負債勇者の誕生

文字数 6,201文字

 翌朝の王都。
 中央広場は民衆でごった返していた。
 二日前に負債の勇者の公開処刑が告知されたためである。
 誰もが異世界からやってきた人間に興味津々だった。
 召喚当日は巷を騒がせたので、その存在を知らない者はいない。

 民衆の前には木造の舞台が設けられていた。
 周囲は騎士が取り囲んでおり、厳重な警備が敷かれている。
 ここで勇者の死が披露される予定なのだ。
 黒布を被った処刑人が大斧を手に舞台の上に佇み、今か今かと出番を待っている。

 国王は城のバルコニーから退屈そうに広場を見下ろしていた。
 傍らには宮廷魔術師兼宰相のグレゴリアスが立つ。
 かれこれ数時間はこの調子だ。
 いつまで経っても始まらない処刑に民衆たちも不満を抱き始めており、何とも弛緩した雰囲気が流れている。
 痺れを切らしたグレゴリアスは国王に尋ねた。

「……本当に戻ってくるでしょうか」

 もちろん勇者のことだ。
 三日間という猶予を得た勇者は、王都を出たきり一度も姿を見せていない。
 グレゴリアスの疑問に対し、国王は確信を以て頷く。

「必ず戻ってくる。負債も首輪もどうにもできないと悟って、泣きついてくるだろう。情に訴えればどうにかなると思っている。あの二人は、そんな目をしていた」

「しかし、このままでは民衆への示しがつきません。処刑を行うにしても、こちらから捜索隊を出した方が早く済むかと思うのですが……」

「グレゴリアス。貴様は儂を信じられないのか。そんなことをする暇があれば警備を徹底しろ。慌てずとも奴らはきっと姿を現すはずだ」

 その時、広場がにわかにざわついた。
 悲鳴と驚きがない交ぜになった声が次々と上がる。
 民衆が何かに気付き、ちょっとしたパニックが起きているようだ。
 やがて騒ぎは一旦の落ち着きを見せ、代わりに張り詰めた沈黙が訪れた。
 困惑する民衆の視線は、一人の青年に注目している。

 通りから歩いて来たその青年は、酷くみすぼらしい容姿をしていた。
 泥だらけの白シャツに擦り切れたカーゴパンツ。
 鎖骨の上辺りで鈍い光沢を帯びるのは首輪か。
 元の色が分からないほど汚れたスニーカーは、石畳に黒い足跡を残す。
 くすんだ黒髪はぼさぼさに乱れ、肌は病的なまでに白い。
 ふらついた歩みは、今にも倒れるのではと心配になるほどであった。

 一見すると弱々しい印象を受けるが、異様なのはその目だ。
 色素の抜けた淡褐色の虹彩は、昏い狂気を秘めている。
 黒々とした瞳孔は底なしの闇を彷彿とさせた。
 敏い者ならば、そこに静かな殺気も窺えたかもしれない。
 常軌を逸した感情を孕む双眸だった。

 青年は遅々とした足取りで舞台へと進む。
 彼を避けるように人垣が割れ、真っ直ぐと一本道ができた。
 警備の騎士は予想外の事態に戸惑っている。
 静まり返った広場に、青年の足音だけが妙に響いた。
 その光景を上から眺めていたグレゴリアスは、無意識のうちに呟く。

「勇者、殿……?」

 記憶にある外見と異なるが、青年は紛れもなく勇者だった。
 グレゴリアスはさりげなく国王の様子を窺う。
 立派なカイゼル髭を撫ぜながら、国王は顔を顰めていた。

「少々、まずいことになったかもしれんな」

「それは一体どういう――」

 国王のぼやきにグレゴリアスが反応するも、明確な答えは返って来ない。
 無為なやり取りを終える間もなく、事態は徐々に加速する。

 幾多もの視線を浴びる勇者――佐久間は舞台の正面に立った。
 表情は変化に乏しく、どことなく幽鬼のようにも見える。
 眼前の舞台が自らを処刑するために用意されたのだと、果たして彼は理解しているのか。
 皆が固唾を呑んで見守る中、佐久間は近くにいた騎士に尋ねた。

「人を勇者呼ばわりして責任を押し付けた挙句、勝手な都合で殺そうとした時の罪の重さは? 賠償金にするといくらになるのかな」

「え?」

 唐突に投げかけられた質問。
 騎士はただ動揺することしかできなかった。
 その様を目にした佐久間は、残念そうに言う。

「分からないか……じゃあ、死ね」

 直後、佐久間の片腕が霞んだ。
 高速で振り抜かれた手刀が騎士の顔面に炸裂し、そのまま頭蓋を叩き割る。
 箍の外れた怪力による荒業であった。
 騎士は悲鳴すら上げられず、獣じみた呻き声を漏らしながら倒れる。
 顔を覆う手の隙間から脳漿が溢れていた。
 痙攣する騎士の背中を踏み付けながら、佐久間は淡々と言う。

「なるほど、いい力だ。簡単に殺せる」

 佐久間は質の沼で膨大な額の負債と人外の力を得た。
 日が沈んでからも、彼自身が有するモノを次々と捨てて担保にしていったのである。
 身体機能の限界が放棄されるたびに、佐久間の肉体は急激に進化した。
 精神面も余分と見なした感情を取り除いたせいで豹変している。
 そうして極限まで削り尽くした末、処刑会場である王都に舞い戻ってきた。
 もはや狂気の沙汰と評しても差し支えないだろう。

 白昼堂々と騎士が殺される様を見て、民衆たちは戦慄する。
 まともな神経の人間ならば、こんなことをできるはずがない。
 殺人罪は高額の負債が伴うからだ。
 放っておくと国から厳しい取り締まりを受け、支払いが不可能な場合は処刑される危険すらある。
 故に自殺志願者でもない限り、犯罪を起こすこと自体があり得ない。
 それが、この世界における常識だった。

 しかし何事にも例外は存在する。
 佐久間は痙攣を止めた騎士から足をどかし、ゆらりと歩みを再開させた。
 冷淡な態度に変わりはない。
 一人の命を奪ったことに何の憂いも感じていないようだ。

 犠牲者が出たことで警備の騎士たちは我に返った。
 不測の事態こそ、彼らの出番である。
 指揮官らしき男がサーベルを掲げて叫んだ。

「そ、そいつを撃てぇッ!」

 騎士たちは携えた長銃を構えると、佐久間を狙って一斉に発砲する。
 広場につんざくような銃声が重なり響いた。
 放たれた十数発の弾丸は、棒立ちだった佐久間に風穴を開ける。
 白いシャツに血が滲み、石畳に真っ赤な染みを作った。
 銃撃を食らった佐久間はあえなく倒れ伏す。

 その場にいた者は一様に安堵した。
 狂った殺人者は処刑されたのだ、と。
 気を緩めたのも束の間、彼らの顔が凍り付く。
 死んだはずの佐久間がむくりと身体を起こすところだった。

「この世界にも銃はあるのか……少し驚いたよ」

 佐久間は苦笑混じりに立ち上がる。
 全身各所に穴が開いたというのに平然とした調子だった。
 彼は周囲の動揺を意に介さず、長銃を持って固まる騎士の集団に近付こうとする。

 その瞬間、佐久間の首輪が爆発した。
 鼓膜を破りそうなほどの炸裂音が轟く。
 千切れた肉が弾け飛び、破けた頸動脈から血が迸った。
 動きを止めた佐久間は仰向けに崩れ落ちる。
 じわじわと広がっていく血溜まり。
 その光景をバルコニーから眺める国王は、大儀そうに息を吐いた。

「ようやく逝ったか……」

 事態を見かねた国王が首輪を爆破したのである。
 放っておくと広場の人間が皆殺しにされかねない。
 ひとまず火急の危機は排除した国王は、一旦部屋に戻って椅子に腰かけた。
 あとは民衆が落ち着いたタイミングで適切な表明を発するのみ。
 これでどうにか場は鎮められるだろう。
 さしたる労力ではあるまい。
 そこまで考えた国王はグレゴリアスに尋ねる。

「勇者の能力を見たか」

「はい……信じられませんが、召喚当時に取得していたスキルの大半を失っております。負債額もなぜか激増していますね。それに勇者ツバサはどこへ行ったのか……」

 グレゴリアスは頭を抱えて嘆いた。
 自身のスキルである【鑑定眼】で調べた結果を信じられなかったのだ。
 スキルが使用不可となって封印されるならまだしも、丸ごと消滅するなど初耳だった。
 いくら負債の工面に奔走しようが、通常はあり得ない現象である。
 加えてあの異常な怪力と銃で撃たれても死なない生命力。
 あれがスキルの恩恵ではないとするならば、一体何なのか。

「おかしい、絶対におかしい。何がどうなっている。未知の魔術か? いや、さすがの勇者殿でもそれは難しいはずだ。そもそも、強力なスキルを失うことで何の得がある? まさか、神の御業では……」

 混乱するグレゴリアスはうわ言を呟くが、唐突に口を噤んだ。
 彼はバルコニーの手摺にしがみ付くと、信じられないとでも言いたげに広場を見る。
 只ならぬ宰相の姿に国王は眉を寄せ、再び部屋からバルコニーに出てきた。
 そして、今度こそ驚愕する。

 処刑舞台の正面。
 血みどろになりながらも、佐久間は再び立ち上がっていた。
 肉体的な損傷はかなり大きい。
 爆発で抉れた首の肉に、露出した頸椎と筋繊維。
 顔面は高熱に炙られたせいで一部がケロイド状に変質している。
 肉体的には満身創痍のはずだが、彼は落ち着いた仕草で頭を掻いた。
 ついでに足元に転がる首輪の破片を拾って微笑む。

「おぉ、ようやく外れた。ずっと息苦しさがあってね。よかったよかった」

 佐久間はマイペースにそう言って首元を撫でる。
 傷口の肉が蠢き、早くも回復の兆候を見せていた。
 あれだけ激しかった出血は治まり、吹き飛んだ箇所が埋まろうとしている。
 焼け爛れた皮膚もぽろぽろと剥がれ、その下から真新しい皮膚が覗く始末であった。

 治癒というより、再生と表現した方が適切だろうか。
 佐久間は首輪の爆破で死なないどころか、損傷した肉体を修復し始めた。
 既に動きに支障がないレベルまで復活しており、怯える民衆を嘲笑う余裕さえある。

 スキル由来の回復力ならば、ここまで簡単に治せなかっただろう。
 首輪の爆発はあらゆるスキルの効果を阻害する。
 どれだけ防御策を練ろうが確実に対象の首を吹き飛ばして殺すのだ。
 ところが、佐久間の場合は事情が異なる。
 彼は沼で身体機能の限界を捨てた結果、今のような状態に至った。
 言わば純粋な生命力で致命傷を耐え凌ぎ、スキルに頼らない再生力で回復してみせたのである。

 晴れて首輪から解放された佐久間は、微笑を湛えて騎士に歩み寄った。
 騎士は長銃の再装填に手間取って迎撃できずにいる。
 恐怖のあまり、手が震えて指先の動きが覚束ない。
 焦れば焦るほど作業速度は落ちていく。
 なんとか弾丸の装填を完了させた時、佐久間は目の前まで迫っていた。

「なっ……!?」

「これで、二人目」

 見開かれた両目に佐久間の指が突き込まれる。
 ずぶりと指の付け根までが騎士の眼孔に沈んだ。
 脳髄を焼き切るような激痛に、騎士は血の涙を流して悶絶する。
 潰れた眼球がどろりと零れ落ちそうになっていた。
 佐久間は騎士を引き倒して頭部を踏み砕くと、指に絡み付いた粘液をシャツで拭う。

「まだまだ償ってもらわないといけない。俺たちが味わった絶望はこの程度じゃ済ま――」

 言葉の途中、長銃の第二射が佐久間を襲った。
 残る騎士が撃ったものである。
 弾丸は狙い違わず佐久間に命中したが、それだけであった。
 衝撃によろめきながらも、彼は一向に倒れない。
 狂気に浸った目が次なる獲物を選定する。

「おっと、話は最後まで聞いてほしかったな。そこまで死に急ぎたいのなら仕方ない。お望み通りに殺してやるよ」

 佐久間が地を蹴り、凄まじい勢いで駆け出した。
 最も近くにいた騎士が兜越しに顔面を殴られ、スリットから血を噴き出して即死する。
 別の騎士が手首を掴まれ、力任せに石畳へと叩き付けられた
 玩具のような扱いを受けた騎士は手足と首が奇妙な方向に折れ曲がる。
 恐慌して尻餅を突いた槍持ちの女騎士が胸部を踏まれた。
 徐々にかかる圧が鎧を陥没させ、肋骨を折り砕き、内臓のいくつかを磨り潰す。
 女騎士は血反吐を吐いて絶命した。

「そ、そいつを殺せ! 今すぐ殺せッ!」

「頭だ! 頭を撃て!」

 危機感を覚えた警備の者たちが急いで反撃に移るものの、大した成果は出せていない。
 弾丸を撃ち込めば、拳で胴体を貫かれる。
 剣や槍で突き刺せば、手刀で首を切断された。
 魔術で遠距離から挑めば、強引に突進してきて捻り潰される。
 どれだけ攻撃を食らおうが佐久間は怯まず、それどころか怪力を以て惨殺してみせた。
 対峙する者にとっては悪夢のような存在である。

 佐久間が殺戮を止めることはなかった。
 一人、また一人と犠牲となっていく。
 この頃には抵抗する騎士も僅かで、武器を捨てて逃げ出してしまう者ばかりであった。
 無為に命を散らしたいと思う人間はいないようだ。
 傍観を決め込んでいた民衆もパニックに陥っていた。
 人々は恐怖に駆られて右往左往し、怒声と悲鳴が広場を覆い尽くす。

 そんな中、佐久間は全身に刺さった武器を引き抜いていた。
 騎士による反撃で受けたものである。
 他にも全身を余すことなく損傷しており、無事な部分を探すのはもはや不可能に近かった。
 常人ならば軽く十回は死んでいるに違いない。

 引き抜いた刃物を捨てる傍ら、佐久間は呑気に口笛を吹く。
 無防備に晒された背中は隙だらけにも見えるが、彼を攻撃しようとする者はいなかった。
 佐久間はゆったりとした動作で処刑舞台によじ登る。
 彼は大斧を持った処刑人を壇上から蹴落とすと、おもむろに視線を上にやった。

 爛々とした瞳は、バルコニーに立つ国王を凝視している。
 国王は苛立った様子で鼻を鳴らした。
 鋭い双眸は見る者を畏怖させる迫力があったものの、血塗れの殺人鬼には通用しない。
 佐久間は顔から微笑を消すと、国王を指差して宣告する。

「この国が犯した罪――それに伴う負債を請求しに来た。俺は絶対に許さない。必ず、お前を殺してやる」

 それだけ言い残し、佐久間は処刑舞台を飛び降りて路地裏へと走り去った。
 すぐさま誰かの断末魔が響き渡る。
 広場には無数の騎士の死体と混乱する民衆だけが残された。

「国王陛下……」

 グレゴリアスが心配そうに声をかけるも、返答はない。
 歯噛みする国王は、眉間に皺を寄せて広場を睨むことしかできなかった。
 ぎりぎりと握り締められた拳。
 食い込んだ爪が皮膚を破って血を滲ませる。

 この日、処刑会場に居合わせた者は一つの事実を悟った。
 それは常識として伝えられてきた簡素な文言。

 ――多額の負債は災厄を招く。

 絶望に堕ちた勇者は豹変し、未曾有の殺戮を引き起こした。
 人々がこれら二つを結び付けるのに、さしたる時間はかかるまい。
 負債が災厄を招くのではなく、負債を抱えた者が災厄と化したのだ。
 広場の惨劇は、鮮烈な記憶として民衆の脳裏にこびり付く。
 どれだけ傷付いても決して歩みを止めず、ひたすら命を刈り続けた魔性の存在。
 負債勇者の名は、恐るべき怪物の肩書きとして周知されるのであった。
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