第24話:太陽光発電開始と普及協会に参加

文字数 1,613文字

 そんな嫌な21世紀の初めの年、太陽光発電の事で、うれしいニュースを手に入れた。それは、同じ山梨県の八ヶ岳の南側の大泉村に2年前に自宅に太陽光発電設備を入れて大規模太陽光発電所を作り始めた朝水さんがいる事を友部が調べた事だ。早速、丹下、友部輝一、川松修二、生島次郎の4人で、朝水さんの所へ行き、今後の太陽光発電について熱く語り合った。

 そして2002年となり、今後、4人実家で自宅に太陽光発電を入れると政府の補助金制度が充実してくるはずだから、毎年、少しずつ、投資金額を回収できると友部輝一に教えた。その後、川松修二がシャープのソーラーパネル9.3kw、生島次郎が、京セラのソーラーパネルの訳あり商品を格安でそろえて、カーポートを含めて設置費用が1世帯400万円かかった。

 実際に家庭で使っている光熱費を売電費用を差し引きくと毎月平均4.5万円となり年間50万円となり8年で設置費用をペイできる計算になった。2002年10月になり太陽光発電普及協会・山梨県支部に入会して欲しいという手紙が丹下聡二の元に入った。了解する旨の手紙を送ると10月12日、山梨県民ホールで会合があるので集会があるので招待状が届いた。

 その会には、会長の丹下聡二と副会長、友部輝一、川松修二、生島次郎の4人が出席した。手紙をくれた朝山さんが、自己紹介して、7年前に八ヶ岳、山ろくで太陽光発電を始めたと話した。それに対し、2000年から耕作放棄地を2ヘクタール、2ケ所、合計4ヘクタールで太陽光発電を始めた。

 2002年には、各家庭、4軒で屋根とカーポートに、ソーラーパネル発電を始め売電も始めたと説明。そして友部輝一が、パナソニック、川松修二が、シャープ、生島次郎、京セラに以前、勤めていて、訳あり品を修理したものを安く集めて太陽光設備を作った。そのエネルギーを近所の工業団地に売電していると話した。

 日本で、発足したばかりの「太陽光発電普及協会・全国太陽光発電所長会」の井口正俊会長が、3人の専門家がいるのは、頼もしいと笑いながら言ってくれた。今後も情報交換して一緒にやっていきましょうと丹下が挨拶した。この様な地方での太陽光発電普及協会の働きかけによって、この活動の成果として一般住宅用太陽光発電の最大設置規模29Kwが決定された。

 また、各電力会社により太陽光発電設置に伴い電力会社が工事を行う場合の費用や売電メーターの負担金を求める場合がある。しかし、太陽光発電普及協会の活動により、東京電力管内では、それら工事費用を太陽光発電設置者に求めないようになった。全国の太陽光発電所の総件数は2002年度中に約10万件に達するのに太陽光発電所には何の権利も認められていない。

 大電力会社の言いなりで、さらに2003年の電気事業法改正で、2004年から2005年にかけて小売りの自由化範囲が拡大。契約「使用」規模が50キロワット以上の「高圧」部分の顧客に広がった。これで日本の電力販売量の約6割が自由化対象となった。また小売部門の一部自由化に伴い送配電線利用制度「託送制度」について公平性・透明性を確保する取組が開始。

 これらの改革で大口需要「工場、オフィスビルなど」については、小売事業者の選択や自由な料金設定が実現するとともに、再生可能エネルギー事業者の参入など、発電事業者の多様化が一定程度、進展してき始めた。これによって、太陽光発電業者が全国に増え始めた。そして丹下聡二が、自分の財産を活用して甲府の周辺15kmで、太陽光発電が可能な場所を探した。

 そして、10年契約更新で年間40万円以下で借りられる耕作放棄地を探し、その後、2006年と1ケ所、翌2007年も1ケ所、2ヘクタールの土地を2ケ所借り受けた。これで、合計8ヘクタールの太陽光発電所ができた。2007年には、家庭用の太陽光発電装置で作った電気の買い取り制度で設置資金が回収できた。
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