災厄の意趣返し

文字数 2,289文字

 月明かりの差す仄暗い部屋。
 夜闇に溶け込むように、佐久間は佇んでいた。

「これは、ただの気まぐれだ。別に何のこともない。」

 自らに言い聞かせるような呟き。
 室内には誰もいなかった。

 佐久間の双眸は虚空を凝視している。

「元からその予定だった。タイミングがたまたま重なっただけだ」

 負債勇者は怒り狂っていた。
 表面上は辛うじて冷静さを保ってはいるものの、内心ではマグマのような激情が煮えくり返っている。

 それは火の燃え広がる火薬庫に等しく、いつ爆発してもおかしくなかった。

 ぶつぶつと独り言を漏らす佐久間をよそに部屋の扉が開く。
 現れたのはユアリアだった。

「こんな所にいたのねぇ。宰相処刑の報せを聞いて飛び出したそうだけど、どうしたのかしら」

「……何でもない。少し今後の予定を考えていただけだ」

 佐久間は不機嫌そうに返すと、そばの椅子に座った。
 肘掛けに乗せた指がコツコツと音を鳴らす。

 軽く溜息を吐いたユアリアはソファに腰掛けた。
 ちょうど斜め向かいに佐久間が見える位置だ。

 彼女は特に気負うこともなく切り出す。

「宰相さんって、あなたと接触したことで殺されるそうね。国王の能力を喋っちゃったとか」

「それを誰から聞いた」

 佐久間は鋭い視線をユアリアに投げる。

 ユアリアは臆することなく答えた。

「マリーシェちゃんよ。さっき尋ねたら教えてくれたの」

「あいつが……」

 予想外の名前に佐久間は驚く。

 確かにあの場にマリーシェはいたが、まさか話の内容を聞いているとは思わなかったのだ。
 彼女なりに見聞きしたことを理解しようとしているのか。

 マリーシェの真意は定かではないものの、それならばユアリアが当時のやり取りを知っているのも頷ける。

 深いため息を吐いた佐久間は、額を押さえながら問いかけた。

「……で、それがどうした。わざわざ世間話をしに来たわけじゃないだろう」

「もちろんよ。あなたは宰相さんを助けに行ったりするのかしら? 三日後に処刑されるそうよ」

 さらりと紡がれた核心を突く問いかけ。
 ユアリアの挑戦的な視線が負債勇者を射抜く。

「…………」

 佐久間は黙り込む。
 どこか遠くを見据えた顔で何かを考えていた。
 先ほどまでの怒りは幾分か治まったらしかった。

 時間にして二分ほどだろうか。
 たっぷりと熟考を経て佐久間は答える。

「別に。当初の予定通り、国王を殺しに行くだけだ」

 沼ですべてを捨てた佐久間は、この国の王の殺害を宣言し心に誓った。
 その過程で負債返済や実力上昇のために様々な方面に影響を与えてはいるが、本来の目的は忘れていない。

 元より実行すると決めていたことだ。
 宰相の事情など関係ない、というのが佐久間の主張であった。

(ふふっ、素直になれないのねぇ)

 ユアリアは口元に手を当てて苦笑する。
 リアクションもそこそこに彼女は尋ねた。

「国王を殺すのはいいけど、こっちで何か準備することはある? 必要なら商会から兵を手配するけれど」

 現在のユアリアは商会幹部の秘書という肩書きだった。
 佐久間が特別顧問の座に就いた際、追従する形で成り上がったのである。

 王都における業務全般の最高権限は彼女にあり、普段はこれといった活動はしていないが、何かあった時は口出しできるようになっていた。
 佐久間が商会の活動内容に触れない分、実質的な支配力は彼女の方が上かもしれない。

 そんなユアリアの気遣いを受けた佐久間だが、冷めた表情で首を横に振る。

「必要ない。王城へは俺だけで乗り込む。お前は商会の手綱を握っておけ」

「でも、せめて誰かを連れて行った方が……」

「余計なことをしても負債を被る人間が増えるだけで邪魔だ」

 ユアリアのやんわりとした反論を一蹴し、佐久間は部屋を出て行こうとする。

 その時、出入り口のドアが音を立てて開いた。
 現れたのはやや長身な人影だ。

 シックなメイド服にフル武装した銃器。
 鉄仮面の如き無表情は眼前の佐久間を凝視する。
 その女――マリーシェは抑揚に乏しい声音で言った。

「旦那様。戦いの準備が完了いたしました。私はいつでも行動可能です。なんなりとご命令を」

 銃を構えるマリーシェの背後から、ひょこりとカシフも顔を出す。

「話は聞かせてもらったよ。大将のことだから、そういう無鉄砲なことを考えていると思ったぜ。こういう時こそ傭兵の出番だろう?」

「お前ら……」

 佐久間は呆然とした様子で言葉を失う。

 全くの予想外だったのだ。
 自分一人で解決するつもりだった。
 それだというのに、こんな形で邪魔されるとは。

 暫し固まった後、佐久間はマリーシェとカシフにぶつかりながら部屋を去る。
 顔は俯きがちで分からなかった。

 少し歩いた廊下の先から、佐久間は振り返らずに言う。

「……処刑当日に襲撃を仕掛ける。遅れるなよ」

 それだけ述べると、佐久間はさっさといなくなってしまった。

「承知しました」

「へいへい、こちとら準備万端さー」

 各々返事をしたマリーシェとカシフも、それぞれどこかへといなくなる。

 独り部屋に残されたユアリアは、肩を竦めて笑った。

「やれやれって感じだわぁ――たまにはアタシも表立って活躍してみようかしら」

 ユアリアは不敵な表情を作って部屋を退室する。

 悪意に満ちた出来事を前に、災厄が動き出しつつあった。
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