守銭奴の女

文字数 3,410文字

 死体だらけの洋館の一室。
 そこに三人の男女が集まっていた。

 一人は負債勇者・佐久間信介。
 仏頂面の彼はソファーに座って足を組み、硬そうな干し肉を齧っている。
 窓から差す陽光を受け、淡褐色の虹彩が輝いていた。
 ただしその瞳は無限の暗黒を彷彿とさせるような黒さを孕む。
 災厄の名に相応しい狂気を秘めていた。

 佐久間の隣にはメイド服のマリーシェが腰かけている。
 彼女はどこまでも無機質で、今も人形かと見紛うほど微動だにしない。
 瞬きすらしないので、不気味さがひたすら際立っていた。
 マリーシェの目は如何なる感情も映さない。

 ローテーブルを挟んだ二人の対面には、冒険者の恰好をした女が座る。
 佐久間が暴漢から助けた女だ。
 そわそわとして落ち着きがない。

 室内には独特の空気が漂っている。
 気まずさを感じているのは女冒険者だけだろう。
 佐久間とマリーシェは平然とした調子である。
 やがて沈黙に耐え切れなくなったのか、女冒険者が話を切り出した。

「えっと、助けてくれてありがとう……アタシはユアリア。それで、あなたたちは誰なの?」

「巷で話題の負債勇者だ。横のメイドはマリーシェ」

「私の名前はマリーシェです。よろしくお願いします」

 佐久間は皮肉っぽく答え、マリーシェはぺこりと一礼して名乗る。
 負債勇者という言葉を耳にした瞬間、女冒険者・ユアリアは身を硬くした。
 最近では常に話題の中心となっていることもあり、彼のことを知っていたらしい。
 だが、彼女はそれ以上のリアクションは見せずに座り直す。

「君が噂の……ふーん、思ったより若いのねぇー」

 神妙そうなユアリアの言葉に、佐久間は思わず眉を寄せる。
 なんだか想像とは異なる反応なのだ。

 気まぐれで彼女を助けたが、もっと怯えられると予想していた。
 佐久間としては、悲鳴を上げて逃げられてもおかしくないとまで考えていたのである。
 今までだってずっとそうだった。

 しかし、目の前のユアリアは興味津々と言った様子でじろじろと佐久間を観察している。
 まるで恐れていなかった。
 さすがに気になった佐久間は尋ねる。

「俺が怖くないのか」

「そりゃ命の恩人だからねぇー。負債勇者というのは驚いたけど、こうして面と向かってみたら案外普通の人みたいだし」

「普通……」

 虚を突いた言葉を受け、佐久間は何とも言えない表情で頬を掻く。
 現在の自分とはあまりにかけ離れた表現だと彼は思った。
 負債勇者とは災厄と同義の悪名である。
 事実、ここに至る前に大量の命を奪ってきた。
 両手は血に染まりすぎて犠牲者の数も覚えていない。

 そんな佐久間という存在を、ユアリアは普通の人だと評した。
 彼女だって負債勇者の行いを耳にしているはずなのに。
 あまつさえ眼前で凄惨な殺戮を起こしたのに。
 すべてを見知った上で、ユアリアは佐久間の対面で気楽な態度を崩さない。

 佐久間は苦々しい顔で腕組みをすると、じっとユアリアを見る。
 彼女の真意を探るためだ。
 きっと何らかの打算や嘘が紛れているに違いない。
 彼はそう信じて疑わなかった。

「ふむ……」

「なになにどうしたの? もしかしてアタシに見惚れてる?」

 佐久間の視線をどう解釈したのか、ユアリアはくねくねと動いておどけてみせる。
 やはり予想の斜め上を行くリアクションだった。
 なぜか得意気なユアリアを前に、佐久間は頭を抱えたくなってくる。 
 しかし、助けを求めようにも隣にはマリーシェしかいない。
 彼女は彫刻のように固まって完全に背景の一部と化していた。

「ところで、なぜあの連中に追いかけられていたんだ」

 話題が脱線しつつあったので佐久間は軌道修正を図る。
 ユアリアのペースに呑まれたくないという気持ちもあった。
 当の彼女は唇に指を当てて明後日の方向を向く。

「いやぁー、ちょっとヘマをしちゃってねぇー……まあ、金銭トラブルってやつよ」

「そうか」

 佐久間は深く追及せずに頷く。
 何をするにしても金を要求される世界だ。
 大なり小なり問題が起きることなど日常茶飯事に違いない。
 事の重大さが異なるものの、佐久間の異世界召喚すら金銭トラブルという枠組みになり得るのだから。

「でも困ったわぁー。君が殺しちゃったのはとある組織の末端なんだけど、きっとアタシのことを許さないでしょうね。すぐに居場所を嗅ぎ付けられて捕まっちゃいそう」

 わざとらしく自らの肩を抱くユアリア。
 佐久間は冷めた眼差しを送る。

「俺にその組織とやらを壊滅させろと言いたいのか」

「――ふふっ、冗談よ。本気にしちゃった? 大丈夫大丈夫、気にしないで。この手のトラブルには何度も巻き込まれているから慣れているのよ。でも、助けてくれたことは本当に感謝してるからね?」

 そう言ってユアリアは部屋を出て行こうとする。
 佐久間は腰を上げて立ち上がり、彼女の方へ手を伸ばした。

「待て。どこへ行くつもりだ」

「うーん、とりあえず帝都から離れるつもり。組織は謝って許してくれる連中ではないからね。今なら追手もないだろうし、まだ安全かなぁって」

 涼しげな調子で答えるユアリアは穏やかな笑みを見せる。
 危機に瀕しているはずなのに、まるで世間話でもしているかのような雰囲気すらあった。
 これが彼女にとっての日常なのかもしれない。
 何かを感じ取った佐久間は、ユアリアの前に歩み寄って問う。

「その後はどうする。別の土地でも逃避行を続けるのか」

「もちろん。これまでもそうやって生きてきたの。何をするにもお金は必要。でも、大金を得るためには綱渡りをしなくちゃいけない場面だってある。今がその時ってわけね」

 佐久間を見つめ返すユアリアの目は固い意志の光を帯びていた。
 どうしようもない世界の法則を理解しながらも、芯の通った自分を保つ精神。
 過酷な環境を過ごしてきた者のしたたかさと確かな覚悟が窺える。
 一体、彼女は如何なる人生を歩んで来たのか。
 少し前まで現代日本で平穏な人生を送ってきた佐久間には想像もつかなかった。

 故に負債勇者は口を噤む。
 反論する術を知らないからだ。
 昏い絶望を受け入れた彼にとって、苦境に抗い踏み越えようとするユアリアは酷く眩しかった。
 まさしく人間の強さ。
 佐久間が捨てたモノである。

「アタシ、お金が大好きなの。たぶん死んでも治らない悪癖ね」

 締め括りのセリフはどこか自嘲を含んだものであった。
 ユアリアは寂しげに目を伏せて扉に手をかける。
 そのまま開かれる寸前、佐久間が彼女の肩に手を置いた。

「ん? どうかしたのかしら?」

「……出発を遅らせてほしい。その間に元凶を叩き潰す」

 彼が提案したのは純粋な暴力による解決。
 災厄たる負債勇者にはそれしか残されていない。

 ユアリアはそっと佐久間に寄り添うと、目を細めて彼の頬に触れる。
 至近距離で重なる両者の視線。
 僅かな沈黙が紡がれる。
 先に言葉を発したのはユアリアだった。

「どうして見ず知らずの女のためにそこまで?」

「なんとなくだ。殺そうと思ったから殺す。理由としては十分だろう」

 肩を竦める佐久間。
 ユアリアはさらに尋ねる。

「アタシ一人を助けるのに大勢の人間を殺すつもり?」

「あぁ、そうだ。欠片の報復もできないよう、徹底的に殺し尽くす」

 佐久間は躊躇いなく断言した。
 ユアリアは上目遣いに疑問を投げる。

「君はお金が好きなの? それとも嫌い?」

「…………どうだろうな」

 佐久間は最後だけ歯切れ悪く返した。
 或いはそれが彼の答えなのかもしれない。

 そこまで聞き終えたユアリアは、急に態度を軟化させた。
 軽やかなステップで佐久間から離れると、自然な動作でウインクをする。

「じゃあ、お願いしちゃおうかしら。頼りにしてるわ、正義の味方の勇者さん」

「正義とは程遠いがな」

「ふふっ、確かにそれもそうねぇー」

 ユアリアは思わず顔を綻ばせる。
 人懐こくて屈託のない笑みだ。
 その表情にかつての幼馴染の姿を重ねた佐久間は、ずきりと胸の奥が痛むのを感じた。
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