第15話:沖縄から勝沼へ戻り、仲間たちと忘年会

文字数 1,708文字

 負けじと、丹下と絹ちゃんも踊りだして、汗びっしょりになるほど楽しんだ。23時近くなり、眠くなりタクシーでホテルに帰り、シャワーを浴び、寝ようとしたが、興奮が持続。丹下と絹ちゃんがベッドの中で話していると、再び仲良くなり、疲れ果てて、眠ってしまった。3日目は、ついに最終日、この日は、レンタカーで沖縄最北端の辺戸岬に出かけた。

 11時過ぎに到着し、辺戸岬の岸壁からの景色を写真に収めた。そこには、祖国復帰闘争碑が立っていて、生々しい歴史が書いてあり、単なる観光地ではなく、悲しい歴史があった事を思い知らされた。ニッコーオクマで、一休みしてお茶した。その後、南下して名護のパイナップルパークで、実際になっているパイナップルを見て、その甘い実を食べた。

 その後、残波岬、座喜味城跡も見学して18時過ぎに帰ってきた。その晩は、ホテルの近くのリウボウで夕食を食べて、お土産を買い込んだ。そして21時過ぎには、床について眠りについた。最終日、朝6時に起きタクシーで那覇空港へ。予約した航空会社のフロントで搭乗手続きを完了し、朝食をとった。10時発の便で飛び立ち羽田に12時半に到着した。

 その後、モノレールで東京駅へ。そこから中央線で勝沼駅に15時過ぎに到着。丹下と絹ちゃんは、別々に帰った。翌朝、従業員を迎えに行き、丹下聡二は、沖縄土産を配った。そして、兄の丹下聡一に、挨拶して、明日から、兄が4日間のグアム旅行に出かけるので、仕事を交代した。この頃、友部輝一、川松修二、生島次郎が、今年は、年末に帰ってくると連絡が入った。

 そして12月27日、いつもの料理屋に友部輝一、川松修二、生島次郎と丹下聡二がそろった。この時、友部が、1995年にソニー株100株を買って上昇していて期待していると話した。そして、ヤフー国内初の商用検索サイと「Yahoo! JAPAN」に。将来性を感じると言い上場したら安い所で買いたいと話した。

 川松修二、生島次郎は、以前、株を購入したが、現在は、少し利益が出て売り持っていないと言い忙しくて追ってられないと告げた。丹下は、俺もヤフー株に興味を持っていて、もし新規上場する時には、新規公開株を父と二人で買うつもりだと話した。その他、仕事が話が多く彼女の話は、今回もしない。これからは、インターネットを使う時代になるのは間違いない。

 どんな新しい産業ができるか興味があると友部が言い、将来性のある企業の株を買うのが一番賢い選択だと語った。そして、酒が回り始めた友部は、これは、夢物語だから適当に聞いてくれと前置きした。その後、ソニーやその他の株で、もし金ができたら、自分で自然エネルギー使った生活をしてみたい。

 例えば、広い土地に多くの太陽光発電装置と直流を交流に変換する装置「パワーコンディショナー」を使い、自分の家の電化製品、全てを動かしたいと言い風力発電にも興味があると述べた。その理由は、自分の会社、お店、家で使う電気を全て、自前で作れれば、二酸化炭素の問題、ひいては地球温暖化対策の切り札になると熱く語った。

 これが賢い文明人の生き方だと強調した。それに対し、川松と生島が、話してる意味は、分かるが、果たして、それが実現するかどうかは、全く不透明だと言った。それに対して、友部は、これからの時代は、自分の使うものは、自分で作る時代に、すべきだと主張は変わらないと語った。かなり、熱い議論になったが、そろそろ22時半すぎたので精算して帰ろうと伝えた。

 帰り際、友部は、丹下に、お前は俺の言っていることの意味を理解してるだろと聞くので、もちろん、良くわかると答えた。丹下は、それよりヤフー株を安く買って大儲けして金ができたら仕事を辞めて自分の好きな事をして生きたいなと言うと友部も俺も理想的には、そうしたいが、できるかなと言うので、そんな弱気でどうすると友部の肩をたたいた。

 そして、数日後、1997年を迎えた。今年は、なぜか、丹下聡二は、一人で初詣に行き、自分の好きなように生きていくための軍資金を稼げるように、よろしくお願いしますと、神頼みしてきた。おみくじを引くと、なんと、大吉だった。
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