第25話:太陽光だけでなく風力発電もやろう

文字数 1,667文字

 その頃、絹ちゃんと丹下は、相変わらず、仲良くし、丹下は、実家のブドウ農園と手伝いと暇な11月から3月迄、毎年、南の暖かい所へ出かけバカンスを楽しみ絹ちゃんとの愛を深めた。旅行先は、沖縄、久米島、宮古島、石垣島、武富島、小浜島、西表島、与那国島、波照間島、グアムが多かった。4人の仲間も、それぞれ、春夏秋冬に分けて長期休暇を取った。

 東京で開かれた2005年に自然エネルギーの展示会に丹下と友部輝一が見学に行き、日本で風力発電を最初に始めた会社の風力発電装置にくぎ付けになった。そこでは2004年12月に世界最高性能の小形風力発電機の試作に成功し、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構「NEDO]実用化開発のための補助金「2年間」の受給資格を獲得。

 比較的小型で発電効率も良く丹下と友部輝一が導入したいと希望。そのメーカーと交渉し2つの風力発電装置も無償で借りデーターをとる条件で10機を20%引きの値段4千万円で購入。地元の機械屋と支柱と風車を取り付ける装置を作り2005年6月から2ケ所の太陽光発電所の一番高い場所に風車を作り整流器とバッテリーを組み合わせて発電できるようにした。

 2006年4月、川松修二と生島次郎の出身大学の山梨大学の教官から大規模太陽光発電の話を聞き大学2,3年の休みにアルバイトさせて欲しいと言われ、面接をした。そして8人を採用して、アシスタントとして時給千円で雇った。そして、2ヘクタールの太陽光発電所の中に立てたエアコン付きプレハブ小屋に2人ずつ4チームが寝泊まりし、管理してもらうことにした。

 翌2007年には、山梨大学理工学部卒業でアルバイトした4人が、採用して欲しいと丹下と友部に頼みに来て採用。その後もアルバイト学生をやとい太陽光発電所の維持、管理をしてもらった。そのため丹下と友部輝一、川松修二と生島次郎は、今まで以上に暇な時間ができ、太陽光パネルと保守の仕事をきめ細かく行えるようになりチェックしてパネル交換したりした。

 一方、風力発電の方も思った以上の発電量を維持できて収益に貢献。但し、風の強い所と弱い所があり、設置する場所が重要だという事が分かり、以前、一律に横に並べていたものを風力強い場所を選んで、風力発電用の風車設置場所を変えた。これにより、以前の2倍の風力発電を得られるようになった。そうして2007年が去り2008年となった。

 2008年になり、ブドウ電気株式会社の収益が増えて、資金が豊富となり、今度は、風力をメインにした発電所をつくろうと、場所探しを始めた。6人に小型風力測定装置を渡し、県内を回ってみると、多くのことが分かった。山梨県内でも冬型気圧配置時に北西部の八ヶ岳周辺を吹き降りて甲府盆地に吹き付ける八ヶ岳おろしの北北西の強風である。

 10メートルから、日によっては20メートルの強風が吹きつけ、1,2月が特に、強烈であった。冬場に、勝沼の北西部と南部、中央高速の山側が特に強いことが判明した。そこで、対照となる場所を捜し歩くと、1ケ所、4ヘクタールの大きなブドウと桃農園があったが、強風のため実が落ちて商売に適さないという事で10年前から耕作放棄地になっていることが判明した。

 しかし、その土地は、荒れ放題であり防風林がある事で土地の賃料は安いが整地費用が、普通の農園の2倍以上かかることが判明。しかし、風力発電装置の発電量は、間違いなく、県内一であり、後ろ側は、高台に森になっていた。そのため整地費用だけで1千万円かかると言われたが、丹下は、もし成功したら大きいと思い、太陽光と風力発電所を作ることを決めた。

 2009年4月に工事に入り7月に終了。夏、暑いので10月から太陽光発電の設置台と太陽光パネルのはめ込みと風力発電用の高い木塔を風力計を使い風の強い所に10ケ所建てた。今回は慎重に太陽光発電設備を先に完成させ10月下旬から風力発電用の風車を立て始めた。すると丹下の彼女の絹ちゃんが、数日後、何かを掘り当てる夢を見たと、丹下に打ち明けた。
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