第10話 左臥
文字数 2,505文字
「し、師匠!?」
殭死がまっすぐの姿勢のまま、ぐうん、と起き上がる。紺の道士はにやりと笑う。
「面倒だ、派手にいくか」
右手の五指の腹を手の平につけるような形の印を結ぶ。〈雷印〉と呼ばれるものだ。
「喰らえ、雷勁っ!」
殭死が牙を剥き出し、唸り声をあげながら飛びかかった。紺の道士が雷印を突き出し、殭死の腹に打ち込む。
激しい光が発せられ、落雷したような爆音が轟く。林魁も同時にひっくり返ったが、起き上がって様子を窺うとそこにはもう殭死の姿はなかった。
「ねえ、殭死はどこ行ったの?」
「粉々に吹っ飛んだ」
林魁の問いに、紺の道士は短く答えた。
年齢は
蘇悠が助けてもらった礼を言う。
「あんたのおかげで助かった。いや、龍先生以外にもこんな凄腕の道士がいるなんて知らなかったな。よかったら名を聞かせてもらえないか」
紺の道士は蘇悠と林魁をまじまじと見比べ、ふ、と鼻で笑って答えた。
「名乗るほどの名は持ち合わせていないが……まあ、いいだろう。ああ、礼はいい。別にあんたらのためにやったわけじゃない」
紺の道士は「
左臥は懐から鈴を取り出し、ちりん、ちりんと鳴らす。
林魁と蘇悠は飛び上がって驚く。左臥の後ろから、五体の殭死がずん、ずん、と飛び跳ねながら近づいてくるではないか。
「驚かせて悪いな。こいつらなら心配することはない。これから故郷へと連れて帰るだけだ。聞いたことがあるだろう? 死体を殭死として運ぶ仕事があることを」
林魁は恐る恐る殭死たちの顔を見る。その額には紙符が貼られ、目も閉じている。腕もまっすぐに下を向いているし、先ほど襲ってきた殭死に比べて服装も立派なものだ。左臥の命令がない限り、動きそうになかった。
「ああ、聞いたことがある。出稼ぎ先や旅の途中で死んだ人を故郷で弔うための手段だ。たしかに死んだ本人に歩いてもらうのが一番手っ取り早い」
蘇悠が感心したように言い、左臥が殭死の残骸らしきものを拾い上げて苦々しげにつぶやく。
「だから、こういう野良殭死にうろついてもらったらなにかと困るんだよ。悪霊が死体に憑りついたか、どこかの道士がやったことか知らんが」
殭死の残骸を放り投げ、ごほごほと苦しそうに屈んで咳き込む。林魁が慌てて手を差し伸べるが、左臥は冷たくそれを払いのける。
「気にするな、ちょっとした持病だ。もう出発するから構わんでくれ」
咳き込みながら鈴をちりん、ちりんと鳴らす。五体の殭死はずん、と跳ね、回れ右をする。
そのとき寺院の塀を飛び越え、白い長袍の道士、龍が地上へ舞い降りた。
「師匠!」
「龍先生!」
林魁と蘇悠が駆け寄る。そして龍の顔を間近に見て、二人は吹きだす。龍の顔には無数の引っかき傷が縦横に走っていた。
「師匠、猫捕まえるの失敗しちゃったの?」
「いやはや、いい男が台無しだ。龍先生でも失敗することがあるんだなあ」
笑いながら二人が訊くと、龍は首を振って答えた。
「いえ、
その続きを話そうとして、龍は左臥の姿に気づき、驚きの声をあげる。
「左臥! ……都に戻っていたのですか」
「ああ、仕事でな。久しぶりだな」
二人は古い知り合いらしかった。龍がまだなにかを訊きかけたが、左臥は手を振って背を向ける。
「急ぐんでな。悪いが昔話はしていられない」
ちりん、ちりんと鈴を鳴らしながら殭死と共に紺色の道士は去っていった。龍はしばらく無言でその後姿を見送っていたが、やがて思い出したように先ほどの話の続きをする。
「猫鬼を祀っていた家のことですが……とある宿屋で、商売敵である新しい宿を呪っていたようです。それで、その呪術の依頼を引き受けた者の名を問い詰めると、あの宮廷道士の一人であることがわかりました」
「金で雇われてそんな真似をしたんですかね? まったく、なんて奴らだ!」
蘇悠は憤慨し、手の平を拳で打つ。
「金銭目当て……それもあるでしょうが、なにか別の狙いもある気がします。都で起こる怪異が彼らの仕業であるのならば、なんとしてでも止めなければ」
「ああ、そういえば師匠。さっき殭死に襲われたんだよ。蘇悠さんさ、こんなでっかい身体してんのに殭死相手にてんで歯が立たなくて。さっきの左臥って人に助けてもらったんだよ」
林魁が身振り手振りをまじえて興奮しながら説明する。蘇悠はむすっとした表情で言いたいように言わせていた。龍がすまなさそうに頭を下げる。
「申しわけありません。二人の側を離れたわたしの責任です。あの左臥が助けに入らなければ今頃どうなっていたか」
「いえ、そんな! 龍先生が謝ることじゃないですって。それより、あのぶっきらぼうな道士と先生は知り合いなんですか」
蘇悠が訊くと、龍は複雑な表情をしながら答える。
「ええ。昔、共に妖怪退治の仕事をしていました。しかしあの者、腕はたつのですが利己的で冷徹な部分があり、それが原因で袂を分かったのです」
「へえ、師匠と昔一緒に戦っていたんだ。だからあんなに強いんだね。あの人がおれたちの味方になってくれたらどんなに心強いだろうねえ」
林魁が蘇悠の袖を引っ張りながら言い、龍の同意を得ようとするが、龍は残念そうに首を振った。
「左臥が他人のために手を貸すのは、自分に利益があるときだけです。今度再び会うことがあれば一応、協力してくれるよう頼んでみますが。きっと法外な報酬を要求してくるでしょうね」
「かあーっ、なんて奴だ。とんだ不良道士だな。でも宮廷道士よりはましだよね」
「ええ。左臥の話はここまでにしましょう。それよりも巡回を再開しましょうか」