暗躍の約束

文字数 3,271文字

 片眼鏡の男の勧誘に、佐久間は釈然としない風に首を傾げる。
 内容は漠然としないが何かしらのスカウトを受けていることは分かった。
 しかし、目の前の男とは何の面識もないはずだ。
 佐久間の疑問を察したのか、片眼鏡の男は薄く笑う。

「そんなに警戒しないでください。ただのビジネスですから……そうですね、別室でゆっくりお話ししましょうか」

 肩眼鏡の男は受付の奥を示して一礼した。
 この奥で話をしようということらしい。
 佐久間は顎に手を当てて顔を顰める。

(明らかに怪しいが……)

 この世界に来てからというものの、友好的な人間との交流が少なすぎて、佐久間の人間不信はかなり深刻な状態となっていた。
 現状、ひとまず信頼していると言えば、マリーシェと宰相のグレゴリアスくらいである。
 その二人でさえ、完全に心を許しているわけでもない。
 かつて彼の心の支えだった人物は、あっけなく沼に沈んでしまった。

 もっとも、多大な代償を払って佐久間は生きている。
 同時に他を叩き潰せるだけの力と非情さを手に入れた。
 よほどの窮地でもない限り、自らの能力で危機を脱することが可能なのだ。
 多少の誘いなら乗っても大丈夫だろう。
 少しの逡巡の末、佐久間は大人しく付いていくことにした。



 ◆



 冒険者ギルドの職員専用のエリア。
 案内された一室にて、佐久間はティーカップを傾けていた。
 毒入りの可能性も疑ったが、もはやその程度では死なない身体である。
 何かしらの異物が混ざられていたところで、すぐさま回復するのは目に見えていた。
 佐久間は平然とカップの中身を飲み干す。

 隣にはマリーシェが座っていた。
 ぴったりと揃えた太腿の上にバックパックを載せ、腰には拳銃を挿したホルスターが装着されている。
 彼女は背筋を伸ばした姿勢でじっと動かない。
 部屋を出るまで余計なことをしないよう指示されたのだ。
 その姿は無機質な印象が強く、精巧な人形と言われれば信じてしまいそうであった。

 テーブルを挟んだ二人の向かい側には、片眼鏡の男が腰かける。
 彼の手元には数枚の書類が重ねてあった。
 今から行われる話で使用するものだろうか。

 部屋にはこの三人以外いなかった。
 ティーカップを運んできた職員も早々に追い出されている。
 いや、たとえ指示が無くとも長居しなかったはずだ。
 怪物と同じ空間にいたいと思う奇特な者など滅多にいまい。

 佐久間がティーカップを置いたと同時、片眼鏡の男が口を開く。

「さて、自己紹介が遅れました。私はここのギルドマスターを任されております、カシア・ウズベルと申します。よろしくお願い致します」

 片眼鏡の男・カシアは深々と頭を下げて挨拶をした。
 ギルドマスターとは、文字通りギルドの責任者である。
 各ギルドごとに一人ずつ設けられる役職で、彼らが全体の統括を行っていた。

 カシアの名乗りを聞いた佐久間は面倒そうに返す。

「それで、ギルドマスターとやらが何の用だ」

「先ほども触れたのですが、特殊執行職員となって頂きたいのです」

 そう言ってカシアは手元の書類のうち一枚を佐久間に手渡す。
 綺麗に仕上げられたそれは何かの資料らしかった。
 膨大な情報がリストアップされている。

 カシアはマリーシェにも資料を配ろうとしたが、彼女は一切反応しない。
 どこか遠くを見つめたままだ。
 曖昧に苦笑するカシアは、さりげなく佐久間に視線を移す。
 佐久間は資料から顔を上げると首を振った。
 マリーシェのことは放っておけという意味である。
 差し出した手を引いたカシアは、咳払いをしてから話を続けた。 

「職員と言っても、仕事や義務等はありません。互いに損はしないはずですよ」

「……内容は?」

 興味を示したのか、佐久間は片眉を上げて問う。

「そちらの資料に記載された組織や個人と会うだけです。手段や日時の指定はありません。気が向いた際で結構です。やりたくなければそれでも大丈夫です。達成できた案件の分だけ報酬をお渡します」

「出来過ぎた話だな。騙せると思ったのか」

 佐久間は資料を机に置いて立ち上がった。
 目には微かな苛立ちと明確な殺意が浮かんでいる。
 今にも暴れ出しそうな雰囲気だ。

 それにも関わらず、カシアは澄ました表情を崩さない。
 冷淡とも取れそうな態度で微笑する。

「落ち着いてください。こちらにも十分なメリットがありますから。それを今から話しましょう」

「……分かった」

 佐久間は納得の行かない様子で座り直す。
 ただし姿勢はやや前のめりで、気を許していないのは明らかだ。
 流れ次第で殺戮を起こすに違いない。

 そういった事情を把握しながらも、やはりカシアの冷静さは失われなかった。
 彼は片眼鏡を指で触りつつ、淡々と書類に目を通す。

「実を言うとリストに載った人々はギルドにとって少々厄介な立場でして……そこで、あなたに説得(・・)を頼みたいのです。具体的な手段や方法は一切問いません。説得の際は何でもしてくださって構いません。何でも、です」

 妙に含みを持たせた言い方。
 佐久間は目の前のギルドマスターの意図に気付いた。

「要するに、このリストの人間を殺せということか」

「殺人依頼だなんてとんでもない。そんな重罪を犯せばすぐに負債まみれですよ――ただ、リストの人間は膨大な蓄えがありますし、資料に記載された訪問理由を述べればあなたの行為は正当化されるでしょうね。世界の法則に見咎められることはありません」

 佐久間は資料に視線を落として”訪問理由”という項目を見つける。
 そこにはリストの対象ごとに様々な疑いや警告を示唆する文言が書かれていた。
 これらを大義名分とすれば相手に何をしようが罪にならない、とカシアは主張しているのだ。

 例えとして殺人罪を挙げるとする。
 道端を歩く人間を唐突に殺せば当然のように負債を抱えてしまう。
 しかし、正当な動機を持つことでそれを回避することができるのだ。

 最も分かりやすいのは正当防衛だろうか。
 命を狙われた際、反撃で相手を殺傷した場合は罪にならない。

 他には負債者を害するのも基本的には無罪である。
 騎士たちが佐久間を平気で攻撃できるのはそのためだ。
 国や人々を守るためという目的を掲げるからこそ、負債を恐れず抵抗できる。
 もっとも、負債を背負わないからと言って、災厄を止められるかは別の話だが。

 佐久間を特殊執行職員としてスカウトしたのも、殺人依頼ではなく対象に注意勧告をしてもらうため、という名目である。
 リストという形でおおよその指示はするが、その過程や結果には口出ししない。
 なぜなら内容に深く触れると犯罪になってしまうから。
 犯罪になれば負債を抱えることになる。

 逆に情報だけを提供して佐久間を職員として派遣した体にすれば、諸々がスムーズに進むのだ。
 たとえ現場判断で佐久間が殺戮を起こしても、ギルド側は非を認めなくて済む。
 佐久間は資料通りの大義名分を有するので、暴れても犯罪にならない。
 カシアはそのボーダーを見極め、明言せずに厄介な存在の抹消を依頼しているのであった。

 冒険者ギルドとしては、不都合な存在をリスク抜きに殺害できる。
 負債勇者としては、余計な負債を増やさずに標的の資産を盗み、報酬も得られる。
 まさに双方のメリットを考慮した関係だった。
 事態をなんとなく察した佐久間は、額に手を当ててぼやく。

「……この世界の人間は犯罪を恐れているかと思ったが、どうやらそういうわけでもないようだな」

「何事も利用した者が勝つのですよ。それで、どうしますか。私と個人としては、負債勇者様とは仲良くやっていきたいのですが」

 悠然と微笑むカシアには、一筋縄ではいかない狡猾さが垣間見えた。
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