第3話 宮廷道士

文字数 4,849文字

 ここ数日は特に目立った怪異も起こらず、(りゅう)のもとにも妖怪退治の依頼は一件も無かった。
 そういったときは龍は薬草を調合し、街で病んでいる人々のもとを訪れては無料で薬を与えていた。薬草が効かない場合は符水や祈祷などの方術を用いる。これで治らない者はほとんどいなかった。

 街の人々は感謝し、龍が断るのは皆知っているので、こっそりとお礼の品や金銭を道観へ投げ込む。それすら龍はほとんどを貧しい人々に分け与えてしまうのだが。
 退屈なのは林魁(りんかい)である。言われた通りに薬草をすり潰したり、水の入った椀の中へ符をぶち込みながら、ぶつぶつ文句を言っていた。

「師匠、妖怪はもう出ないの? これじゃあ、いつまでたっても戦う修行なんかできやしない」

 龍は少し悲しそうな表情で振り返る。

「魁は戦いたいのですか? 妖怪や悪霊と」

「うん。だって、かっこいいでしょ。悪鬼やら殭死(きょうし)やらをばったばったとなぎ倒して活躍するんだ」

「……いずれはそうなるでしょう。でも、今はいけません。おまえの身体は妖気に触れてはいけないのです」

 林魁はすねたように口をとがらせ、小声で「そんなの、わかってるよ」と聞こえないようにつぶやく。龍はその頭をやさしくぽん、と叩くと、目の前に紙符を差し出した。

「魔除けのお札を念のために配っておきましょう。手分けしたほうが早いですね。配り終えたら先に帰ってて構いませんから」

「はい。師匠」

 林魁は紙符の束を半分受け取ると、今いる通りとは別の場所でそれを配り始める。

「さあさあ、このお札があれば妖怪なんか怖くない。なんたってあの名道士、龍先生が作ったお札だ。魔除けどころか無病息災、商売繁盛。いやいや、安産祈願に合格祈願、これ一枚でなんでもござれだ。今ならタダ。タダなんだから早いもん勝ちだよ」

 早く配り終えて帰りたいがために、無茶苦茶なことを言って歩き回る。通行人や店の者たちは面白半分に集まりだし、我さきにと紙符の奪い合いになった。林魁はもみくちゃにされながら、人々の中から這い出てくる。

「へっへっへ、どんなもんだい。あっという間に配り終わっちまった。さあて、そこらをぶらぶらしながら帰ろうかな」

 市場での人々の行きかう足音。商人たちの掛け声。めずらしい装飾品を並べている露店。道観の中に比べ、この賑やかさは林魁の好ましい限りであった。

 様々な店を見て回ったが、どの店も軒の柱には先ほど林魁の配った紙符が貼られている。林魁は得意になって、かっかっか、と笑っていた。しかしある集団を目にし、その笑いは寸断される。

 五人の男たちだった。橙色の道衣に頭巾を被り、いかにも傲然とした目つきで道いっぱいに広がって歩いている。
 通行人たちはわき道へ逸れるか道の片隅で小さくなって、その一行が通り過ぎるのをびくびくしながら見守っている。

「げ、宮廷道士だ」

 林魁はそう気づいて、もと来た道を戻ろうとする。宮廷に召抱えられた道士たちだが、ここ最近すこぶる評判が悪い。龍からも関わりあうことは避けたほうがいい、と言われていた。

 しかし次の光景を見て戻ろうとする足を止めた。
 五人の道士たちはある店の軒柱に貼ってある紙符を見つけると、店の主人を引きずり出し、罵声を浴びせながら殴打した。   
 そして柱から紙符を剥ぎ取ってびりびりに破く。なおも道士たちは店の売り物である壺やら皿を地面に叩きつけ、哄笑していた。

 林魁は反射的に飛び出す。

「やい! なんだって、こんなひどいことするんだ!」

 道士たちは目を丸くしてしてその少年を見つめる。この都で自分たちを真っ向から非難できる者などいようはずもなかった。
 実際、周りの者たちもその横暴を固唾をのんで見守っているだけか、慌てて林魁からもらった紙符を剥ぎ取るかのどちらかだった。

「小僧。誰に向かってそんな口をきいているのか、わかっているのか」

 道士の一人が威圧するように訊く。だが林魁はその程度では怯まない。

「へっ、あんたらこそ、おれが誰だか知ってんのか? あの有名な龍道士の弟子、林魁さまだぜ。あんたらが破いたのは、おれの師匠が書いたお札だ。あとでどんな目に遭っても知らねえぞ」

 それを聞いた道士たちは顔を見合わせてどっと笑う。

「あの変人の弟子か。はは、おれたちを知らぬわけだ。聞いて驚くなよ、われらの師、来福真人さまは天子さまのご信頼厚き偉大なお方。あのようなボロ道観に住んでおる乞食道士とはわけが違う。乞食道士の書いたお札など、淫祠邪教の類が書いたものと同じだ。それを貼っていたものが報いを受けるのは当然──」

 聞き終える前に林魁の怒りは爆発していた。先頭の道士に頭から突っ込む。だが首根っこをつかまれ、吊るし上げられた挙句、顔に何発も平手打ちを喰らって犬ころみたいに放り投げられた。
 悔しさと痛みで涙ぐむ林魁の目の前に、道士は懐から取り出した紙符を突きつける。

「これが本物のお札というものだ。おい、他の奴らもよく見るんだ。これは来福真人さま自らお書きになった、ありがたいお札だ。一枚、二十貫で売ってやるからありがたく思え。まさか断る奴はいないだろうな?」

 一般の兵士の給料が月に五貫ほどである。この値段はあまりにも法外だった。林魁は目を凝らしてよく見たが、それほど上質でもない紙に朱で汚い字がのたくっているようにしか見えない。

 龍の書いた紙符は〈勅令〉の文字も〈五雷神〉を示す記号も全て丁寧に書かれている。神秘的に見せるため、わざとミミズが這ったような書き方をしているかもしれないが、道士見習いの自分が見ても来福真人の書いた紙符の文字や図は意味不明だった。

 符を書くのにどれほどの手間がかかるか林魁は知っていた。
〈気〉の満ちている時刻を選び、斎戒沐浴し、清水で手や口をすすぐ。香を焚き、叩頭の礼を行い、呪を唱える。筆を動かす際も〈気〉を筆先に込め、書き終わったら結手印〈指を特定の形に組む〉にて紙符の上を押さえる。そして勅符呪を唱え、ようやく完成するわけである。 

 せめてもの仕返しにと、林魁はぺっ、とその紙符に唾を吐きつけた。周りで見ていた者たちは一瞬のうちに背筋が凍った。にやけていた道士たちの表情が一変し、背の長剣をすらりと抜いたからであった。誰もがこの少年の死を確信した。

「ちょっと! なにやってんの、どいて!」

 人込みをかき分けて一人の少女が飛び出してきた。林魁と道士の間に割って入ると、林魁をかばうようにして両手を広げ、道士たちを睨みつける。

「こんな子供相手に! この子がなにしたっていうのよ!」

 突然割り込んできた少女に道士たちは驚いた。だがその容姿を見て険しい表情をしていた道士たちは目を細める。林魁は立ち上がり、少女を押しのけようとする。

「おい、子供って人のこと言えんのかよ、秦璃(しんり)。これはおれの喧嘩なんだ。女は引っ込んでろ」

 だが秦璃は意地でもそこを退かなかった。

「あんたって、ほんとに世話が焼けるわね。剣を持った五人の大人に敵うわけないでしょ。わたしがこうしてる間に、龍先生を呼んできなさい」

「ばか、おまえを置いておれだけ逃げられるか! そもそもおまえは関係ないだろ!」

 二人が言い合ってる間に、五人の道士たちは秦璃をじっと見ながらなにか囁き合っている。

「ちとガキだが、なかなかの器量よしだな」

「来福真人さまが気に入るやも知れん」

「いや、その前におれたちが楽しむべきだろう」

 五人は下品な笑い声をこぼしながら、じわじわと秦璃に近づいていく。秦璃と林魁もそれに合わせてじりじりと後退した。秦璃がそっと林魁に耳打ちする。

「いい? あと三歩下がったら、一気に走って逃げるわよ。人込みの中に紛れれば、小さいわたしたちに追いつけっこないわ」

 林魁もそれしかないと思った。ここで逃げるのは癪だが、秦璃を巻き添えにするのだけはごめんだ。慎重に道士たちとの距離を測る。一歩、二歩……三歩! 二人はばっ、と振り返りざま駆け出した。

 人込みの中へ突っ込む。周りの人々も道士たちを恐れてはいたが、その横暴ぶりに辟易していた。この勇気ある二人をなんとか逃がしてやりたくて、行く手を阻むような真似はしなかった。

 林魁は無事に人込みの中へと紛れた。ほっと一息ついて、秦璃の姿を捜す。どこにもいない。ぎょっとして先ほどの場所を人々の足の間から覗いて見ると、秦璃が右腕を道士に掴まれ、あがいているのが見えた。

「秦璃! くそっ、どいてくれ」

 慌てて戻ろうとするが、今度はなかなか外へは出れなかった。そうこうしている間に秦璃の叫び声が聞こえる。

「やめてよ! 触んないで、この変態!」

 秦璃はおもいきり道士の股間を蹴り上げていた。その場にいた男性全員が顔をしかめ、前かがみになる。股間を蹴られた道士は白目を剥いてぱたん、と倒れた。

「この、ガキが!」

 別の道士が剣の柄で打ち据えようと腕を振り上げた。秦璃は眼をつぶり、身体を硬直させる。

──次の瞬間、白い影が飛び出した。剣を振り上げた道士がひっくり返る。
 秦璃はその影の正体が自分の最も信頼できる人だと気づき、ぎゅっと抱きつく。

「師匠!」

 林魁も側へ駆け寄る。白い長袍の人物、龍はすまなそうな顔で言った。

「おまえを一人にしておくのではなかった。もう少しで秦璃まで危ない目に遭うところだったでしょう。さあ二人とも、もう安心だから先に帰っていなさい。あの道士の方々にはわたしから謝っておきますから」

「師匠、謝ることなんてないよ。あいつらが悪いんだ。弱い者いじめしたり、師匠のお札を破いたりしたんだよ」

「そうよ。魁なんて殺されそうになったのよ。先生、あんな奴らやっつけちゃってよ」

 詰め寄る二人をなだめながら、龍は道士たちの前に進み出て頭を下げる。

「わたしの弟子と生徒が大変ご迷惑をかけたようです……。そちらに倒れているお方には、わたしが治療をさせて頂きますのでなにとぞご容赦を」

 股間を蹴られ、白目を剥いて失神している道士に近づこうとしたが、抜き身の長剣をちらつかせた道士たちに止められた。

「いらん! ……貴様が龍とかいう乞食道士か。弟子の罪は師匠の罪。きさまがその二人の罪を贖おうというのか」

「必要とあらば」

 道士たちは底意地の悪そうな笑みを浮かべる。長剣の切っ先を龍の胸元に突きつけながら、こう要求した。

「それなら、ここに這いつくばってわれらに許しを請え。貴様のような得体の知れない男が道士を名乗ることすら万死に値するのだ。その程度で済ませてやろうというのだから、感謝してもらいたいものだな」

「…………」

 龍は無言で、ふわりと地面に膝をつく。そして両手も軽くつけ、すっと頭を下げた。流れるような美しい動作に、周りから感嘆の声が小さくあがる。

 先ほど龍に転ばされた道士は、さも不満そうに歩み寄り、片足を上げる。

「もっと頭を下げんか! 地に頭をこすりつけ、みじめったらしく命乞いしてみろ!」

 そのまま龍の頭を踏みつけようとするが、龍がすっくと急に立ち上がったので、その道士は再びひっくり返った。

 「お言葉ですが、そこまでする必要はありません。魁、秦璃、帰りますよ」

 ぷい、と道士たちに背を向ける。刹那、林魁と秦璃が悲鳴をあげた。道士たちが長剣を振りかざし、龍に斬りかかろうとしたからであった。しかし四人の道士は龍の背に長剣を振り下ろした瞬間、なにかに弾かれたように吹っ飛ぶ。

 派手に尻餅をついた道士たちは青ざめ、あたふたと仲間を抱えながら去っていた。周りからどっと歓声があがる。

「龍先生、すごいわ! 今のどうやったの?」

 秦璃が驚嘆と憧れの眼差しで訊ねる。

「先ほど跪いたときに細工していたのです。このようなことで術を使いたくはなかったのですが」

 龍は反省したようにうつむく。そして林魁のほうに目をやる。いつもならこの少年は真っ先に駆けつけ、目を輝かせながら秦璃と同じ質問をするはずである。だが林魁は、すねたように口をとがらせ、龍とは目を合わせようとしなかった。
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