第4話:フォークランド紛争と長崎豪雨、PC9801発売

文字数 1,750文字

 4月2日 アルゼンチン軍がイギリスと領有権を争っていたフォークランド諸島を占領「フォークランド紛争勃発」。1982年3月19日、アルゼンチン海軍艦艇がフォークランド諸島のイギリス領サウス・ジョージア島に2度に渡って寄港、イギリスに無断で民間人を上陸させた「サウスジョージア侵攻」。イギリスはサウス・ジョージア島からのアルゼンチン民間人の強制退去命令を出した。

 それと共に、3月28日には、アメリカ合衆国連邦政府へ支援を要請、アメリカ軍はアメリカ海軍の原子力潜水艦派遣を決定。4月2日にはアルゼンチン正規陸軍が同島に侵攻してきた。4月25日には、サウス・ジョージア島にイギリス軍が逆上陸、即日奪還。しかしアルゼンチン軍は航空攻撃でイギリス海軍艦船を次々と撃沈するなど優位に戦いを進めた。

 しかし、イギリス軍は経験豊富な陸軍特殊部隊による陸戦や長距離爆撃機による空爆、また同盟国アメリカ合衆国やEC及びNATO諸国、さらにアルゼンチンと対立関係にあるチリの支援を受けて情報戦を有利に進め、アルゼンチンの海軍戦力を足止めさせるなど徐々に勢いを削いだ。6月7日には、フォークランド諸島にイギリス軍地上部隊が上陸、6月14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏し戦闘は終結した。

 1982年7月23日 九州地方北部の集中豪雨で長崎市で大きな被害。8月2日 台風10号が愛知県に上陸。死者・行方不明者95名。同時に国鉄の東海道本線富士川橋梁「下り線側」が流失。その後10月1日 ソニーが世界初のCDプレーヤー、「CDP-101」発売。CDソフト50タイトルも同時発売。10月13日 NECが「PC-9801」を発売。

 CDプレーヤーとPC9801の発売の話を聞き、早速、秋葉原に、出かけ、CDの音質の良さを実際に体験すると、今までのカセットテープとの違いにがくぜんとした。これからCDが主流になると感じた。PC9801の人気はすごく、NECビットインには、大勢のお客さんが来て、とても入って、ゆっくり試すことができないとわかり、落ち着くまで待つことにした。

 この頃、丹下農園では、多くの人を雇っていたので、父の丹下哲彦は、従業員を送り迎えするように、ハイエースを4台購入。丹下聡二も、そのハイエースを運転し従業員を送り迎えした。先月、秋葉原で聞いたCDの高音質に感激してCDP-101とCD10枚購入して、自分の部屋で夜寝る前にヘッドフォンで聞いたりして、その音の良さに感動した。PC9801も欲しいが高価で株で父に借りがあるので買えない。

 そうして1982年も12月を迎え、今年も、友部輝一、川松修二、生島次郎、丹下の4人で忘年会をした。来年1983年になると大学3年になり、そろそろ就職先探しを始める時期になると話した。友部輝一は、ソニーかパナソニック、川松修二は、シャープか三洋電機、生島次郎は、日立か京セラに入りたいと語った。そのために就職希望先で夏休みアルバイトをして就職できるように根回しすべきだと発言。

確かに、その方が良いと友部輝一が述べると、川松が、そこまで必要かよと、どなった。友部が、米国経済は深刻な不況期だと訴えた。米国では増え続ける経常収支の赤字、さらに、実質経済成長率の低下、失業率上昇、消費者物価上昇率も13%を超え、スタグフレーションになった。

 そのため米国産業界に不満が溜まり今後、保護主義的な行動が起きると予想した。それを聞いて、生島次郎も友部の意見に同調。
「1981年に日本政府と自動車業界は輸出自主規制を受け入れたと、つぶやいた」
「また、日本の半導体も割安で優秀であり、アメリカで売れ始めてるらしいと言った」

 確か、日本の対米貿易統計で日本からアメリカへの輸出金額が急増してるのに日本の米国製品の輸入は横ばいでアメリカからの反撃が怖い日経新聞に書いてあったと述べた。
「確かに日米関係はまずい方向に向かってるのかもしれないなと川松も納得した」

 そんな話をしていると22時を過ぎて、忘年会を終了。来年、友部輝一、川松修二と生島次郎は、就職している可能性が高いから、どこに入ったのか聞くのが楽しみだなと話した。その後、部屋を出て、各自、自宅に帰っていった。やがて、1983年を迎えた。
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