第21話:ヤフーの儲けで太陽光発電事業開始

文字数 1,674文字

 友部が、ここの4人は、若いというか、バカと言うか、こういう話にも、真剣に乗ってくるのは、良い事だと、つくづく思った。この話の終わりの頃、シャープに勤める生島が、太陽光発電装置を使うことになる時は、会社に掛け合って共同研究か何かの名目で太陽光発電パネルを格安で購入できるように上司に掛け合ってあげるからと言ってくれた。

 そんな話をして、忘年会が終了し精算を終えた。お互いの健康と成功を祈願して解散した。数日後、1999年となった。暗い話ばかりの昨今、1月1日、欧州統合の切り札とされる欧州経済・通貨統合の下で、単一通貨ユーロが誕生。欧州連合「EU」各国による財政の健全化など長年にわたる周到な準備が実った。

 これで国際通貨システムは米ドルとユーロの2大通貨体制の確立に向けスタートを切った。この頃、山梨県内でも果樹園の生産者の高齢化と後継者不足で果樹園を閉鎖するところが増えてきた。もちろん不景気で販売価格も低迷し、果樹園を買い取る人も現れず、耕作放棄地が増えだし、それが大きな問題になっていた。

 1999年も不景気が続き、過去に例を見ない厳しい雇用情勢が続いた。総務庁の労働力調査では、6、7月の完全失業率が史上最悪の4.9%を記録し、300万人を超える人が失業の憂き目にあった。1998年には、京セラが太陽電池生産量で世界一のメーカーになった事が、1999年春に判明。1999年には、シャープと京セラが年間生産量で世界1位、2位へ。

 その後1999年には、日本の太陽電池生産量が、アメリカを抜いて世界一位になった。そして、1999年も足早に過ぎて、秋になり、今年は、残念ながら、友部輝一、川松修二、生島次郎が、そろわないので、忘年会は、できなかった。やがて、2000年となった。2000年2月22日、ヤフー株が、気配値16900万円で寄り付いた。

 その間に2分割を2回していたので、父と丹下聡二の2株が8株に増えていた。そのため父と丹下聡二の税引き後利益が10億6千万円を手に入れた。その他、友部輝一が10億6千万円、川松修二、生島次郎もヤフー株を売り5億3千万円を手に入れた。2月26日、絹ちゃんを甲府湯村温泉の常盤ホテルに呼びだした。

 そして、君の言う通り、株でもうけたと言った。そこで、今、住んでいる近くアパートの近くに数年前にできた2DKのマンションを見に行った時、2世帯用に2つのマンションの間の壁に行き来できるドアのある部屋を探した。そんな部屋が、4室見つけたと告げた。発売当初、老夫婦と子供夫婦の2世帯で、住めるように工夫した部屋だそうだ。

 その4室のうち、2室続きの部屋の空きが、出たら、知らせてくれるように不動産屋に伝えたと言った。奥さんに、そんな2世帯用のマンションに引っ越さないかと聞くと良いわねと言った。絹ちゃんもスナックを店を開いて10年で金もできたし今のアパートを引っ越してスナックも手伝いの人に売り渡そうかと思っているのと語った。

 もう、なんだか、疲れちゃったと言い笑いながら、あなたと一緒に生活したくなったの告げた。それを聞いて、是非、そうしようと言い、その晩も燃え上がった。別れ際、2室続きのマンションに空きが出たら、すぐに、知らせると言うと、うれしいわとお礼を言い、丹下聡二が、絹ちゃんの頬にキスをした。そして車に乗って、彼女を家まで送り届けた。

 3月6日、不動産屋から2室続きのマンションが1つ、4月末空きが出ると連絡が入り、5月1日以降、入居できますと説明してくれた。その後、友部と川松修二、生島次郎から電話が入り3月19日に会いたいと電話が入った。当日の晩、忘年会をしている料理屋の1室を借りた。18時過ぎには全員集まった。そして、まず、ヤフー株の成功に乾杯した。

 丹下と友部が2株、買っていたことを知ると、うおーと歓声が上がった。そして、友部が、6月のボーナスをもらったら退職すると話した。そして、ここで、丹下の協力のもと、大きな土地を手に入れて、太陽光発電と、風力発電の両方をやってみたいと話した。
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