第11話:景気引き締めバブル崩壊、神戸地震

文字数 1,784文字

 前年の1989年に導入された消費税も経済実態を見ると既に遅すぎ、結果的に、この金融引き締めは失敗。バブル経済を抑制する目的で実施した日本国政府や日本銀行による金融引き締め策が、結果的に失敗に終わり逆に景気に悪影響を及ぼした。関係者は「資産価格の高騰で国民の間に格差ができそのためバブル潰し・正常化が一番の課題だ」という見解だった。

 バブル崩壊後の政治状況は、1992年の佐川急便事件に端を発した金丸信の議員辞職、経世会分裂、小沢一郎の新生党旗揚げなど政界再編、細川政権誕生による55年体制の崩壊と政治改革。その後の細川首相の電撃辞任と羽田孜の短期政権、自社さ連立政権による村山富市への政権交代が頻繁に起こり混迷を極め政府はバブル崩壊後の経済状況に全く対応ができなかった。

 1993年末、日本の株式価値総額は、1989年末の株価の59%に急降下して終了した。その後、1994年6月、円高が加速して 戦後初めて1ドル100円を突破。東京外国為替市場でも、一時99円50銭と戦後最高値を更新。その後も円高の勢い話止まらず、むしろ、さらに、円高が継続して、円高の記録を次々と塗り替えていった。

 夏が過ぎて、秋になっても丹下は、定期的に、絹ちゃんのスナックに週に2、3回行き、その他に、月に1、2回、デートを重ねていた。しかし、お互いに自分の生活を変えずに人に知られず上手につき合っていた。つまり、お互いの人選を尊重しながら大人の付き合いを続けていたのだった。一般的には、大人の付き合いは、女性の方が男性にぶら下がる場合が多い。

 そして、食べさせてもらう場合が多いが、絹ちゃんは、自分自身の手で人生を楽しんでいた。その状態に、丹下は、いささかの不自由も感じずに、丹下農園の仕事を黙々と続けて、従業員の送迎や農園の維持管理をしっかりやっていた。今年も友部輝一、川松修二、生島次郎は、仕事が忙しいようで、実家に帰ってこないと連絡が入り、忘年会を開けなかった。

 その後、1994年が終了し1995年を迎えた。まだ続く円高、ドル安を見て、丹下聡二は、スナックの絹ちゃんに、今年ハワイ旅行に行かないかと誘った。すると、絹ちゃんが、良いわねと言った。そして、1月17日、早朝、丹下聡二が、起きて、歯を磨いているとき、神戸駅周辺から火の手が上がっていますとNHKの6時のニュースが入った。

 わー、これは、ひどいことになっていますと、ヘリコプターに乗ったNHKのアナウンサーが言い、少し行くと阪神高速道路の高架橋が無残になぎ倒されている映像が飛び込んできた。そして神戸駅の周辺からは、多くの火柱が上がっていた。その中でも1階が完全につぶれた古いビルの映像が流れて、恐怖のどん底に突き落とされた。

 とても大きな地震が起きたようですと、アナウンサーの絶叫が聞こえた。その後、車の渋滞で陸路は使えず、必要な物資は、大型船に乗せて海から運ぶことになった。その後、多数の死者が家具の下敷き、火事で亡くなった人が多いと判明。しかし、神戸に入る道路が渋滞で、救助隊が到着するのに多くの時間がかかった。

 その後、判明したのは、神戸駅周辺から淡路島につながる断層が、移動して起きた、狭い地域に大きな揺れを起こす断層型地震と判明。悪い事は続くとよく言うが、1995年も同じだった。1995年3月20日宗教団体のオウム真理教によって、現在の東京メトロ、地下鉄で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布された。

 その結果、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年、当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。死傷者数で見ると現在日本最悪の大量殺人事件である。

 事件から2日後の3月22日に警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施。そして、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになった。

 そして、5月16日に教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。リムジンの中で行われた秘密委会議には、麻原・村井・遠藤・井上・青山吉伸・石川公一の6人がいた。
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