第22話:聡二達の引越しと太陽光発電準備

文字数 1,791文字

 その後、5月1日、丹下聡二が、4トントラックを借りて、早朝、絹ちゃんのマンションに行った。顔を隠すように、サングラスにマスクをかけて、引っ越し荷物をトラックに運び込んだ。その後、丹下聡二のアパートに行き、部屋の中に絹ちゃんを入れて、自分一人で荷物をトラックにつぎ込んでた。そして、引越し先のマンションへ行き、荷物を部屋に運び込んだ。

 その後、部屋の掃除を絹ちゃんに頼んだ。そして表札も別々につけ引越しが終了。それからは、丹下聡二と絹ちゃんは、心置きなく夜の生活にも励んで充実した生活を過ごした。そして、昼間、暇になったようで絹ちゃんが、土日の夕方中心に中学、高校生の家庭教師をするようになった。丹下聡二は、絹ちゃんの美味しい手料理を食べて、少し太った。

 そして、絹ちゃんは、月10万円前後の小遣いをアルバイトで稼いだ。2000年、当時、太陽光発電買い取り制度が始まっていた。川松修二、生島次郎が、俺たちも、1回の人生、友部と一緒に、その事業に参加したいと言った。それまでに丹下が、詳しい事業計画を友部と一緒に立てて、わかり次第、その情報をみんなに、送ると、表明すると喜んでくれた。

 その語、7月2日、友部輝一、川松修二、生島次郎が、地元、山梨に帰ってきた。そして賃貸契約できる耕作放棄地のを書き込んだ地図を見た。翌日、友部の照度計で午前10時から午後、16時まで回ってみると甲府の南東部と釜無川西岸の照度が良いことが分かり、耕作放棄地のに印をつけた。最初に、甲府の南東部に2ヘクタール。

 釜無川西岸に2ヘクタールの耕作放棄地を10年契約更新で年間40万円で借りた。太陽光102.4kwの設備を丹下と友人3人の名義で作った「ブドウ電気株式会社」で運転することにした。担当の農協に丹下聡二が行き、父、丹下農園の丹下哲彦の次男と言い、話をつけた。その後、父の知り合いの加藤土建の加藤社長にブルドーザーで整地してもらうようにお願いした。

 費用の見積もりも出してもらい、5百万円で引き受けてもらった。そして、友部輝一、川松修二、生島次郎は、実家から通って仕事に来ることになった。そして、各自が自家用車を購入して通い始めた。その後、10月1日、川松は、シャープの太陽光発電パネルと京セラの太陽光発電パネルのうち訳アリ商品を102.4Kw分を買い、倉庫に在庫してもらった。

 輸送費用を含め2千万円。パネル設置は、アルバイト10人で10日間かけ10月14日に設置完了。友部と川松修二、生島次郎、丹下の4人でチェック。近くの工業団地まで千メートルの地下配線工事を1千万円でお願いした。直流を交流に変換する整流器「パワコンディショナー」をTB電機と共同開発の新製品の試作品をデータをとる条件で10年100万円で借りた。

 リチウムイオン電池は、友部輝一が松下電器との交渉で10年間データをとるという名目で100万円で貸与してもらい設置した。他に機材が大きいのでトラックでの輸送費用は両方で300万円かかった。地元の電気工事会社に地下電線で太陽光で作った電気を工業団地で使用してもらうテストを友部輝一の元同僚の佐島敏夫に来てもらい手伝ってもらった。

 友部と2人で、一緒にテストを開始して使える事が判明。最終的に実験、試験運転を終えて、使えるようになったがの11月1日。かかった総費用が、保険、アルバイト料、輸送費など含めて約6千万円となった。やがて2001年を迎えた。2001年1月10日、セブンイレブン株を、父と丹下聡二が、全株売却することを決心。

するとセブンイレブン株、千株が何回もの株式分割を経て38070株に増え、株価も上昇を続けた。その結果、税引き後利益が、9億3千万円。2人とも9億3千万円を手にした。その後、丹下聡二の総資産が20億円を超えた。その後、ソーラー仲間を集めた。そして友部輝一、川松修二、生島次郎、丹下聡二が2人に、別れて仕事を開始した。

 仕事は、甲府の南東部に2ヘクタール、釜無川西岸に2ヘクタールの土地に太陽光発電所を設置し、断熱材を入れたプレハブ管理小屋を建てて、監視し始める。その後、機械の不具合も起きずに、順調に作動。そして太陽光発電を丹下農園3つの大きな農園でも使えるように地中電線の工事を依頼する事にし4月中に完了。その費用600万円を丹下の父にも出してもらった。
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