第20話:不景気とイラク戦争

文字数 1,833文字

 その頃、丹下農園でも、日本の不景気のためか、ぶどう、桃の観光農園に来るお客さんが減り、また、ぶどう、桃の売り上げも下がり世の中の不景気の大きな影響を受けた。売れないので価格を下げて儲けが減り不景気のスパイラルが起きた。しかし、農園の経営者ではない丹下聡二は、仕事が暇になると絹ちゃんと温泉に泊まり込んで逢瀬を思う存分楽しんだ。

 この頃、銀行経営は厳しくなり新たな貸出を絞り「貸し渋り」、既に貸している金を返してもらおうとした「貸しはがし」。そのため銀行から資金が回らなくなった企業は設備投資が減少。特に中小企業は資金不足で従業員の給料も払えなかったり生産費用がなく生産活動ができなくなった。新規卒業者の就職難やリストラによる中高年層の失業が増加し不景気は長期化。

 完全失業率過去最悪など戦後最悪の不況続いた。1998年の日本は戦後最悪の経済状態へ。経済成長は戦後最大のマイナスを記録。企業のリストラ、倒産から失業率は最悪となり、雇用不安が強まった。物価下落が企業収益の悪化を招き、不況へと連鎖するデフレスパイラルに落ち込む危険性が叫ばれ、「平成大不況」という言葉が、ちまたでは、ささやかれ始めた。

 こういう時は、えてして、悪い事が起きるものでイラクでの国連大量破壊兵器廃棄特別委員会による査察をめぐる対立で国連安保理はイラクに査察の無条件受け入れを求めた。米国は1月、イラクに対し、単独でも軍事行動に踏み切る意向を示し、一触即発の危機となった。しかし、2月、イラクを訪問したアナン国連事務総長が査察受け入れの同意を取り付け、危機回避に成功。

 しかし、イラクは、査察には無条件で協力するといったのに虚偽の報告をしたり妨害したり、査察対象の建物を爆破。フセイン大統領の住む宮殿「 大統領関連施設 」には、主権を尊重するためなどの理由で査察官を入れなかった。1997年には 「査察を利用してアメリカがスパイ活動をした 」 などの理由でアメリカ人査察官を追放した。

 この間、アメリカはイラクの周辺地域に駐留し、イラク機が自由に飛べない飛行禁止空域を設けたり、1998年12月には、イラクがいうことを聞かないという理由でアメリカとイギリスがイラクを空爆した。しかしそれでもイラク問題は解決できず、その問題は先送りされた。

 今年、友部輝一、川松修二、生島次郎が帰ってくると連絡が入り、いつもの料理屋に12月26日に集合した。丹下が、今年も、全員、健康で何よりですと言って、食事を食べ始めた。一通り、食べ終わると、川松が、ノーパンしゃぶしゃぶの事件の話をして、あの体たらくを見て、日本経済が良くなる事はないなと痛感したというと、みんなもその意見に同意した。

 その後、友部が、ヤフー株が上昇しているが、自分たちで財産を作らないと今後、税金は、必ず上がると力説した。そして、日本でも高性能の太陽光パネルが次々に開発され、近いうちに、太陽電気生産量が世界一になると話した。そして、日本でも、家、工場、商店、スーパー、倉庫、ビルでも、太陽光発電を利用して自分の使う電気を自分で作ることになるかもしれない。

 そうすれば、石炭、石油、原子炉など公害をまき散らしたり、放射能の危険を減らすことができる。理想的には、自前で、電気を作れるようになる日が、近い将来、来るかもしれないと言った。それに対し、生島は、友部のいう事は正論で、正しいかもしれないが、世の中そんなに簡単じゃないと反論した。それに対し、友部が、そんなことは百も承知。

 でも、それを目指さなければいけないと力説。これに対し、現実はそう簡単ではないという意見は、生島と川松で、それを目指すべきと言うのは友部と丹下だった。川松が、ブドウ農家の広い農地に、シャープの多くの太陽光パネルを張れば、勝沼一体の家庭の電気はまかなえるだろうと、言った。しかし、それには、数億円の費用が、かかる。

 その費用を誰が、出すのかと聞くと、問題が起きるのは間違いない。その金を出せる人なんていやしないと言った。そうかな、そんなのわからないと丹下が語った。もし、株投資で、成功して、金ができたら挑戦すると話の成り行き上、断言した。

 それを聞いていた友部が、その時は、俺も一緒になって、手伝ってやるぞと、酒の勢いもあって、言い放った。それを聞いて、生島と川松が、その言葉を忘れるなよと、2人に言った、丹下が、でも、株で儲かった時の話だと言うと笑い声が漏れた。
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