翼竜との戦い

文字数 2,449文字

「なっ……!?」

 突然のことに硬直する佐久間。
 思考が現実に追いつかなかった。
 目の前の光景が信じられないのである。

 マリーシェの生首が宙を舞った。
 ばさりと乱れる暗紅色の頭髪。
 呆けた表情で虚空を見つめている。
 自分の身に何が起こったのか、理解できていないのかもしれない。

 続けて手足と胴体も離れ離れになって地面を転がった。
 破れたリュックサックが中身をぶちまける。
 長銃の引き金にかかったままの指。
 攻撃を察知して発砲する直前だったのか。
 胴体だけが収まったメイド服がひらひらと虚しくはためく。

 両手足と胴体と頭部。
 六つのパーツに分解されたマリーシェは、廃塔の入口前に晒された。
 彼女を襲った爪は上空へと消える。
 何か巨大な気配が地面に影を落としていた。
 豪快な羽ばたき音が徐々に小さくなっていく。
 死角からの完璧な不意打ちであった。
 確実に仕留められるタイミングを虎視眈々と狙っていたのだろう。

 佐久間は悪態を吐きながら廃塔に転がり込む。
 入口付近にいては、マリーシェの二の舞になる可能性があった。
 半開きになった鉄扉を睨みつつ、佐久間は舌打ちをする。

「作戦が台無しになったが仕方ない。真正面から殺す準備をするか……」

 魔物の肉を捨てた佐久間は、床に散らばった冒険者の遺品を調べ始める。
 おそらく翼竜に倒された者の成れの果てだろう。
 死体は白骨化しているが、装備のいくつかはまだ使えそうだった。
 その中から佐久間は二つの武器を手に取る。
 三日月状の刃が特徴のクレセントアックスと無骨な棍棒だ。
 魔術的な力を内包しているのか、どちらも赤い光を仄かに灯している。
 最後に一度だけマリーシェの残骸を一瞥した後、佐久間は螺旋階段を上りだした。

 佐久間は全力疾走で廃塔の頂上を目指す。
 二階以降は廃墟の趣きが強かった。
 内部はどこもかしこも崩れて瓦礫が目立つ。
 移動の最中、佐久間は割れた壁の隙間から外の様子を窺う。

 視界を横切る緑色の巨躯。
 体表を覆う鱗が陽光を反射させて鈍く輝いた。
 前肢と一体化した蝙蝠のような翼がばさばさと空を切る。
 爬虫類を彷彿とさせるじっとりとした瞳が廃塔を見下ろしていた。

 ――翼竜だ。

 緑色の翼竜が優雅に旋回飛行をしている。
 全長二十メートルは下らないだろう。
 蜥蜴のような頭部に長い首と胴体。
 四肢には鋭い爪が生えている。
 あれがマリーシェの肉体を引き裂いたらしい。

「ハハッ、まさにファンタジーって感じの怪獣だな。それでこそ殺し甲斐がある」

 ぎらぎらとした眼差しで佐久間は言う。
 人外の握力で軋みを立てる武器。
 討伐対象は強大な魔物だが、彼自身も紛うこと無き化け物だった。
 形勢は不利であるものの、佐久間は悲壮感を感じていない。
 それどころか、翼竜の殺害方法について考えを巡らせている。

 彼にとってこの戦いは通過点に過ぎないのだ。
 ただ金銭を得るための手段である。
 こんなところで死ぬようなら話にならない。
 負債勇者は殺意を湛えて翼竜を睨み返す。 

「今日の昼食にしてやるよ。狼よりかは美味そうだ」

 佐久間の呟きが聞こえたのかは定かではないが、翼竜が唐突に咆哮した。
 空気をびりびりと震わせる大声量。
 そこらの獣なら怯えて逃げ出しそうな迫力がある。
 咆哮の喧しさに顔を顰めつつも、佐久間は平然と微笑した。

「……弔い合戦ってわけじゃないが、お前は嬲り殺しにしてやるさ」



 ◆



 佐久間は螺旋階段をひたすら駆け上り、ほどなくして最上階へと至る。
 最上階は壁や天井の崩壊し、見晴らしの良い状態となっていた。
 床の一角には野生動物や魔物の死骸が山積みとなっている。
 新鮮なものばかりで、腐敗臭はほとんどしない。
 食事用として貯め込まれているのだろうか。
 最上階の様子を観察し終えた佐久間は、ふと上空を見上げる。

「来たか」

 凄まじい轟音が鳴り響くと同時、佐久間の前方に巨大な翼竜が着地した。
 羽ばたきが瓦礫を転がし、佐久間の衣服をばさばさと翻る。
 太い四肢で巨躯を支える翼竜は、血走った目で獲物を見やった。
 そこに含まれるのは、無断で縄張りに侵入されたことに対する怒りと獰猛な捕食本能。
 されど、確かな知性も感じられる。
 かりかりと石床を爪で引っ掻きながら、翼竜は初撃の機械を待っていた。

 対峙する佐久間は、クレセントアックスと棍棒を手にじりじりと距離を詰める。
 両者のリーチには絶望的なまでの差があり、佐久間は近付かなければ有効打を放てないのだ。
 それでも迂闊に走り出したりはしない。
 相手は不意打ちをするだけの賢さを持っているのだから。
 ここで悪手を取れば、まず間違いなく殺されてしまう。
 慎重に一歩ずつ進んでいく。

 廃塔最上階に形成された沈黙と緊張感。
 負債勇者と翼竜の戦いは、そんな雰囲気から始まる。
 互いに相手の出方を窺っていた。
 場の空気が軋みそうなほどに張り詰めている。
 吹き抜ける風の音と、佐久間の足音だけが妙に響いた。

 そうして両者の距離が十メートルを切った瞬間、佐久間が動く。
 床を踏み割る勢いで走り、クレセントアックスの斬撃を翼竜の足首に叩き込んだのだ。
 緊張の隙間を縫う鮮やかな動きであった。
 鳴り響く甲高い衝突音。
 佐久間は先制攻撃の成果を確かめる。

 全体が金属で造られたクレセントアックスは中途でひん曲がり、刃は大きく欠けていた。
 斬撃の命中した箇所は鱗が何枚か破損しているが、内側の肉までダメージが届いた様子はない。
 完全な無傷と言って良かった。
 驚愕する佐久間はしかし、背筋にうすら寒いものを感じて後方へ飛び退く。

「ぐっ……!?」

 焼かれるような激しい痛み。
 翼竜の爪が、佐久間の背中を抉った。
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