第21話 怪道士再び

文字数 2,542文字

 (りゅう)は周りを見渡す。見覚えのある風景。だが、どこかおかしい。
 人の気配どころか鳥や小動物、虫一匹すらここには存在していないように思える。それほどの静けさだった。

 目の前には立派な朱塗りの門。扁額に〈白露宮〉と書かれている。門扉を開け、龍は中入る。

「白露宮……。たしか、廃墟だったはずですが」

 龍の記憶にある白露宮は、今となっては管理する者もいない、浮浪者や犯罪者すら近づかない荒れ果てた廃墟。
 四大妖の一人、餓堕羅(がだら)がこの地に封じられたあとに建てられものだが、なぜか放火や惨殺事件がたびたび起きるために放置され、忘れ去られた過去の遺物だった。

 だが目の前の建物は、かつての豪華絢爛さを取り戻したかのように燦然と輝く宮観だった。

 庭を歩き宮観へ近付く。宮観へと続く道には、玉のような石が敷き詰められていた。建物の壁は磨かれたように純白の輝き。屋根の甍は今日ふいたといわんばかりに緑色の光沢を放っている。

 宮観の扉を開け中に入った。真っ暗な闇とともに、不快な異臭が鼻をつく。

 袖で鼻を覆いながら前に進んだ。扉が勝手にばん、と閉まる。その程度では驚かない。剣訣を結び、両まぶたを撫でる。これで中の様子がはっきりとわかるはずだ。

 宮観の中は外観とかけ離れて薄汚れていた。しかも異様に広く、がらんとした空間。龍はゆっくりと歩を進める。腐りかけた床がぎしぎしと音を立てる。視線を落とすと、おびただしい血痕のようなものが染み付いていた。

 視線を上へ向ける。やたらと蜘蛛の巣が多い。いや、天井だけではない。柱、壁、床、いたるところに張り巡らせてある。いつの間にか龍の袖や裾にもまとわりついていた。

 突然、目の前をなにかが横切る。──鼠だった。鼠とはいえ、こんな場所で生き物に出会えて龍はほっとした。
 ほっとしたと同時にぎょっとする。鼠の前後に二つの黒い影が飛び出してきたのだ。

 二つの影は同時に鼠へと飛びかかった。鼠の鳴き声。二つの影は争うようにして鼠をがつがつと貪り食ったのだ。そしてなおも鼠の残骸や血を、床に這いつくばって舐めまわしている。異様な光景に、龍は吐き気を覚えた。

 二つの影は人間だった。その証拠に立ち上がって龍のほうへ振り返った。
 龍は言葉を失う。以前街で争い、道観まで報復しに来た宮廷道士、索子起(さくしき)程修(ていしゅう)だったのだ。

 二人の顔は生気を失ったかのごとく蒼白で口からは血が滴っている。龍の姿を見てけけけ、と喜悦の笑い声をあげた。

「め、めめ、飯だ、めし、メシ」

「し、尻の肉がうめえんだ。し、知ってるか?」

 血だらけの歯を剥き出しにして襲いかかってきた。一人は足に組み付こうとし、一人は喉笛へ噛みつこうとする。

 龍は足元の一人、索子起の頭を踏みつける。ごきっ、と妙な手応え。同時に目の前の程修の顎を掌打でかち上げた。こちらもべきっ、と不快な感触。

 二人の首は完全に折れ曲がっていた。それぞれ傾いた首を支えながら、ふらふらとその場を歩き回っている。

「すでに人間ではなかったのですね」

 背中の木箱。横をばん、と叩くと蓋が開く。木剣が飛びだし、龍が柄に手をかける。そして一気に踏み込み、二人に斬りかかった。だが木剣はうなりをあげて空を切る。

「上か──」

 龍が見上げると、二人は人間離れした跳躍力で壁にはりついていた。そのままかさかさと壁をつたい、天井の暗がりへ姿を消した。

 なにか来る。龍は身構えた。静寂の中、がさがさとなにか這うような音だけが聞こえる。

 突然、ずしん、と背後になにかが落ちてきた。龍は振り返らない。目の前。床の一部が吹っ飛び、大きな触覚のようなものが這い出てきた。
 龍は木剣を床に突き立てる。懐から紙符の束を取り出してばっ、と頭上へ投げた。紙符は落下しながらぐるぐると龍の周りを取り囲む。
 背後にいるなにかと目の前の触覚がそれに触れると、ばしばしっ、と火花が舞い、なんともいえぬ耳障りな悲鳴が聞こえた。

 龍は跳躍する。前後のなにかを見極めるためだ。黒い塊が二つ。よく見れば、人ほどの大きさもある巨大な蜘蛛だった。不気味なのはその背に、人間の顔が浮き出ていることだった。索士起と程修──。

「あなた方は餓堕羅のせいで、そのような姿に?」 

 二匹の化け物はその問いに答えない。触覚に見えた八本の脚。前方の二本を突き出して龍の着地点を狙っている。
 龍が念を凝らし、剣訣を結ぶ。床に刺さった木剣に指先を向けると、はじかれたように木剣が飛び出す。木剣は車輪のように回転しながら、化け蜘蛛の背を駆け抜けていった。

 こだまする絶叫。索士起の顔は真っ二つに裂けていた。

 木剣は空中を回転しながら龍の手へ戻った。もう一体の化け蜘蛛、程修が着地を待たずに飛びかかってきた。
 紙符を取り出し、木剣に剣訣で押さえる。化け蜘蛛へ剣の先端を向けると、紙符が炎をまといながら発射された。それは狙い違わず化け蜘蛛の頭部へ命中し、身体全体がぼうっと燃え上がる。

 着地と同時に、絶叫をあげ、のたうちまわる化け蜘蛛に木剣を突き立てた。化け蜘蛛はぴくぴくと脚を動かしたあと、緑の体液を吐き出しながら息絶えた。

「これで終わり、というわけにはいかないようですね」

 化け蜘蛛から木剣を引き抜き、低く身構えた。いつの間にか取り囲まれている。がさがさ、がさがさ、と無数の黒い塊が遠巻きに蠢いている。八本脚に六つの目。化け蜘蛛たちだった。その背には、やはり宮廷道士たちの顔が不気味に浮き出ている。

 目の前の無数の化け蜘蛛たちが、がさがさと左右に分かれた。奥から一人の人間が歩いてくる。派手な紫の衣装、歩くたびに揺れる腹の肉。下品に塗り固められた真っ白な顔、真っ赤な紅。手には孔雀の羽を挿した羽扇。紛れもない、来福真人(らいふくしんじん)だった。

「やはりあなたが餓堕羅でしたか。もう少し早く気づいていれば、この方たちを救えたかもしれない」

 龍が悔やむように言い、化け蜘蛛たちを見渡す。来福真人がひきつけを起こしたような不気味な笑い声をあげた。

「われの同族となるということは大変な名誉であるぞ。この者たちとて新たな力を得て喜んでおろう。それにしても自分からのこのこと乗り込んでくるとは。まあ、手間が省けるというもの。龍とやら、道観での借りを返させてもらおうか」
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