第25話 土伯

文字数 2,475文字

 残されたのは鬼卒長ただ一人。震えている。あきらかに怯えているようだ。ただ、その視線は欧陽緋の背後に向けられていた。

 突然、景色がひっくり返った。ぐんぐん地面が遠くなる。
 どうやら何者かに宙高く放り投げられたらしい。欧陽緋(おうようひ)はくるりと空中で回転し、華麗に着地する。

 憐れな悲鳴が聞こえた。鬼卒長が何者かに抱えあげられている。
──巨人。身の丈は欧陽緋の倍近くあるだろうか。角を生やした虎の頭で、額に第三の目がある。身体つきは牛のようで、手足の爪が刃物のように鋭い。

 その爪が鬼卒長の身体に喰い込んでいた。鬼卒長はすでに口から泡を吹いて失神している。巨人はそれを愛おしそうに、まるで子供に高い高いをするように上げ下げしたあと、大きく口を開けた。

 欧陽緋は目をそむける。ばりばり、ばりばりと肉や骨が噛み砕かれる音がした。そしてすぐに、じゅるじゅると血をすする音。
 あれが土伯(どはく)。それにしても、近づかれたのにまったく気づかなかった。

 欧陽緋が考えている間に食事を終えたらしく、血肉をむさぼる音が聞こえなくなった。
 振り返って見る。すでに土伯の姿はそこになかった。

 寒気が走った。とっさに左手の指を複雑な形に組む。金剛印とよばれる結手印だ。
 ごっ、と背後から殴られた。もの凄い勢いで地面に叩きつけられる。うつぶせの状態。このままではまずい、と思う間に、襟首をつかまれて持ち上げられた。

 また空中に放り投げられた。土伯もそれに合わせて跳躍。空中で丸太のような腕を振り落とし、欧陽緋の身体は真っ逆さまに地面に激突、そのまま埋没した。
 土伯が着地し、欧陽緋が埋まっている辺りを、がんがんに踏みつける。しばらくそうして気が済んだのか、いななくように吼えた。

 ふいに土伯は足元の異常に気づく。自分を中心に、八角形の光陣が地面に浮き出ている。その図形の中心や周りにはなにやら文字が描かれていた。

 土伯が驚いてその場から移動する。するとその光陣も影のようにすすす、と足元から離れず移動する。土伯がいらだった様子で足で踏みつけたり、もみ消そうとするが、一向にその光陣が消える様子はない。

「本命卦吉凶方位陣。もう、それから逃げられねえぞ。このクソがぁ」

 土中から這い出てきた欧陽緋。道衣はずたぼろで、身体中あざだらけ。それだけではない。明らかに声色と目つきが変わっている。
 土伯がいななくように吼え、両手を地につけて四つんばいになった。勢いをつけて突進するつもりだろう。

 欧陽緋は両手で金剛印を結び、両腕を胸の前で交差させる。

「来るならこい。この薄汚い、クサレ妖怪が」

 土伯の姿が消えた。次の瞬間、身体全体がばらばらになるような衝撃が走る。
 想像を絶する速さで土伯が体当たりを仕掛けてきたのだ。だが、欧陽緋はそれに耐えた。

 欧陽緋の踏ん張った跡が轍のようになっていた。  
 欧陽緋は土伯の頭を押さえつけ、おもいきり拳を打ち下ろした。
 ぐえっ、と呻くような声。土伯はすぐに飛び退き、距離を取ろうとする。

「逃がすか! ぶち殺してやるから、そこを動くな」

 追いすがり、拳を打ち込む。再びぎえっ、と叫び、土伯は膝をついた。単なる素手での攻撃のあまりの威力に土伯は目を白黒させている。

「バカが。おまえの凶方位はその光陣によって増幅されたうえに丸わかりだ。そこを攻めれば、こうなる」

 真正面から突っ込む。土伯の足元の光陣。欧陽緋が踏み込んだ部分は〈六殺〉を示していた。

 跳躍し、蹴りを放つ。ごしゃっ、と胸骨が砕ける音。土伯は血を吐きながら悲鳴をあげる。

「痛い? ──だろうなぁ。南はテメーにとって六殺の方位。さあ、次はどの凶方位から攻めるか」

 苦痛と憎悪に歪んだ土伯の顔に満足し、欧陽緋は微笑む。だが攻撃の手を緩めるつもりはない。
 今度は東南の方角から攻撃。拳打や蹴りを無数に放ち、土伯の左腕をぐしゃぐしゃに潰した。

「今攻めた方位は五鬼。さあ、そろそろとどめを刺してやろうか」

 土伯はがたがたと震えている。もう戦えそうにない状態なので、人によっては憐れだと思うかもしれない。だが欧陽緋にそんな気持ちは毛ほども湧いてこなかった。

 土伯の額の目が、かっと見開かれた。頭の角もぎらぎらと光りだす。なにか仕掛けてくるつもりだ。

「ああ? 今さらなにを──」

 言ったときだった。ひゅっ、と土伯が大きく息を吸い込み、があっ、となにかを吐き出したのだ。

 身体にぐるっと巻きつき、締めつける。蛙のような長い舌だった。少しづつ土伯のほうへ引きずられている。丸呑みする気か。いや、このまま絞め殺すつもりかもしれない。

 とりあえず締めつけの苦しさよりも、ざらざらとした舌の感触に耐えられなかった。

「手や足が出なければ舌というわけか。バケモノらしくて結構」

 欧陽緋は慌てず、両手に金剛印を結ぶ。ぐぐぐ、と両腕に力を込め、身体に巻きついた舌を引きちぎった。
 耳をつんざくほどの絶叫。飛び散る鮮血。欧陽緋は素早く背後に回り込んでいた。

「最大凶方位、絶命。今度こそくたばれ」

 土伯は地べたに這いつくばったような格好で、げえげえと血を吐いている。欧陽緋はその背を踏み台にして跳躍。空中で回転し、渾身の力を込めて後頭部を踏みつけた。

 鈍い音とともに、土伯の頭が地中にめり込んだ。すかさず欧陽緋は、脛が顔に付くほど右足を高く上げ、踵を打ち下ろす。
 何度繰り返しただろうか。土伯は胸の部分まで地中に埋まってしまった。もう、ぴくりとも動かない。

 それを見てようやく、欧陽緋は気持ちが落ち着いた。

「……退治完了。わたくしを怒らせるから、こうなるのです」

 身体が少しづつ光りだした。やっともとの世界に帰れる。欧陽緋は深い溜息をついた。

 お気に入りの道衣はボロボロ。自慢の白い肌は薄汚れたうえに、たくさんのあざ。普段ならそこら中に当り散らすところだが、今回は龍との約束がある。

「龍さま。わたくしは約束どおり、あなたに協力しました。今度はそちらが約束を守る番です」

 龍の戸惑う表情を思い浮かべ、くすくすと笑う。

「絶対に、守ってもらいますからね」
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