第13話 欧陽緋

文字数 3,014文字

 道観に左臥(さが)が訪れている頃、(りゅう)は外城の門の前まで来ていた。

 都では主な市街地は外城の中にあるのだが、外城の外にも民家や店が数多く存在する。整備された区画とは違い雑多な街並みだが、その賑やかさはひけを取らない。

 龍の目的地である風水師の館はそんな街並みの一角にあるはずだった。龍自身はそこに行ったことがないので、外城の門番に道を尋ねる。
 門番は眉間に皺を寄せ、まるで忌まわしいものを思い出したような表情をしつつも、その場所を教えてくれた。

 しばらく歩いてその場所へと辿り着く。遠目からでもはっきりとわかった。

「これなら訊くまでもなかった」

 龍が言うのも無理はなかった。辺りは所狭しと建物が立ち並んでいたが、その風水師の館の周りだけ辺りの景観とかけ離れている。

 見事な庭園だった。
 梅の木が整然と囲むように植えられ、中心にはわずかな澱みさえ無い澄み切った水を湛えた池。池の周りもめずらしい形や色の庭石が並べられている。

 館へと続く道にも塵一つ落ちていない。この庭園を作った人間の神経質な性格がありありと想像できる。さらに驚いたのは館の後ろには人工的に作ったであろう、小山がずんぐりとそびえていることであった。

 背山臨水。風水の基本的な好条件の形としたのだろう。だがこれほどのものを、このような雑多な街中に作ってしまうのだからただ驚くほかない。

 館へと続く道を慎重に、小石さえ蹴り飛ばさないように進む。もうすぐ扉の前というところで、龍は地面に描かれた図形に気づく。

〈天機九星図〉と呼ばれる建造物などの形の吉凶を表したものだ。扉の前から龍の立っている位置まで大きく描かれ、これを踏み越えなければ扉まで辿り着けない。

 龍は慎重に吉形である太陽、太陰、紫気、金水、天財の上を選んで通る。

 よからぬ進入者を防ぐための結界のようなものだろうが、風水判断の依頼をする客はどうやってここを通るのだろう。
 もし凶形とされる天罡、孤曜、操火、掃蕩の上を通ったらどんなことになるか、想像したくもなかった。
 
 館の入り口に近づき、扉の取っ手に触れようとして龍はぴたりと動きを止めた。
 扉の表面に円形の飾り。中央には針が付いている。その周りをぐるりと囲むように、今度は五星図〈金、木、水、火、土〉が描かれている。

 龍はしばし考え込み、誰しもが自分の生まれしときに定められた本命卦を思い出す。そこで自分の本命卦、〈坎〉の属性である水の位置に針を合わせ、取っ手に手をかけた。

 円形の飾りがほのかに光り、かちりと音がして扉が開いた。龍はそっと隙間から顔を覗かせ、中の様子を窺う。
──突然襟首をつかまれた。もの凄い力で中に引きずり込まれ、頭部に強烈な痛み。龍は呻きながら身体を回転させた。びりびりっと襟がひきちぎれ、龍は弾け飛ぶように床の上を転がった。

 体勢を立て直し、龍が慌てて頭を押さえながら名乗る。

「待ちなさい緋嬢! わたしです、龍です!」

 龍の目の前には若い女が一人。手には龍の衣服の切れ端が握られている。この女こそこの館の主人、欧陽緋(おうようひ)である。

 歳は二十二、三ほど。腰ほどある長く艶やかな黒髪。細面の美しい顔。同じくすらりとした細身で、黄の道衣に朱の帯を締めている。前髪をかきあげ、切れ長の瞳で見つめながらきの声をあげた。

「龍さま? まさか、本当に!?

 欧陽緋は驚きの顔から喜びの顔へ。しかしそれは一瞬で、すぐに冷え切ったような表情になった。

「なんの……用ですか、今ごろ」

 龍は後ずさりしつつ、慎重に言葉を選んで女に訊ねた。

「実は………都で起こる怪異に宮廷道士が関わっているようなのです。あなたは以前、宮中お抱えの風水師でしたよね。そこで、なにか知っていることはないかと……」

 欧陽緋の目尻がぴくりと震えた。龍はどきりとしてそのまま固まる。

「まさか……それだけの用事で?」

 明らかに声色が変わった。全身の血の気が引くような思いで、龍は首を横に振る。

「いいえ、もちろんそれだけではありません。あなたが宮廷を追われて以来、ずっと気がかりだったのです。しかし、わたしも色々と忙しくて。今日ようやく暇を見つけて会いに来ることができたのです」

 一気にここまでまくしたてて言い訳する。龍はすでにここに来たことを後悔しはじめていた。

「そう……ですよね。あれ以来、ずっとほうっておかれたんですから。外城の外に引っ越したあとだって、捜そうと思えば捜せたはずです。でもわたくしは信じていました。きっとあなたのほうから会いに来てくれると」

 声色がもとに戻った。龍は冷や汗を拭いつつ、再び同じことを訊き、懇願した。

「あなたの協力が必要なのです。宮廷に仕えていた頃、なにか奇妙なことに気がつきませんでしたか? たとえば来福真人(らいふくしんじん)のこととか」

 来福真人の名を聞くと、欧陽緋は嫌なことを思い出したのだろう。端整な顔をしかめながら言った。

「来福真人………。わたくしが宮廷を追われたのもあの道士のせいなのです。新しい農地開発に伴い、天手河から水を引くための治水工事が行われるということで、わたくしに風水判断の依頼をしてきたのですが」

「ええ、そこまでは知っています。ですが、その後なにが起きたのか教えてくれないまま、あなたは宮廷を去ったではありませんか」

「わたくしは河から農地までの地形、方角を丹念に調べ、重要な龍脈や砂を損なわないように指示した地図を書き上げました。しかし来福真人はわたくしの指示とは全く逆の、それこそ龍穴が台無しになりかねないような地図を工事の担当官へと渡したのです」

「そんなことがあったのですか。どうしてわたしに相談しなかったのですか?」

「あんまり頭にきたものですから……。あの、わたくし、一度怒りだすとあれでしょう。宮廷の中でちょっと汚い言葉を叫んだかもしれませんし、ほんの少し暴れたかもしれません」

「少し……。たしか衛兵を十五人ほど叩きのめしたそうですね。しかも素手で」

 龍が訊くと、欧陽緋は目を伏せて答えた。

「正確には三十人……。とにかく、今までの功績のおかげで宮廷から追い出されただけで済んだのは幸いでした」

「緋嬢。もしも来福真人の地図通りに治水工事が進められたのなら──」

「風水の形勢が大きく変化し、陰気、煞気が都に流れ込みます。魑魅魍魎や妖怪が跋扈する魔都と化すにはそう時間はかからないでしょう。わたくしがなにより許せないのは、それが風水学的に美しくないことなのです」

 それを聞いて龍は確信した。都で起こる怪異には来福真人率いる宮廷道士たちが必ず関わっているのだと。
 そして来福真人自身が妖怪。もとからそうだったのか、途中で入れ替わったのかはわからないが。
 その目的は、この地を人ならざる者の支配下に置こうというものだろうか。それだけは絶対に阻止しなければならない。

「緋嬢。わたしに力を貸してください。この都の人々を救うためにも」

 龍は熱い眼差しで欧陽緋の手を握った。欧陽緋の氷のような表情が緩み、ほんのりと赤みが差したかに見えた。

「……………………」

 欧陽緋は手を振りほどき、背を向けてこう言った。

「一つだけ条件が」

「なんでしょう? わたしにできることであれば」

「……今はまだ言いません。ともかく今回の件が解決したなら、一つだけ言うことを聞いてもらいます」

 なんだかもの凄く嫌な予感がしたが、今は一人でも多く協力者が必要なときだ。龍は複雑な表情でうなずいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み