第30話 闇の中で

文字数 1,854文字

 真っ暗な意識の中。
 わずかな光さえ届かない、深淵の闇。

 そこにぽつんと林魁(りんかい)は立っていた。

 立っている、という感覚だけで、本当は座っているかもしれないし、寝そべっているかもしれなかった。

 闇の中で林魁はいろんな事を考えた。
 するとそれが闇の中に映し出される。

 林魁はじっと見つめる。

 幼い頃の自分。父と母。突然の母の病。医者を呼びに行くと言って家を飛び出した父。
 
 そして母の死──。 
 苦しい、助けて。周りには誰もいない。外に出ると自分を呼ぶ声。

 呼ばれるがままに声のするほうへ歩いていった。
 辺りは今と同じように真っ暗だったが、怖くはなかった。

 行き着いた先に、死んだはずの母と医者を呼びに行ったはずの父がいた。
 林魁は疑問には思わなかった。

 ただその胸に飛び込んで、ぬくもりを感じればそれで良かった。

 闇に浮かぶ映像が切り替わる。
 家の中だ。父と母が血を流して死んでいる。

 すぐ側には白い道服の男。 
 血が滴った木剣を握っている。

 この男が父と母を──。

 父と母を失った悲しみが、ドス黒い憎悪となって膨れあがる。

 再び映像が変わった。
 今度はさっきの白い道服の男が炎に包まれている。

 林魁はざまあみろ、と思った。
 だが、その男の表情は穏やかだった。こちらに向かって何か話しかけてくる。

「魁……魁。目を覚ましてください。悲しみや怒りに囚われないで。あなたはひとりではありません。支え合う仲間が大勢いるではありませんか」

「ナ……カ……マ……?」

 映像の中にいくつもの人間の姿が映り込む。

 人の良さそうな大柄の男。
 顔に火傷の痕のある中年の男。
 疲れた感じの紺の道士。
 美人だがキツイ印象の道姑。
 そして自分と同じ歳ぐらいの少女。

 林魁は胸の辺りをぎゅうっと手で押さえる。

 何か大事な事を忘れている。
 彼らの名はなんだったのか。自分にとってどういう存在だったのか──。

 白い道服の男がまた話しかけてくる。

「わたし名は龍。おまえはわたしの弟子です。かけがえのない、大事な弟子なのです。どうか負けないで思い出して。おまえの名は──」

 闇の中に光が差し込む。
 林魁は映像のほうへ手を伸ばす。
 
 そこが自分の居場所。自分の仲間はそこにいる。
 そして目の前の男は親の仇ではない。あの時、救ってくれたのだ。そして今も。

 男が見えるほうに懸命に手を伸ばす。
 届くか。自分の手は光の方に。男の元へと届くのか。

 必死に伸ばした手が空を切る。
 ここで届かなかったら、もう戻れない。闇の中に落ちたままだ。林魁はそう思った。

 力強い手が、しっかりと林魁の手を掴んだ。
 痛いほど強く。だがそれを温かいと感じた。まるで父と母に触れられているような──。

 (りゅう)の腕の中で林魁は目を覚ました。
 妖怪化は完全に解け、元の人間の姿。

 龍を見ると同時にその目から涙が溢れ出てくる。
 龍は何も言わずに抱きしめた。
 
「ふう、とりあえずは一件落着といったところかの。おっと、そろそろ時間じゃ。わらわは戻るゆえ白龍よ、あとは任せたぞ」

 秦璃(しんり)がくたびれたように溜息をつき、龍に別れを告げる。
 龍は慌ててそれを引き留めようとした。

「待ってください。あなたにまだ聞かねばならないことが……」

「おお、そうじゃ。おぬしの妹、嵐龍(らんりゅう)がしきりに会いたがっておったぞ。あのじゃじゃ馬めが地上に降りればいろいろ面倒な事になろうて、一応は止めておいたが。まあ、そういう事じゃ。それではの、わらわは疲れた」

 秦璃はふっと意識を失い、その場に崩れ落ちた。
 すぐに秦昂(しんこう)が駆けつけ、抱き起こす。

「まったく、相変わらず人の話を聞かぬお方だ」

 龍がやれやれと首を振る。
 どこからか左臥(さが)の声が聞こえる。

「おい、いつまでこんな所で寝かしておくつもりだ。おれは動けんと言っただろう。さっさと運ぶなり治療するなりしてくれ」

 地べたに寝そべったまま喚いている。
 林魁が無事なのを確認し、龍は苦笑しながらそちらに向かった。

「左臥、肩に掴まってください。道観まで歩けますか?」

「ああ。それにしてもおまえは何者なんだ? なぜ天界の仙女と繋がりがある?」

「……過去の因縁とでもいいましょうか。それより大事な事を聞けずじまいでした。餓堕羅(がだら)の話によると、今回の四大妖の復活は天界がからんでいると」
 
「ち、ますます厄介なことになりそうだな。まあ、俺には関係ない。おまえらに関わるのはこれっきりだ」

「そう言うと思いましたよ。とにかく今回はありがとうございました」 

 龍が礼を言うと左臥はうつむき、照れたように笑った。
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