたのですか。しかし、これで最後です。二度と人間に憑依できぬよう、魂魄を一片たりとも残しません」

 来福真人はぶよぶよと揺れる腹を撫でながら、羽扇をこちらに向けて笑みを浮かべる。

「くくく、龍とやら。そなたも人のこと──おっと、人ならざる者のことを言えるのか? われが気づいていない、とでも思っておるのかの。はるか昔に天界を追われ、人として転生を繰り返して生き永らえているそなたのことに。そういえば、あの小僧……林魁(りんかい)とかいったか。あの呪いがかけられている小僧を飼っているのも、天界の意思か? それとも過去の罪が軽減され、天界に復帰できるからか? いずれにせよ浅ましい考えだのう」

 来福真人がぶよぶよと腹を揺らし、またも不気味な笑い声をあげる。まさに醜悪の極み。
 しかし龍の顔はいつものように涼しげな表情を崩さない。

「さすが四大妖ともなるとその慧眼は尊敬に値します。しかし、そのことに触れてしまった愚行には感心できませんね。必ず後悔することになります」

 木剣を振りかざし、来福真人との間合いを詰める。来福真人が羽扇をさっ、と掲げた。

「自分の置かれた状況すら理解できぬか。われの同胞らにその血肉、捧げるがよい」

 無数の化け蜘蛛たちが真っ黒の波となって龍に押し寄せる。
 龍は背負っていた木箱を素早く床に降ろし、蓋に手をあて呪を唱える。箱がかたかた、と震えだした。

 四方から化け蜘蛛が突進した。中心にいた龍は押し潰され、次々と化け蜘蛛たちがその上に覆い被さっていく。来福真人が勝利を確信した高笑いをあげる。

「ほっほっほ、口ほどにもない。さあ、皆の者。味のほうは保証できぬが、その道士を存分に食らうがよい」

 真っ黒い小山と化した化け蜘蛛の群れ。その隙間から無数の光が漏れ出てきた。

「ぬ、まさか」

 来福真人が後ずさる。化け蜘蛛の群れが轟音とともに吹っ飛んだ。化け蜘蛛の残骸の中から姿を現したのはもちろん龍だった。

 木箱ががたがた、と激しく揺れている。中からは炎、煙、眩いばかりの光が溢れ出ていた。
 龍は急いでその蓋を閉め、再び呪を唱える。木箱の揺れは次第に収まり、最後にぼふっ、と蓋の隙間から煙を出して動きを止めた。

「貴様、その箱の中になにを飼っている」

 来福真人がひきつった顔で訊く。龍はすっくと立ち上がり、軽く溜息をついたあとに言った。

「……獄龍(ごくりゅう)。わたしの弟です。彼は人間への転生を拒んだがために、この箱へ封印されたのです」

「! ──天界の神将や、冥府の鬼神を相手に戦ったという、あの悪龍か! まさか、こんなところに」

「封印されているとはいえ、術によって一時的に力を解放することができます。今は気が立っているようですから、あまり近づかないほうがいいですよ」

「あの獄龍がいるとなれば、われは本体と融合せねば。しかしわからぬ。なぜ天界はそのような危険な代物を、貴様が持っているのを黙認しておるのだ」

「弟の罪はわたしの罪。いずれ許されるその日まで、兄のわたしが責任を持って見守らねばならないのです」

「ふん、美しい兄弟愛というわけか。ならば、兄弟仲良くこの地で滅びるがよい」

 来福真人の身体が宙に浮いた。そのまま、すうーっと宮観の奥へ消えていく。龍は木箱を背負い、その後を追った。

 奥に進むにつれ、建物の幅がせばまっている。構わず駆け続けた。ついには廊下ほどの幅になった。行く手を塞ぐように蜘蛛の巣が幾重にも張られている。

 龍は木剣でそれらを切り払いながら進む。目の前が開けた。
 再びだだっ広い空間。今までと違うのは家屋ほどの大きさもある巨大な蜘蛛が待ち構えていることだった。

「これが餓堕羅!?  これほど大きい蜘蛛精が存在するとは」

 その禍々しく、恐ろしげな姿は龍でさえも寒気を覚えた。
 餓堕羅は六つの目でぎろりと龍の姿を確認すると、猛烈な勢いで突進してきた。
 龍は跳躍してかわし、その背に降り立つ。背に木剣を突き立てようと構えるが餓堕羅は壁に向かって突っ込み、地響きとともに壁に大きな穴を開けた。

 龍はいち早く床の上に逃れていた。ちょうど餓堕羅の背後だ。紙符を数枚取り出し木剣に剣訣で押さえる。紙符は炎をまとい、次々と餓堕羅に向かって発射された。

 餓堕羅が後ろ向きのまま、尻から糸を噴射してきた。空中で炎の紙符と絡み合い、床へと落ちる。
 さらに蜘蛛の糸が噴射される。
 龍が木剣で斬りつけ、それから逃れようとするが今度の糸は粘っこく、木剣や身体にまとわりついた。これでは動きが格段に鈍くなる。

 餓堕羅がガシャガシャと八本の脚を動かして反転する。牙を剥き出し、またも突進してきた。今の状態では先ほどのように跳んでかわすのは難しい。

「われは太上の口勅を執行し、枷を外す者なり。汝、これに従い力を示せ」

 龍は木箱に触れ、呪を唱える。木箱がかたかた、と震えだし、蓋が開いた。
 餓堕羅がぎょっとしたように踏み止まろうとするが、その勢いはもう止まらない。

 次の瞬間、龍の姿がぼっと燃え上がる。まとわりついていた糸は全て焼け落ちた。龍の手には燃えさかる木剣が握られている。それを逆手に持ち、餓堕羅に向け、投げ放った。

 ぎえええっ、と叫び声が聞こえた。木剣は餓堕羅の頭部に突き刺さっている。脚で踏ん張れなくなったのか、力なく、餓堕羅の腹が床についた。

「獄龍、いきますよ」

 木箱に呼びかけ、龍は餓堕羅の背へ飛び乗った。木箱の横をばん、と叩く。蓋が開き、中から木剣がしぱん、しぱん、と飛び出してくる。その数七本。

 龍が駆けながら木剣を受け取り、餓堕羅の背に次々と突き刺していく。そのたびにぎええ、ぎええっ、と餓堕羅は叫び、腹を上下させた。

「天枢、天璇、天璣、天権、玉衝、開陽。そして──瑶光!」

 最後の七本目を突き刺す。すると一斉に、七本の木剣を刺した部分が煌々と光りだす。それは北斗七星を形どっていた。

 龍は七本目の木剣の柄を握り締めたまま、叫ぶ。

「その身に落ちよ、凶星、北斗瑶光天関破軍星君!」

 北斗七星のひしゃくの部分がさらに強い光を放ちだした。宮観の中に餓堕羅の悲鳴が響き渡る。ぼこんっ、と餓堕羅の身体にひしゃく形の大きな穴が開いた。緑色の体液がびしゃあっ、と噴き出す。

「うわっ」

 視界が激しく揺れた。下の餓堕羅が、最後の力を振り絞って身体を揺れ動かしたためだ。

 龍は再び床の上に着地する。振り返って餓堕羅を見た。脚がもげ、胴体がちぎれかかっていた。口からは緑色の体液をどろどろに吐き出し、身体はぼろぼろに崩れはじめている。

 龍はわが目を疑う。餓堕羅の腹の部分が裂け、中から人間が這い出てきたからだ。それはあの来福真人だった。腹から身体を半分出した状態で喚いている。

「おおお、おのれぇ~っ! ぎ、ぎざま、よぐもっ! 地に堕ちた龍族の分際で……。ま、待っておれ、今すぐその手足をばらばらに引きちぎって食らってやるわ!」

「なんという生命力。とどめは獄龍に任せますか」

 龍は木箱を降ろし、蓋に手をあてて呪を唱える。木箱が震えだし、蓋が開いた。
 中からは巨大な黒い龍の頭。鋼のような鱗に爛々と輝く銀色の瞳。鎌首もたげるようにしてずずず、と出てきた。

 来福真人が恐怖に震えた声をあげた。

「そ、そそそそれが、ご、獄龍! な、なんと恐ろしい、そ、その力は」

「獄門炎、龍迅砲。……獄龍、少し加減しなさい。わたしまで消し飛ぶ」

 獄龍が口をがぱあっ、と開けた。中にはずらりと並ぶ鋭い歯。生血で染まったかのような真っ赤な舌。喉の奥は地獄の底を覗いたかのような暗黒。ごごご、という音とともに、小さい炎がぼん、ぼん、と爆ぜて漏れ出てくる。

「ひいっ、や、やめて。そんなのを喰らったら、二度と再生できなくなる。た、頼む。龍どの。そ、そうだ、天界に復帰したいのであろう? われなら、な、なんとかできるやもしれぬ」

「ご冗談を。妖怪であるあなたが、天界に繋がりがあるものですか」

「ほ、本当だ。じ、実は天界にわれらと通じる者がいる。都での怪異も、われら四大妖の復活もその方が計画されたことなのだ。て、天界の目を地上に向けるため、だとか言っていた。おぬしの事も、その方から聞いたことなのだ」

「その方の名は」

「い、言えぬ。言えるわけがない。言えば、わが一族は根絶やしにされる。だ、だが本当の話だ。信じてくれ」

「……わかりました。あなたにはまだ聞きたいことがあります。獄龍、いいですね」

 龍は獄龍の鼻筋を撫でながら、言い聞かせる。獄龍はゆっくりと口を閉じた。来福真人が安堵の表情を見せる。その時だった。
 再び獄龍が口を開けた。と同時に巨大な火炎弾がごばあっ、と吐き出された。その大きさはゆうに餓堕羅の倍はある。来福真人は悲鳴をあげる暇もない。

 凄まじい衝撃音。崩れ落ちる天井、吹き飛ぶ壁。宮観の半分は消滅し、餓堕羅も来福真人の姿も跡形もなかった。火炎弾のあまりの熱量に融解どころか蒸発してしまったのだろう。まさに灰すら残さなかった。

「獄龍、またですか。だからあなたを出すのは嫌なのです。ちょっと、聞いているのですか」

 龍が責めると、獄龍は逃げるように木箱の中へとひゅっ、と引っ込んでしまった。蓋がかたかたと音を立てて閉まる。

「まったく、仕方のない。しかし……最期に来福真人が言ったことは本当でしょうか。秦璃(しんり)に憑依したあの方なら、なにか知っているかもしれませんね」

 木箱を背負いながらつぶやいていると、身体が光を帯びてきた。この地に送られてきたときと似ている。

「帰りましょう。現世へ」

 背中の獄龍はなにも答えなかった。
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